アドバンス・ド・蜜の味 4
ガルルちゃん、金髪にしましたよね?。
私はとある男性と名古屋今池のサイゼリヤにいた。さっきから彼は手に持ったコーヒーカップをじっと見つめたまま黙っている。といってもその焦点はコーヒーカップよりもずっと先のほうを見ているような気がした。かといって私の顔でもなく、もちろん胸でもなく、私のうしろの壁でもなく、その先の厨房でもなく、もっともっと先のまるで宇宙の果てでも見ているかのような漠然とした表情……。
私は沈黙に耐えられず話題を振ってみたのだけどまったく反応なし。もしも~し。聞こえてますか~?。
彼の年齢は20歳前後の大学生といったところか。正直、想像より若くてビックリしてる。彼の推しはもちろん蜜の味のラップ担当ガルル・ド・覚王山ちゃんだ。まあ「ガルルちゃん命」っていうアカウント名でガルル推しじゃなかったら犯罪だよね。
ガルルは生まれつき真っ白なまつげをしていて全員ビジュアル担当と呼ばれる蜜の味のなかでもビジュアル人気は常にトップクラスだ。
ちなみに私は基本メンバー全員大好きの箱推しなんだけどしいて言うなら絶対的エースのジゼルかな。そんなわけでガルル命さんとはtwitterでは気軽にリプ合戦するような仲なんだけど今日はどうしちゃったんだろう。あのぅ、命さん聞いてます?。
そんな私は「あやまん」と名乗る東山綾目。24歳。彼氏なし。モテモテだった私の人生は高校に入ったとたん狂ってしまったんだよ。猫ヶ洞高校という地元の公立高校に進学した私はとある理由で入った文芸部で色恋沙汰を起こしちゃって……。
二年生になったとき家の都合で別の区へ引っ越したのを期に逃げるように転校したのだった。でもそれから特に何かあったわけでもなく引越し先の市立高校へ編入して、人並みに恋をして、卒業して適当な短大へ行って、親のつてで今の印刷会社に就職して事務員として何となく働きながらたまに友達と海外旅行へ行ったり、エステとか行ったりしてたらいつの間にかこの歳になってたんだよ。本当は22歳で結婚してビッグダディみたいな大家族と仲良く暮らすつもりだったのに~。
私にはつくづく男運がない。原因は高校一年のときに起きたあの事件だった。地元の鹿子殿神社ってところに恋愛の神様がいるっていう噂があって、私はその手のジャンルに詳しかった兄・哲道にお願いして連れてってもらったことがあったのだけれど、そこでとんでもないことがあったんだよ……。
9年前――。
私たちは本殿の裏から杜へ分け入っていた。この神社は住宅街に囲まれた丘陵に建っていて、まるでこの一角だけが時代に取り残されているような不思議な場所だった。前を歩いている兄がさっきからずっと得意げに語っている。
――恋愛の神様を祀っているほこらは杜の奥にある小さな池のほとりに建っているんだ。その池は通称「血の池」と呼ばれていて、あの織田信長が桶狭間の戦いで討ち取った敵将の首を洗ったと言い伝えられているんだぜ。それ以来、ときどき真っ赤に染まることがあるらしくてそれを見てしまった人間は必ず死ぬらしい。まあ、少なくともここ百年は染まってないらしいけどね……。
そう言って兄は池のほうを指さした。しかし次の瞬間。うへぇと腰から崩れ落ちてしまったのだ。なぜなら今まさにその池が真っ赤に染まっていたのだから!。私は怖くてチラッと見ただけなんだけどホント冗談みたいに真っ赤っ赤だった。
ちょ、兄ちゃん?。
――あうっ。
ねえ、しっかりして!。
――あうっ。
兄はうめき声でしか返事をしてくれなくなってしまった。しかも腰を抜かしてしまったようでずっと地面にお尻をつけたままガタガタと震えている。仕方がないので私は兄の肩を思いっきり揺らして頬をはたいてやった。
するとようやく正気を取り戻したようで「綾目、今すぐここから逃げろ!」叫んできた。
どうして?。
聞くと兄はいいから逃げろの一点張りで、そのかわり絶対に振り向くなよって言うわけ。でも……。言いかけたそのとき兄が白目をむいて奇声をあげはじめたので私は怖くなって一目散にその場を離れたのだ。
