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人間関係(重度障がい者にとって)

私が 68年 生きてきて 感じている ことといえば

人間関係で つくづく 障害のある私にとって 疲れ果てて しまったと 気づきました。


それは 生まれつきの 障害を抱えた 私にとって 多くの人に 手を借りなければ 何一つ できないこと。

その中で辛抱しながら お世話にならなければ いけないという 自分の性格からの 毎日の暮らしの中で人間関係を送っています。

自分自身をごまかし 毎日を過ごして しまっている自分に 腹を立てながら 過ごしている ことに対して 嫌になり 疲れてしまったことは ありません。


幼い頃は 純粋すぎるぐらい 何事に対しても 素直に受け止めていた私は 今のような ことなど 考えてもみなかったのですが 今まで 何事に対しても 挑戦をしながら 生きてきて社会的にも 健常者と 同じような 受け止められ方だと思っていただけに 今更のように 障害の 立場から なぜか 人間関係が 崩れていく ような出来事ばかりで 自分の気持ちに ひがみが 出てしまっていることにすごく自分自身の気持ちに嫌になってしまいます。


いくら 生きていく上で誠意をもって付き合おうと考えていても その 誠意は相手に通じることはなく、世話になっていることによって 通じることはなく、逆に相手の目線は 常に 低い次元で 受け止められることばかりとなり、相手からの常にでる言葉が 何も分かっていないかのように 私への意見や 注意となっています。

それが度重なっていくごとによって私自身の気持ちがその度に腹立たしく思うこと、

そのうえ、感情からきつい言葉となってしまっています。

世話になっている人に 不快感を与える結果を招いてしまっています。

人と人との 付き合いもなぜか 消えてしまうような ことが 日常茶飯時になってしまっています。

その ようなことに なってしまうのも 私が生まれた 時代までは 重い障害を持ったものとって 全てと言っていいほど 常に周りの人から 固定観念として思われてしまうみたいで障害者自身が社会的に勉強することができない知恵遅れで、社会的に遅れていて、常識的にも 分かっていないように思われがちで、社会から疎外的な一括りとされ、 健常者とは同じような 認められ方は 難しいのが 今の社会の現実とも 言えます。


昔から 障害があるからと 一括りに思われ、いくら 重い障害 を持つ 私であっても 昔から ある程度 社会的な 常識をわきまえ、ある程度は 常識を 踏まえて 物事を 言わせてもらっている つもりであり、そのうえで障がい者理解を求めていたのですが なぜか 全てが 受け止められず 、私の考え方が 間違っているような ことで すべて 終わってしまい、 今生活の中において 周りの人から 介護受ける 私自身が間違っていることを前提のもとで 気を悪くされ、怒っているような 態度で 介護を 受けなければ いけないのはどういうことなのでしょうか?

介助を受ける立場であり、自身の生活の場のためのサービスのはずが、望まない感情的な介護の雰囲気を感じてしまうような場に身を置き、そこで生活をおくらなければならない自分自身にすごく 矛盾点を感じており、嫌になってしまいます。


私のひがみなのでしょうか?

最近よく思うことは 昔の 純粋な 自分 の気持ち に戻りたい ということ。

そして お世話にならなければいけない人たちと 素直な気持ちで 付き合っていける 自分になりたいのが今の自分の 素直な気持ちです。

本当に障害があるがゆえに世話になる人との付き合う難しさを毎日のように感じています。


やってもらっている 立場から 自分の感情を 出した時、嫌な 状況が生まれる現状があります。

介護をしてもらう時などに何とも言えない雰囲気の居心地の悪さを感じます。

感情的にお互い 複雑な 心境のまま介護を 受けなければならない状況になります。

嫌な思いを引きずり、その場が気まずい 雰囲気が 漂ってしまいます。

その人から 自分自身が 嫌になる時があります。


そんな時でも 我慢する必要があります。

お互い 嫌な雰囲気のままで も、受け入れて 行かなければ ならないのが 今の 現実社会なのかもしれません。

本当に 嫌な人で あったとしても 障害がある者にとって 世話になりながら 介護を 受けなければいけないのです。

今の社会 、障害がある者にとって我慢ばかりの時間が過ぎることにほとほと 疲れきっています。 人間関係に嫌になって います。


まだまだ私たちの置かれてる立場から言えば 自由が あるとは 言えない 社会が現実なのです。

障害者の自立、福祉社会が クローズアップ される 世の中であったとしても 私たち 障害のある者にとっては 充実社会とは程遠いのが 現実 社会 なのでは ないの では ないでしょうか ?


本当に 私は 悔しい思いで いっぱいです。


重い障害を抱えながらも 68年間 前向きな 姿勢で 社会的な勉強 を人並みに受けてきて、それなりに常識も覚え皆さんとお付き合いを自分なりにさせてもらって来たつもりでいたんですが、何かにつけてこちらの 間違えであるかのような付き合い方をされる世の中に憤りさえ 感じて います。


本当に重い障害 を持つ者にとって人格も なくなって相手が 高い目線から見られていることに馬鹿にされる ように見えます。


私たちにも 感情は 持っていますしやってもらったことに対しても 感謝の気持ちも持ち合わせているつもりです。

そのことを分かってもらえず言われるのは人間関係を無視されるのと同じではないでしょうか ?

偉そうな ことは言えないけど 私たちにも プライドも あるし、人として認めてもらいたい 気持ちでいっぱいです。


よくよく考えてもらい分かってもらいたいと思っています。

長々と 書かせてもらいましたが ご理解くださいますよう お願いする次第です。



ぐらべるあっちゃん


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