重度障害者の 心の 動き
(障害者という文字はいろんな意見があったと思いますがあえてこの字をそのまま表現しています)
私が 67年間生きてきて いろんな 心の 動きが ありました。
生まれて すぐに 仮死状態で 命を受け 物心がついてからは、いろんな 思いが 蒼魔灯のように 足早に 過ぎていきました 。
幼い頃は 体が動かない分、 遊ぶ ことにしても 人の世話に ならなければ 物事が できないために 自分独自の遊びをやっていました。
それは、空想の遊びです。友達と 遊ぶにしても 頭の想像 で 遊んでいました。
例えば幼い時から 車が好きだったので よく 車のエンジン音のものまねをして 自分が運転して ドライブでも 行くような 想像をはたらかせてました。
ローからセカンド、サード・・・ エンジン音が変わります。街中を抜けていきます。
信号が変わって再び、ロースタートです。六甲への入り口を入っていきます。
目的の場所へ、山頂に上がりました。
さらに行きたいところ に 行きます。そんな 気分で 風をきり、山を超え、海を眺めにいったことなどが思い出されます。
常に 家に一人で いる時間が 長かったので このような " 空想遊び "で 自分自身を 慰めていたのかもしれません 。
その中でも僕には とても好きな光景が年に一度あります。
それは、" だんじり祭り "です。
その時期、 母親に 車いすを押してもらって現場に連れて行ってもらってました。
よく お昼後、食事もそこそこに居ても立っても居られないため母に無理を言って長時間にわたり だんじりの後を追いかけまわってもらいました。
だんじりが 好きな私は 見にいけない時、 空想の 中で よく だんじりの 太鼓の音などを 口真似 をして 祭りの参加を 空想で 楽しんでいたのです。
だんじりでは、山車を引っ張る役、山車の上で掛け声を威勢よく発声するものの役など、囃子太鼓のたたく役は特によくやっていました。じゃかじゃかじゃん じゃかじゃんじゃかじゃん、じゃんじゃんじゃんじゃかじゃんといった風に口ずさみ空想を盛り上げてました。
また 自分自身の障害のことを考える時 幼い時から貧乏だった家庭をなんとかしたいという思いから、働けるなら将来の事を考えてはどのような 職種が向いているだろうかとか思い描き、 車が好きだった私は 観光バスの 運転手になりたいなと 思ったり、 またもや 空想の世界に 入りました。
時には、 ダンプの 運転手になって お金儲けを 毎日のように過ごしていたことを 今でもくっきりと 覚えています。
そして 年頃になってきた私は 当然異性を意識して好きな人もできました。
しかし、現実的には到底むつかしいことなんだとの思いから、空想でデートをしたり、新婚家庭を想像したりとまたもや 空想の世界に入り込みます。
私自身が 相手に好意をもつことによって身体が不自由なために相手を 苦しめたり 負担をかけてしまうとの意識から、常に 自分の事を考え相手に 負担をかけるだけだと思うと 強くなれない 自分の弱い気持ちから 遠慮してしまい 本気で ぶつかっていけない自分がいるため、実際に 諦めてしまうので、現実としては 全てが 空想の世界でしかないのです。
そして、思春期なるころにつれて困ることが 多くなるにもかかわらず、 女性との付き合いができずにいる自分にとって空想の 世界を さまよい 続ける だけで 思春期から 現れてくる 要求 など に対しても解決ができないまま、 自分自身の中で すべて想像とごまかしの日々の中で過ごしていました。
全てを 諦める ように 自分に言い聞かせ ながら 毎日 ごまかし日々を過ごしていました 。
そして そのような ことばかりを考えては 実際にできない 事 もあるので 自分の気持ちを ごまかしながら 楽しんで 来たことも 今では 懐かしく 思うばかりです。
本当に 重い障害を もつ ものにとって 現実 の 社会の中で 生きていくうえで 空想と 想像 の 世界 で 生きていくしか ないのでしょうか。
幼い頃から 私自身も 随分と このような 現実世界で 生きてきた一人です。
その中でも まだ 私自身は 夢を叶えられた方で 充実した 日々を送ることもできましたが、 本当に 重い障害者にとっては 空想と 想像の世界 で 自分をごまかして 生きているのが 現状と言っても いいのではないでしょうか。
こんな記事をお読みいただきありがとうございました。
大変うれしく思います。今後ともよろしくお願いいたします。
感想など聞かせてもらえたらうれしいです。
—ぐらべるあっちゃんー 🚙
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