背中越しに兄が何か叫んでいたけれど、何を言ってるのかぜんぜんわからなかった。そのうちだんだん叫び声が「しゃあああぁぁぁああぁぁあぁ~!」この世のものとは思えないような金切り声に変わっていって、もう私、意味がわからないくらい怖くて。
でも振り向いちゃダメだって言うから涙で顔をグシャグシャにしながら、ひざと擦りむいちゃって這うようにして最初の鳥居のところまで走ったんだよ。で、もうさすがに大丈夫かなと思って池のほうを振り向いたら、なぜか全身血まみれになった兄がすぐうしろに呆然と立ってたの。ぎゃあ!。さすがに失神しかけたよね。笑。
どうやらそれは兄が仕組んだイタズラだったようで、あからじめ池に赤いインクを入れて染めていたらしい。本当に信じられないバカ兄貴だよね。
……あれ?。私、なんでこんなろくでもない思い出に浸ってるんだろう。
そうだ。命さんだ。
するとガルル命さんが「すみません、カップに書いてある文字を読んでいました」恥ずかしそうに言った。どうやらひとつのことに集中すると他を忘れてしまうタイプのようだ。
ホッと胸を撫でおろして「何て書いてあったんです?」尋ねると彼は照れ笑いしながら「何も書かれてませんでした」頭をかいたのだ。
どういうこと!?。
私は思わずtwitterのノリでつっこんでしまった。まあとにかく正気に戻ってくれてよかった。それから私たちはすっかり緊張の糸がほぐれてしまって普段、twitterで全世界へ晒しているような愚にもつかないやりとりが始まったのだった。
――そうそう、ガルルちゃん、金髪にしましたよねー。デビュー曲のときはオパールが金髪だったじゃないですかー。だから僕、オパールちゃんが世界で一番金髪が似合う女の子だと思ってたんですけど……。
――しかし、最近はモカの人気もやばいですよ?。こないだも朝の番組に出たときやった彼女の牙ポーズがtwitterでトレンド入りしてましたし。
――そういえばジゼルの新しいCM見ましたか、マジでやばいです。
命さんが怒涛のように蜜の味トークを展開しはじめた。
本来なら今日はtwitterで仲良くしている東海地区の蜜の味クラスタのoff会だったのだけど、どういうわけか主催者を含む他のメンバーが全員、仕事だの体調不良だの身内の不幸だので急遽来れなくなってしまって、それがあまりにも直前だったため中止することもできず、何の因果か二人off会になってしまったのだった。
よりにもよって私は今日が初参加だったから最初はどうなることやらと思ったけど、この調子なら心配なさそう。すると彼がモジモジしながら話を切り出してきた。
――あやまんさんってめっちゃ歌が上手いですよね。girl next doorの『偶然の確率』なんて本人そっくりじゃないですか。僕は今日それを聴きに来たんですよ。
そう言われて嫌な気分はしない。恥ずかしながら私は歌ってみた動画をちょくちょくあげているのだ。顔出しもしてないし、ほんの数秒くらいだし、再生回数もぜんぜん一桁なんだけど。
すると彼は「でも今日は二人しか居ないしカラオケは無しですね」質問なのか諦めなのかわからない感じでつぶやいた。実はそれは本来のoff会だったらあらかじめ決まっていたコースだったんだけど、急遽二人off会になってしまったのできっと彼は気を使ってくれたのだろう。ぜんぜん悪い気はしない。私が返事をもったいぶっていると彼は止まらなかった。
――こんなこと言うのは失礼かもしれませんが僕はガルルちゃん命なので下心なんて1mmもありませんよ?。ガルルちゃんのことはアイドルとしてではなく一人の女性として愛してますから。
え、じゃあ、付き合いたいとか思ってます?。
――いやいや、とんでもないですよ。僕みたいな限界オタクがガルルちゃんと付き合いたいだなんて、そんなおこがましいこと思ったことありません。まあ、願ったことならありますけどね。笑。
