何気ない日々:映画「Every Day」私的感想

2016年08月05日
新宿K'sシネマで鑑賞。

新宿K'sシネマで7月23日から8月5日までレイトショー上映された手塚悟監督の映画「Every Day」の感想を、ごくごく私的な観点からつらつらと書いていこうと思う。

私的な観点から書くので、記憶違いや記憶の抜け落ちはご容赦。

原作から知っている人間は少ないんだろうけど、俺はその一人だ。
mixiが全盛期だった2008年に、原作は書かれた。

原作者:冨士原直也は大学の同期で、なんやかやあってお互いを良く思っている関係(ん? キモチワルイ表現になってるって?)を築いてくれている、数少ない友人・戦友・盟友の一人だ。

確かある日突然だったと思う。
mixiの冨士原の日記に、急に連載は始まった。
1週間のストーリーを1週間かけて書く、そういう試みは、明記していなかったと思う。
でも、すぐにその趣旨は伝わった。

俺は冨士原マニア(w)なので、彼がweb上で発表し続けた表現作品を、ある程度観察し続けていた。たぶん、ほとんど。
だから、「お」と思って読んでいた。
個人的な感想を個人的に伝えたかどうか、覚えていない。
でも、好きな作品だったのは覚えている。

それから3年後、2011年、舞台化されて、上演された。
脚色はされていたものの、mixiでの脚本とは大きな変更はなかったように思う。
ここに再掲はしないが、当時、かなりの酷評をmixi上に載せた。
それは原作の良さが活かされていない、そういう舞台だったような記憶がある。それは原作がソーシャルネットワークというものの特性を最大限に活かした作品だったが故に、台本を愚直に演出した舞台に納得がいかなかったんだろう。今思い返しても、どんな舞台だったか、あまり記憶にない。多少寝たばれになってしまうが、ラストの方のある描写を演じていた役者さんの面白さしか記憶にない。

んで。

映画化される、という話を聞いたのはいつだったか。
もう撮影が終わった後だったように思う。
確か2013年の年頭だったと思う。
これは書いて良いのかわからないので、少しぼかすけど、冨士原と、映画の主要場面の撮影が行われた場所に俺は行って、そこで少し手塚監督への愚痴も聞いた記憶がある。
冨士原のアドバイスで、花を一輪買って持っていった。

んで。
話は飛んで2016年、今年。
無事に映画が完成したとのこと。
Facebookでフォローした公式アカウントでいろいろ知る。
そして手塚監督が、俺の母親の出身地である山梨出身であることを知り(地理的には全然違う地方なのだけれど)、妙な親近感を覚えた。

んで、新宿でレイトショー公開決定とのこと。
素直に嬉しく重い、是非でも観に行かねばと思っていた。
いたんだけど、いかんせんスケジュールが合わない。

今回観に行くのを決めたのは、最終の上映が始まる23時間前の8月4日の夜10時。個人的な理由が重なり、観には行けるけど体力的に問題がある日程だったので、見送らざるを得ないかな、と思っていた。

だがだが。
原作とは言え友人の作品である。
脚色されて撮影されて編集されて映画として完成した時点で、もうこの「Every Day」という子は原作:冨士原直也の子ではなく、監督:手塚悟の子供になっていっているのは承知。
承知の上で、不義理を働きたくない。

ので。
冨士原を良く知っている大学からの深い友人のテッピーを誘って、観に行くことにした。テッピーはアカウントは持っているものの、全然Facebookを使わない人なので、公開自体を知らないで観に行った。逆に言えば、前情報が何もない状態で見た、幸福な観客だ。
個人的に超ハードスケジュールなんだけど、それくらいなんだ、別に困りゃしないので、とにかく観に行くことにした。

前振りが長いのは承知だけれど、もう少しお付き合いを。

あらかじめチケットは早くはけると聞いていたので、11時50分くらいにフリーで新宿にいたのでK'sシネマで購入。順列順に入場して後は自由席、というスタイルだったので、1番と2番をゲットして、それとこれまた数が少ないと聞いていたサントラ付きシナリオも購入。
それからは私用&テッピーと落ち合って食事。

