形がないから壊れないものもある
親友との話
最近、親友と疎遠になっていた。
関係が悪くなったわけじゃないと思っている。
ただ、あまりにも向こうが忙しくて、
お互いに「気にしぃ」のタイプなので、
あちらは「最近会えなくて気まずい」と思ってるかもしれないし、
こちらは、「忙しいのね、いいのよいいのよ」と慮り合ってる感じ。
展覧会とか、小旅行に行くとか、
ちょいちょい「時間が合えば」というお誘いのメッセージはもらうのだが、
何せ、向こうは三児の母。
しかも難しい資格職の試験をパスして、働いているのだ。
子なし専業主婦で、
「いかにして時間を溶かすか」なんてことをテーマに
文章を書いている私とは訳が違いすぎるってもの。
節目のキーホルダー
誕生日プレゼントも、最近はあげたりあげなかったりだけど、
なんか作ってあげようかな、と思っていた。
彼女とは、高校1年の時に出会った。つまり、約30年前。
お互い独身の頃、約20年前にお揃いで、コーチのサンダルの形のキーホルダーを買った。
お互いにぶっ壊れて、10年ぐらい前にまたお揃いで、グッチのキーホルダーを買った。
割と節目で来ているので、今年もキーホルダーをあげようか。
それを手作りのレザーのタッセルにしたらいいかな。
形あるもの・ないもの
でも自分で作ったものだから意外と脆いかも。
「壊れたら、それはそれで。形あるものは壊れるから」と言い添えようと思っていた。
そして、
「形がないから壊れないものもある」
友情や愛情は、壊れるのではない。
消耗するのだ。すり減るのだ。
でも、なかなか消えるところまではいかないんじゃないか。
決定的に壊れたり消えたりするのではなく、
ボロボロになっても、くしゃくしゃになっても、
いつまでもそこにあるような気がする。
ライナスの毛布みたいな感じ?
向こうには「子供」という、守るべききちんとしたものがある。
でも、彼女も母親でも、
毛布にしがみついて泣きたい時もあるんじゃないか。
そういう時のために、
不用意に毛布の方からドロンするわけにはいかないのだ。
そんなことを思っている。