なんですか、それ。
――いや、僕の地元にどんな願いも叶えてくれるっていうチート級の恋愛の神様がまつられている神社があってですね……。
もしかして。それ、鹿子殿神社ですか?。
――あ、はい。
ちょっと命さん。そこ私の地元だったんですよ!。思わず叫んでしまった。今までまったく気づかなかったのだけれど彼は私と同郷でしかも同じ中学校出身だったことが判明したのだ。
本名、黒川輝。現在は八事の中京大学に通う大学二年生だという。
直系の後輩と分かればもう何も怖いものはない。誕生日は来た?。じゃあOKだね。私はマグナムというボトルワインを注文して彼のグラスに「これも何かの運命だ。飲め飲め」と言いながらワインを注いだ。すると彼はそれを一気に飲み干して顔を真っ赤にしながら「僕、飲むとすぐに顔が真っ赤になるんですよー」ぜんぜんどうでもいいことを言った。
で、神社の話はどうなったのさ?。
聞くと彼は饒舌に語りはじめたのだ。
――はい。僕がその噂をはじめて耳にしたのは中学生のときでした。ずっと気にはなっていたんですけど、ぶっちゃけ僕は彼女に出会うまで、なんていうかその……、女の子を好きになったことがないというか。夢中になったことがないというか、とにかく僕には無縁の神様だったわけですよ。でも蜜の味に出会ってガルルちゃんを本気で好きになって僕は初めて思ったんです。J-POPって名曲ばかりだなって……。
え、どういうこと?
――はい。それまで僕は世の中で流行ってる曲なんて総じてクソだと思ってました。愛だの恋だの歌ってばかりで、やたら会いたがったり、つながりたがったり「お前ら年中発情期かよ」っていう。それにあいつらやたら何らかの欠片集めてますよね。思い出の欠片集めたり、夢の欠片集めたり、ドラゴンボールかよっていう。何ならいつも強くなれる理由を探してるし、完全にサイヤ人でしょ?。
――僕はそんなくだらない歌詞に共感して、感動して、救われるくらいの人生なんて要らないと思った。だからユーロビートばかり聴いてました。でもガルルちゃんを好きになってしまって、毎日毎日、彼女のことを考えるようになってしまって、気がついたらすべてのJ-POPが名曲だったんですよ。ああ、これが「バカになる」ってことなんだなって納得しましたね。人間ってバカになったほうが幸せに生きていけるんだなあって、このとき初めて思い知ったんですよ。
――今は彼女がこの世界に存在してくれるだけで幸せです。彼女のおかげで僕のくだらない人生が満たされていくんです。
若いなあ。
そう言って私はまだ空いてない黒川くんのグラスに構わずワインを注いだ。すると彼は「どこがですか」ツンツンしながらも飲み干してくれた。ひとは恋をするとバカになるんじゃなくて酔っ払いになるんだよ?。恋という美酒に酔っ払っちゃうの。思えば私は不味いワインばかり飲んできたなあ。
あれは今から3年前――。
21歳のときの話。私は昔から大家族に憧れていたのでどうしても22歳までには結婚したかったんだけど周りの友達がどんどん結婚していくものだから焦っちゃって、思い切って婚活サイトに登録してみたの。
そこは遊び目的の男も多かったんだけど、どういわけかそのなかの一人の男と付き合いはじめちゃって。亀島羊一郎っていうスーツ姿の20代半ばくらいの真面目そうなひとで、ひとまず二人で会って話をしてみたら彼、自分は開業医の息子で医師免許はもってないけど経営を任されていて年収1000万以上あるという話をドヤ顔してくるもんだから私、夢を見ちゃったんだよね……。
どうやら彼は開業医の息子だということは本当だったのだけど経営を任されているわけではなくひたすら親のすねを齧ってるだけのダメ息子だったのよ。しかも信じられないことに妻子持ちだったんだよ。たぶん私と会うときは奥さんの目を盗んで来てたのね。しょっちゅう不審な電話がかかってきてたし「職場にタヌキが出た」とか「おばあちゃん家のテレビが急に映らなくなった」とか訳のわからない理由で呼び出されていったことが何度もあった。そんなのウソに決まってるじゃん。