そして迎えた午後9時。
上映開始。

ここからはある程度ネタばれをするので、気になる人は回れ右。

感想としては…単純に、ただただ単純に良い映画、心地よく、そして切ない95分間だった。

一番の成功は、舞台版と違って、「原作:冨士原直也」「脚色・編集・監督:手塚悟」の映画になっていたことだと思う。

ある程度の筋はわかっていたし、覚えていたし、事実その通り進む。
その進行のさせ方が、舞台版が舞台用の舞台としては成立していなかったせいだったのかわからないが、あくまで「映画的」に進む。
映画として、原作の「Every Day」を最大限に活かし、映画の世界に引き上げていったと思う。

冨士原の個人的動機から執筆され、SNSから発信された「戯曲」が「シナリオ」になり「映画」に昇華されていっている。

それは演劇では出来ないことを、戯曲の世界でしか出来なかったことを、映画の世界でしか出来ないところに持っていったことが、今回の映画が単純に良かった、と思える作品になった成果だと思う。

もちろん、ここまで酷評しか書いてこず実際個人的動機から記憶が薄い舞台版の「Every Day」も、舞台でしか出来ないことを舞台として表現していた。
それがSNSの戯曲のよさの域を出てこなかったから、俺は舞台版をあまりよく思っていない。

だからこそ、第三者である手塚監督が、冨士原と打ち合わせし検討を重ねただろうとはいえ、手塚悟の「Every Day」に仕上げたことが、かえって原作:冨士原直也の、あの私的な「Every Day」が普遍的な作品であることの証明になっていると、感じてしまう。
少なくとも、友人の目線からはそう写った。

ただの日常。
「Every Day」
その「当たり前」という名の奇跡をつづった作品だ。
特別な、当たり前。

演技陣も素晴らしかったと思う。
主人公の三井の不器用さ。
同じく話の中心である咲のふんわりとした存在感。
映画オリジナルのキャラクターでありつつ、世界観を壊すことなく、むしろ世界観を押し広げた、菊池ときなこ。
存在感そのものが面白い、そして意外な人物である吉田。
三井への想いを、本人にストレートにぶつけられず、そして別の形でしか表現出来ない津嶋。
そして、この作品のもう一人の主人公、咲の父親:辻村芳雄。

クライマックスの、三井の不器用なまでのストレートな告白。
そしてそれを受け止めて、決定的なセリフを言う、辻村。
この場面は、このふたりの演技でないと成立しないと思った。
辻村は、この人でなければいけないと思う。

音楽も素晴らしく、前面で使われているにも関わらず、そして、原作のモチーフになった曲「Every Day」の雰囲気を中心に据えているにもかかわらず、決して映像表現・演技陣の表現を過剰に盛り立てるのでもなく、かといってかき消されるのでもない、とても繊細な響きのharuka nakamuraさんのサウンド。

それに忘れてはいけないこと。
シナリオを、映像化し最終的に育て上げた脚色・編集・監督手塚悟さんの、この作品への想い・情熱・信念。
この作品を8年かけて愛し続けた、その想いが、この作品を、個人から大衆へと広まっていったのだと思う。

ここからはまた私的な雑記めいた部分に戻ります。

上映後。
監督と、当日急遽集まったキャスト陣の舞台挨拶があり、冨士原も登壇したのだけど、こっちを見つけて笑っているように見えた。
テッピーとクレジットのことで少し話し、ロビーに出るとキャスト・監督と話が出来るようになっていた。
冨士原は誰かと話し込んでいたので、先に、大学の後輩でもある、津嶋役のうっしーこと牛水里美さんと久し振りの再会。俺は彼女の舞台を見ているが直接話をするのはテッピーと一緒で10年以上ぶり。うっしーは、ステキな女優さんになっていたけど、横でテッピーが「相変わらずうっしーは食べるなぁ」と言っていて笑った。本人は「そんなにですか?」と、これまた笑っていたけど。
冨士原と、もちろん挨拶。俺自身は個人的な動機で冨士原とは割と会うのだけど、テッピーとは7年ぶりくらいらしく、久し振りの再会を喜んでいた。
素直な感想を述べて、俺とテッピーは退出。

と。
すっかり長くなってしまったが、これが私的な、映画「Every Day」の感想であり、想いだ。

後はこの文章をどう受け取ってもらっても勝手だけど…。

ひとつだけ言わせて貰うと。
願わくば、もっと大勢の人の目に、心に届いて欲しい。
もっともっと多くの人に届け。

なんてね。
おしまい。

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