In My Life (2015/10/14)

自分にとって、大切に思っている人がいる。

別にそれは恋愛感情ではなくて。
異性、同性、問わず。

今も付き合いがある人。
これから付き合いが生まれるかもしれない人。
もう付き合いたくない人。
もう付き合えない人。

それは幼馴染み。
それは中学時代の恋愛相談に乗ってくれた女性。
それは高校時代の演劇部時代に苦楽を共にした仲間たち。
それはハタチ前に先に旅立っていったアイツ。
それは大学時代に生れた腐れ縁。
それはお付き合いをさせていただいた方。
それは学生時代の関係がなくなった今こそ、腹を割って話せる友人。
それはネットを介して知り合った、本名こそ知らないけれど、そんなことが気にならない話仲間。
それは「演劇」という共通事項でつながっているたくさんの縁。
それは飲んだくれた俺のベロベロな話に付き合ってくれた、これからの友人。
それは親しくさせてもらっているが故に、ひそかに負けたくないと思っている人。
それはこんな俺のことを待ってくれている大勢の人。
それはこんな俺に期待をかけてくれている人。
それはほかならぬ俺自身。

俺はジョン・レノンじゃないから、死にゃしないが、In My Lifeの人たちを考えている夜なんだ、今夜は。

自分は長いトンネルに入り、他人より人生経験の少ない道をトボトボと歩いて来た。
振り返ってみたら、「思えば遠くへ来たもんだ」となってしまった。
10年前なら、悔やんで悔やんで泣いたと思う。
でも、今は違う。
こう歩かざるを得なかったんだと思っている。
それは病気を患ったからの諦念、なんかじゃない。
別に俺は運命論者でもないし、神に誓って無神論者(ここ笑うところ)だけど。
この道に、誇りや自信はないけど、でも、恥じることはないと思う。
これが俺の人生。
他人の評価はどうあれ、今、歩いて来た道の結果の果てにいる、俺という形。

なるべく自虐にならないように書きすすめるけど。

いろんな人に支えてもらい、いろんな人と出会い、いろんな人と別れ、いろんな人とこれからを共にして、いろんな人が去って行くだろう。

そういう人たちに、俺はどう思われているだろう。

「厄介な人」「面倒くさい人」「優しい人」「最後の最後で黒い人」…とかの印象は様々だと思うけど、そういうことじゃなくてね、ここは。

最近、自分のことを「失語症的」「虚言癖」と思うようになっていて。
それが、期待をさせるばかりで実を伴っていない自分の現状な気がしていて。
戯曲について学んで、それから先、バッタリと失語症的に台本が書けなくなってしまった。
方法論は学べるものをたくさん集めたり、学んだりしている。
でも、書けない。
「書く書く詐欺」と自虐的に名付けたことを言いふらしたりした。
いろんな人に「ホンを書く」と言って、書けない、という醜態を繰り返してきた。
それはスランプや経験不足ではなく、知らず知らずの虚言になっているんじゃないか、と思うようになっている。

…暗い話はもう少しで終わるから、もう少し読み進めて欲しい。

でも、自己分析や自己批評は必ずしも良い方向に転がるとは限らない、と、ン年ぶりにネット上で再会した同期生に諭された。
「恥じることだけ上手になって」と、誰かさんの本のタイトルにありそうな、そんな感情も芽生えたり。

「孤独」
「孤高」
そんなものに憧れた時期もある。
だけど、今は違うんだ。
人に支えられて俺はここにいる。
顔が見えようが見えなかろうが、俺はたくさんの人に出会いめぐりあって、人と繋がっている
そこに「孤独」はないと思う、少なくとも、俺の思う「孤独」は。

忘れられない場所がある
人生の中でいくつかは変ってしまった
永遠に良くならない場所もある
もうなくなってしまった場所もまだ残っている場所もある
全ての場所にはそれぞれの瞬間があった
それにまつわる恋人や友人達を僕は今も思い出す
死んでしまった人もいるし 生きている人もいる
僕は人生で僕はそれら全てを愛している
- In My Life- [The Beatles]

俺の人生はまだ続く。
たかだか34年と4ヶ月、その年月が去って行っただけだ。
まだ続く、明日からのIn My Lifeで、どんな人と出会い、どんな道を進んでいくのだろう。

いや、進めていく。
他者のサイコロじゃなく、自分の意志で。
進めていく。

そんなこんなを考えた、2015年10月13日(14日)の夜中。

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