案の定、彼が不倫してることがわかって私は何度も何度も別れ話を切り出したのだけどそのたびに「奥さんとは別れる」って言うもんだからズルズルと関係をつづけていたのよ。そしたらある日突然、音信不通になっちゃってあっけなく終わったわ。
ここで私はハッと我に返った。アカウント名「ガルルちゃん命」こと黒川くんはアルコールが全部吹っ飛んだ感じで唖然としていた。ごめん、こんなしょうもない話聞きたくなかったよね。忘れて忘れて。あえて私は明るく振る舞った。
――いや、なんていうか。すみません。
なぜか謝ってくるし。笑。
でもね、黒川くん……。そんな私を救ってくれたのが蜜の味だったんだよ。ずっと落ち込んでた私は彼女たちの姿を見ていたら元気を取り戻したの。だって彼女たちはぜんぜん違うじゃない。まだデビューして半年しか経ってないのに彼女たちは完成されてるじゃない。ファンが育てるーとか、成長過程を楽しむーとか、そういうのじゃなくて彼女たちは最初から完璧にかわいいかったの。だからYouTubeとかライブ配信とか見てると私、何だか生きるパワーをもらえるのよ。
そう、私は毎日、蜜の欠片を集めてるの。
強くなれる気がするから!。
私が決め顔でそう言うとワインを飲みかけていた黒川くんがブワッと口からこぼしてしまった。ちょっと~、汚いなあ。笑。
――すみません。でも、ものすごくわかりますよ。日本の従来型のアイドルは清少納言の枕草子でいうところの「小さきものみなうつくし」なんですよね。幼さだったり未熟さだったりを愛でる感性はたしかに日本特有の文化ではありますが僕なんかはちょっと違うなって思ってたんです。そこへ彗星のように現れたのが蜜の味でした。なるほど「最初から完璧にかわいい」とは言い得て妙だ。さすが年の功だなあ。
おい、おちょくってるだろう?。4歳くらいしか変わらないんだぞ。ひとをおばさん扱いするな!。私は上機嫌になってグラスワインを飲み干した。そんなことより神社の話はどうなったのさ。
――ああ、はいはい。僕は意を決してその恋愛の神様が祀られているという鹿子殿神社に行ってみたわけですよ。思い切って賽銭箱に千円札を入れて「ガルルちゃんが幸せになってくれますように」ってお願いしたのです。パンパン(柏手)。
あれ、付き合いたいってお願いしたんじゃないの。
――付き合いたいと願ったなんて誰も言ってないじゃないですか。でもこの話には後日談がありまして、実は僕がその神社へ行ったとき噂で聞いたイメージとぜんぜん違ったので地元のツレに聞いてみたら真相がわかりました。現在の鹿子殿神社は移設されたものだったんです。そもそも恋愛の神様は鹿子殿神社の本殿に祀られているわけではなく、移転する前の杜のなかにあった粗末なほこらだったそうですよ?。
でも10年くらい前にその横の池が真っ赤に染まったことがあったらしくて、それを凶兆だと解釈した地主がずっと渋っていた住宅地開発計画に判を押してしまったそうです。
えっ!?。
――だから現在、旧神社があった場所は跡形もなく住宅地になっていました。ほこらはそのときに撤去されてしまったそうです。地元では血の池事件って呼ばれていて、けっこう有名な話らしいですよ?。
そう言って彼が無邪気に笑ったので「なんじゃそりゃあ!」私も明るくつっこんではみたものの、その血の池事件とやらの犯人が実の兄貴だったなんて口が裂けても言えない綾目なのであった。まったく何ていう偶然の確率だよ。トホホ……。
「ごめんね。お賽銭無駄にさせちゃって。おわびにここはおごってあげるから」「おわびって何のことです?」私はその質問をスルーして伝票を抜き取った。
今夜は歌うぞー。
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