私の今までの経験からの不自由さを感じていること
私の経験から性の感情が起こってきた頃のことを話したいと思います。当時私自身は他の在宅重度障害者に比べ、女兄弟ばかりで育った私は異性に興味持ちはじめるのも早かったみたいで重度障害者の身体を持つ私にとっては思春期を迎える頃から不自由な身体を持った者にとって、介助は、もっぱら母親と女兄弟に世話をしてもらう事が多かったので、人として本能が備わっているので女性の体に興味しんしんで兄弟や親に一般家庭でも起こりうる男の子がおこしかけるみたいに不自由ながらも対象を女家族になってしまって時より気持ちが高ぶった時など悪さを不自由な体ながら行動に移りかけた事もありました。でも体が不自由な分とどまる事が出来たんだと思います。そんな生活環境で暮らしてきた中にあってもっぱら解消するために、何とか生理現象を収める意味において体に障害があってもオナニーを覚え自己処理が出来るよう自分なりになんとか体をうまく動かしながら時には手が上手く動かない時はトイレットペーパーの芯の穴を女性に見立て使用したり、手が上手くいかないため後始末にタオルや、女兄弟の洗濯物で後始末した後隠すために汚れた物を隙間に突っ込み親に見つかってしまい怒られ、恥ずかしい思いをした事もありました。そして不自由な身体をその度に自分なりの工夫をしながらもなんとかその起こりうる身体的な周期的に現れてくる性的欲望に対しては当時自分の手を動かしていがみなりでも解消を行ってきていました。その当時の社会的な考え方からするとまだまだ障害者の性的考えは後天的な考え方の社会だったことからすれば、私自身在宅で重度の障がいを持つ者の割に女性経験も人生の中で結婚もできて嫁さんを含め5人の女性との肉体関係を経験させてもらい恵まれた環境での毎日だったのかもしれません。そして現実生活送る中にあってあらゆることで頼むことができる友人に恵まれ風俗嬢との接点を経験させてもらいました。当時障害者が重度の障害があるから風俗の受け入れは稀だったみたいで何軒か周り友達と一般の所へ行くと断られるばかりで、何軒か周りようやく特別に受け入れてくれる一軒の店が飲み屋の裏にある場所を紹介してくださり、ようやく辿り着きました。幸せなことに2回も通い2人の風俗嬢にサービスをしてもらったことを覚えています。ちなみに障害を持つ割には一般男性と変わらない年齢で経験させてもらい私の童貞を失ったのは確か20歳の頃だと思います。
それから童貞を失った頃から余計に欲望が高まって来てたまらなくなり風俗まで経験に至ったのです。43歳の頃には重度の障害があるにも関わらず結婚まで経験し女性との交わりは離婚するまであったのですが、離婚後は専ら欲望の処理は自家発電で自己処理ができていたのですが、最近では特に頚椎からくる手の動きにくい障害が出てきた結果、その時から現在に至るまで3年あまり欲望に対する自己処理を全くできなくなって来ていることによって今では身体的苦痛による精神的なストレスを感じはじめるようになってきているのが現状と言えます。昔の自分は他の障害者のことを考えるにしてもあまり自分自身でそれほど苦痛など考えたこともなかった自分だったし、それまで重要視して思ったこともなかったのですが,訴えて行く運動もさらっと訴えただけであまり力が入っていなかったことも事実です。そして 簡単に考え私自身が書いた文章をまとめ上げ平成2年に小冊子ハート&ハートという自己出版の本で書かせてもらっていたのですが まさか今になって自分自身がこのような状況に置かれ苦痛を感じて困るとは夢にも思いもしませんでした。
そして3年前から、年齢が行くとともに障害から症状が現れてくる頚椎症が表れてきて、今では手が全く動かなくなってしまい生きていく上での三大欲望の一つでもある身体的欲望として現れてくる現象に自分で処理の行為がおむつを脱着が始まった頃からできないほか手が動かないために解消を行うことが出来なくなり最近では、気持ちから湧き上がってくる気持ちの高まりをいくら抑えようと考えても抑えることが出来ない時かあり、時には勃起現象として体の外に現れることによって恥ずかしく思う事もあるので、自分なりに考え出し修行僧のお坊さんがあらゆる煩悩を抑えるための修行を重ねるかのように私自身もその欲望を抑える意味において毎日の食事制限を行うことを自己流で考え出し制限していることや現象が起こってくる度に特に介護を受ける際、相手の人に嫌な思いをさせてはいけないと、極力他のことを考え出しながら精神力で我慢をしながら、よほどの精神力を持って毎日を過ごしているのが最近の私になっています。そのようなことを毎日のように繰り返し行っているのにも関わらず周期的に欲望が頭をもたらし、特に3年前から、排尿の時に自分で出来なくなったためにおしめを使用しているために交換してもらわなければならないために、 毎日の様にその交換時による介護を受けるときなどに恥ずかしいくらい勃起症状が表れて来てその現れてくるたびに触れられる事によって感じでしまう事も時にはあり介護を受けている時間がかかればかかるほど、身体的にその行為によって性的感情が高まっているにも関わらず、処理の出来ない状況から中途半端な不快感となって残りどうしようもなく身体に症状が現れる事に毎日のように現状があることによる気持ちのモヤモヤが起こることによって毎日毎晩その影響で毎晩のように眠れない日も続き昼間でも眠気が襲ってきたり人間が変わったようストレスとなって精神のバランスが保てなく感情的になってしまい、イラつき症状が毎日のように表れて心がしんどくなるんです。