ノーベル賞からみるフィリピン〜オンライン英会話5年でフィリピンに詳しくなった話②〜
フィリピンシリーズ第二弾
かなり前の話で申し訳ないが、2022年の初め頃、英会話をつづけて数年経っていた私は、ずいぶん喋れるようになったではないかと満足して、ちょっとハイレベルなニュース教材を使ってみることにした。
それは「フィリピンのラップラーというメディアのトップのマリア・レッサという女性がメディア活動によってノーベル賞を受賞した」とのニュース。
温度差
ノーベル賞に対して、皆様はどのようなご意見をお持ちだろうか。
私は、イメージとして、大江健三郎は好きだし、村上春樹も取ればいいなあ、ぐらいにしか思っていなかった。日本人が得れば日本の誉として報道されまくり、生涯絶対安泰な賞だというイメージ。
ところが、このニュースのことをフィリピンの先生と話していた時に、驚かされた。
「ノーベル賞なんてフィリピンの人は誰も信用してないよ」
というのだ。
誰も、というのはもちろん語弊があるだろうけど、他の複数の先生にも質問をしてみたが、ほとんどの先生が、ノーベル賞を取ったラップラーというメディアのCEO、マリア・レッサに対して批判的なことを言った。
ノーベル賞に対する価値観の違い、そしてそれを取った人を批判するだけの根拠が、きっとそこにあるにちがいない。それが私がフィリピンの政治に興味をもったきっかけである。
そして、以前テレビのフィリピンのニュースで目にした、「ドゥテルテ」という人物を思い出した。
ドゥテルテの強権政治
フィリピンはご存知の通り、麻薬が横行している。それを徹底的に排除しようと2016年に大統領に就任したドゥテルテ氏が「麻薬撲滅戦争」という対策を実施した結果、2021年の退任までに、30万人以上を逮捕して留置所の環境が劣悪となった。抵抗した(と警察側が主張する)容疑者を「超法規的に」次々に殺害し、その数は5千人以上と言われている。そして逮捕され殺された容疑者の多くは末端の麻薬常習者で、麻薬組織の殲滅には至ってはいない。
…と日本では報道されており、荒んだ留置所の光景が映し出され、私は震え上がった覚えがある。
しかし、フィリピンの人たちは(CNNなどの)世界的なメディアを信用しておらず、むしろドゥテルテの政策支持の人も多いらしい。多いどころか、任期中の2020年の世論調査では国民の91%(!)がドゥテルテを支持したと言うのだ。(Pulse Assia調べ)
つまり、市井のフィリピンの人たちは麻薬で治安が荒れることを懸念しており、しかもどうやら世界的メディアがドゥテルテをDamonize(デーモナイズ=悪魔化)して報道することに対し憤っている。
ちなみに、私調べでは5人ぐらいの先生にインタビューしてみたところ、ドゥテルテを嫌い、という先生は1人もいなかった。
麻薬所持などの容疑者を大量に殺して人権違反だ、と世界的人権団体なども主張しているが、フィリピンの人たちは人権団体もあまり信用していないとある先生は言う。
前述のラップラーというメディアはドゥテルテに対して批判的メディアとして有名だ。マリア・レッサはドゥテルテ側から名誉毀損・脱税など複数の容疑をかけられ法廷で戦っている。彼女は日本メディアでも多数取材を受け、本も出版している。ノーベル賞の効果か、国際的な評価は決して悪くないと言えると思う。
それでもドゥテルテを支持するぐらいに麻薬の被害が大きいのもあるし、フィリピンの人たちは自由よりも「規律・秩序」を求めているのだ。実際問題、ドゥテルテ政権下では減っていたが、マルコスJr政権になって、また近所で麻薬が横行している様子で犯罪が増えている、という先生もいた。
1人の先生は、「フィリピンの人たちは、強いリーダーを求めるけど、自分たちはそれをフォローしない。自分たちは変わろうとしない」というようなことを言った。日本人はデモなども少なく、「お上」に対して従順すぎる気もするが、フィリピンはフィリピンで国民の傾向と課題があるのだろう。
日本人の感覚とフィリピン人のドゥテルテを支持する姿勢の乖離は、日本でも一部で話題になり、数年前は日本のネットも賑わせていたようである。
民主主義は至上か
私は民主主義国家に生まれ、民主主義がフツウだと思っていた。しかしそれは過去に培われた規律があってこそ求めうるものだったのかもしれない。秩序のないところで自由ばかりが認められても国として成り立たないという言い分もあるだろう。
フィリピンの政治について書いた記事を読むと、「ドゥテルテは単なるポピュリズムではない」といったことも書いてある。他の政治家たちは「bribing=賄賂によって買収された」低所得者層の票でのし上がってきている、という不正の話も聞く。
現政権のマルコスJr大統領もドゥテルテほどの人気はないそうだ。
ドゥテルテ支持の先生たちに聞くと、「CNNなどのニュースメディアはフィリピンに住んでもいないのにわかったふうなことを書かないでほしい」と言う。
フィリピンの人たちの感じ方と私たちの考える民主主義。
その違いに私は驚きとともに大きな興味を持ったのだった。
国単位での考え方の違い
例えば、ヨーロッパなど海外の人から見れば、天皇を擁護する日本人の気持ちがわからない、という人もいるし、国によって(もちろん人によってもだけど)教育・宗教・政治・環境などが異なり、考え方は驚くほど変わるという例だとも言える。
ある先生の言葉の一つ
They twist the truth to suit their own narratives.
「彼らは彼らの物語に合わせて真実を捻じ曲げている」
どちらが正しいということは現時点で言えないけれど、知らず知らずのうちに長い物に巻かれていた自分、ノーベル賞に対して疑いを持つことを知らなかった自分、メディアバイアスというものを大いに考えさせられた。
外国語を学ぶのは、広い視野を持つこと、と実感しつつも精進する日々です。