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共に育つVol14~そうである時・そうでない時
ふと気づいた 不思議なこと
以前子どもたちと過ごしていた時に気づいた
不思議な?…出来事のお話です。
ある日のこと。
学童預かり保育でいつものように子どもたちと遊んでいたとき、
子どもたちがワラワラっと私の側に密集するように集まってくる日と
そうでない日があることに、ふと気付いたことがありました。
その日は特に変わったこと~遊びに誘ったり、
目新しい遊びを見せたりなどをしていたわけではありません。
それなのに何人かの子供たちが吸い寄せられるように私の近くに集まってきて、テーブルはいっぱいに。
そして更に座っている子のその間にまで、座ろうとする子もいます。
子どもたちはそれぞれ、自分の好きなことをして遊んでいます。
塗り絵をする子、トランプを並べている子、
折り紙を折っている子、
そしてみんなの遊びを眺めている子、
テーブルでみんなで同じ遊びはしていませんでした。
みんなそれぞれ違うことをしていながら
お隣さんやお向かいさんの様子を眺めて、
塗り絵の色合いをほめたり、折り紙で何が完成するのか尋ねたり
楽しそうに声を掛け合っています。
その姿をみた時に、「みんな自由でいいな~」と思いました。
同時に、「みんな自由でもぶつかり合っていないな」とも思いました。
そして
「これまでも、自然に子供たちに囲まれる日と、そうではない日があったかもしれない」と気づきました。
不思議ですよね。。
なにが違うのか?何が原因なのか?
自分自身とても不思議に思ったので、
その日、仕事を終えて帰宅後に、一日を振返りながら考えてみました。
子どもたちが何もしていないのに自然に集まってくる時とそうではない時…
何が違うのか?
何か原因はあるのか?
思い返してみた時、
「もしかして”自分自身の状態”なのかもしれない」と思いました。
たくさんの子供たちが自然に私の周りに集まってくる日と
そうでない日は、私自身の内面に差があるかもしれないと
気付いたのです。
内面の差とは、どんなことなのか、何が違ったのかというと
ひと言で言うと、「心の状態」です。
どういうことかというと
たくさんの子供たちに囲まれる日は、
”あれをしなくては”とか、”何時になったら〇〇をしなくては”とか、
”あの子またあんなことしちゃって”とか、
”さっきの○○はあ~しておけばよかったな”
といったような、頭の中のおしゃべりがなく
とても穏やかで、リラックスしていて、なんにも縛られるものがなくて、
どちらかというと、今ここを味わい楽しんでいる状態。
対して、そうでない日は…
さっきのあのことが気になっていたり、
子どもの行動に目を奪われていたり、
”おやつが済んだら○○をしておかなくちゃ”とか、
目の前の事に気持ちがいっぱいになっていたり、
逆に過ぎたことやこれからのことに気持ちが飛んでいたり、
という状態だったことに気づいたのです。
自分自身の記憶と感覚からですが、仮説が生れたのでした。
果たして 仮説はどうだったか?
そして私は、数日間実験してみたのです。
できるだけ、前者のように無心の状態で関わっている時と、
そうではなくあれこれ頭の中で考えたり過ぎたことやこれからのことを
グルグル考えた時とでは、どう違うのか?
結果はやはり、自分自身が穏やかで無心で、
なんの力も入らずリラックスしている日は無条件に集まってくる。
けれど、何か他のことに意識が向いていたり、あれこれ考えていたり、
子どもの言動を気持ちの中で批判していたりすると
子どもたちは見事に集まってこない、寄ってこない。
あくまでも私個人の仮説と実験でしたが、
「関係性はあるな~」というのが、私の体感でした。
子どもと関わる時に、
どんな景色をつくりたいですか?
どんな景色を見たいですか?
自分の内面の状態のうつし鏡であるならば
子どもたちの様子を感じながら、
自分の状態に気づかせてもらうということでもありますね。
みなさんは、いかがですか?
私はまだまだ、その日によって無心に穏やかになっている時と
そうでない日と、いろいろです。
でも一度、この 「あれ?なるほど!」を体感すると
”いい状態”を思い出し、軸に戻れるなと感じています。