そして介護を受けてやってもらっている立場なのに、この様な状況になっている事から周りの人に迷惑をかけているのではないかと想う毎日などです。本当に困った問題です。男女の関係だけに私たち身体不自由者にとってはなかなか友達関係はできたとしても恋愛や肉体関係などを求めるのは難しいことも分かっていますのでそれに相手にとってはなかなか介護が必要な立場なのでなかなか私達障害のある者にとっては、相手の受け入れや理解してもらわなければ男女の交際までは考えにくいだろうし、無論 現代の社会にあっては 女性の地位も高まってきているので 最近の若い男性でもなかなか難しい男女交際でもあるので一概にはこのことでは私たちが 差別にあるとは言えませんが 私たちは昔からの考え方からの人の感情があるのではと思うからです。 まだ普通の若い男性たちはそれなりの 社会のあらゆる ストレス解消法があるのですが 私達体の動かないことから全くと言っていいほど解消法がないのが一般との違いです。 それと親の考え方にも問題があると私は考えるのです。 なぜならば 親自身が私たちの存在価値と社会的に低く見てしまうところがあるために普通の男性の欲望など持っていないとの考え方や今の社会で生きていく上でそのような考えを持つこと自体 贅沢な話だと思う親たちの考えまた 全くと言っていいほど そのような欲望など 備わっていないだろうと勝手な考え方を押し付け見てみんふりを自分の中で行っているのが現実にあるのです。親子関係の考え方でも理解が難しいのだから 一般の考え方をわかってほしいというのは難しいのではと思います。その考え方がある一方そんな子供の毎回の様に男の子の勃起する姿などを見てしまう事によって母親が不憫と思い一線を超えてしまう親などもいるとの謝った考え方で近親で行ってしまうケースなども YouTube などでよく話が出ていますが 本当にどのような社会のあり方を変えて行かなければいけないのではないでしょうか。話は元に戻りますが、けして私達が興味本位でこのような話をさせていただいているわけでもなく少しでも私たちの気持ちを理解してもらうための話として受け止めて欲しいものです。 日頃からお世話になる以上 そして障害の事を考えると到底相手に迷惑になる事が心の中で先に想うので到底一緒に暮らす事を望んだり恋人同士になって欲しいなど言える訳でもないので我慢するしかない事は分かっている理由としては、介護必要とする者にとっては、相手の体力的やこちらの経済的な不安なども付きまとってくるのでこちらとしても本気で願うことも難しいのは自覚できているので私達も相手に真剣にぶつかることも理解されたいとの相手の方に気持ちを素直に出して訴えることもできないのが現状と言えるのです。
それに現実このように社会的にも身体不自由者が性的欲望を求めていくことがいかにも私達が求めていくことで、事が事だけにやらしく思われないとか求めて行く事事態厚かましく悪いことだと思われがちなのでことがことだけになかなか言い出せないのが現状となるのです。最近の社会風潮では一般の人たちの男女関係でもよほど相手が気に入らない人が求めていくとすぐにセクハラになりかねない社会情勢なので余計に躊躇する風潮まで現代社会にあるからです。本来の男女関係はそのようなものではなく本能的に備わっているものである限り自然の起こり得る感情なのではないのでしょうか動物が周期的に自由気ままに営まれているにも関わらずなぜに私たちだけがなぜに我慢をさせられてかつ私達に子供ができないようにと優生保護法が決まっているにも関わらず現在でも自由な障害者同士の恋愛までも押さえつけられる風潮が今でも行われていること自体おかしく思うのです。法律で禁じられる罰則規定制度でできているにも関わらず最近でもまるで犬猫のように現実にいかにも正当化のように言われへいきで去勢手術が行われているのを聞いたからなぜにここまで障害があるものが阻害されなければいけないのかを問うためにも性の問題を取り上げされてもらい少しでも謝った風潮を無くしていければと今回障害者の性問題に取り組むため自分の経験などを交え少しでも理解を深めてもらいたいために恥を偲んで 書かせてもらいました。今の世の中で男女問わず、その事による一般の男女が求めていける風俗やホストクラブなどで発散する場所が存在しているにも関わらず私達障害のある者のが動けない事もある事も事実ですが、その様な所にも行く事も理解されてサービスを受ける場所もまだまだ現在では関西では障害を持つ家族や地域社会では理解が遅れており東京ではホワイトハンドという実際に組織があり 活躍されていることもあるのですが今回大阪である数字ないで一般社団法人 輝き 制作所 という組織ができてようやく社会でも前に進んできているのですが神戸の地域では 今のところないのが現状なのでできることなら神戸でもそのような組織を作るための理解者をと考えてこの度このような講演会を企画させてもらったのです。そして今現在 この地域で無いことを皆さんに知ってもらい出来ることなら、これらのことを親御さんに理解を求め在宅障害者に対する体の障害知識のある専門職の方今後募って行き作って行き知識を備えた方などの理解者を呼びかけその様なサービスを受けでもらえる場所作りを広めていける様今回の講演会を企画した次第です。そして一人でも多くの方に呼びかけこの神戸にも広まって行く事を願い私の今までの経験を書かせてもらいました。
グラベルあっちゃん