[groovisions 100 works] デザインの軽さ、スピード
groovisionsのデザイン・アーカイブをテーマごとに解説していく企画です。登場人物はgroovisionsのメンバー。第2回目はデザインの軽さ、スピードについて。
スピード感をデザインする
原 朝日出版社から出たアイデアインクのシリーズは、昔、80年代にあった週刊本っていう書籍シリーズの現代版を想定したプロジェクトでした。雑誌の連載やブログのような感覚で、旬の話題を扱っていくシリーズなので、その速さや軽さ、いかにも安そうな感じを形から伝えたかった。それで、なにかいい仕様がないかなということで、付箋、ポストイットみたいなというか、色上質紙で全部つくってみたら面白いんじゃないかな、という提案をしました。色上質のいいところは、厚い紙から薄い紙までヴァリエーションがあるので、意外に本に適していたというのがあります。
伊藤:なるほど。厚みが揃っているから、同じ紙で本文以外に、カバーとか用途の違うポストカードとか、同じ種類の紙でいけるってことですね。
原:たとえば、アート紙とかだと厚い紙がないから、本表紙やポストカード用の紙は別に用意する必要がある。色上質以外に選択肢があるかな?っていうぐらいかも。
伊藤:まぁ、スピード感ということなんでしょうね、結局は。
原:そうですね。あと、ちょうどこのころ本格的に電子書籍が出だして、そろそろ紙の本がやばいんじゃないか、みたいなことがわりと強く言われていた背景もあって。それで、電子書籍もありだけど、紙で出す積極的な理由みたいなものを考えてみたってことですね。
伊藤:内容も何ていうか、すごく詰め込んだ、というより、、、
原:いわば、連載していたブログをまとめたような。実際の編集はそう簡単ではなさそうでしたけど、盛り込みすぎになりすぎず、旬を逃さないよう、気をつけていたと思います。
伊藤:分量的にも、さっと一時間で一冊読めちゃう。そういうような情報のスタイルとこの本の仕様がマッチしている。
原:そうですね。
伊藤:今回のテーマとしては、全て高級であれば良い、という話ではなくて、安そうで消耗品的な素材だからこそ成立するっていうコンセプトじゃないですか。それが一番うまくいっているものがこれなのかなと思っていて。軽さやスピード感みたいなものが、逆にこういう紙じゃないと演出できないというところがある。ほんとに安いかどうかは別として。
原:実際、色上質って普通の紙で作るよりは高いですからね。
伊藤:実際は安くない。それよりも安い、というイメージがとても重要で。時間やお金をかけずにササっとまとめました、みたいなことをイメージさせる仕様だからこそ成立しているデザインなんでしょうね。
ポストイット的
原:ティッシュとかも近いですね。
伊藤:そういう意味ではティッシュペーパーとかガムテープとか消耗品的な素材はあるんだけど、そのなかで一番象徴的なものとして、ポストイットがあるんじゃないかと。例えば、名刺っていうのは個人を代表する何かだったりするから、決して安いイメージであってはいけない。ちゃんとしてないといけなくて、それは使い捨てではなくて受け取った人がずっと取っておくことが基本なんだけど、それをポストイットで作ったのが付箋名刺の特徴で。
原:ちょっとねじまがってというか、ひねくれていますね。
伊藤:ひねくれてるというよりは、むしろこうであってもいいという、それが本当に機能的かどうかは別として、わりと正直に「名刺って本来こんなんでいいんじゃない」というメッセージがあるような気がしますね。そこは前にでた機能的なグラフィックの場合とは違う、わりと素直でシンプルなデザインという気がする。
原:なるほど。パソコンの横にちょっと貼ってね、というような。
伊藤:そうそう。これをもらった人のちょっと困る感じとか、変な話、最初の挨拶ではネタ的に意外とプラスだったりする。これを笑って許せるくらいの人とは仕事もしやすいと思う(笑)
原:まあ、本というのも、どっちかというとちゃんとしたものというか。きちっとしたアーカイブとして並べて、決して消耗品ではなくて、なるべくきれいに保管しておくものなんだけれど。これ(アイデアインク)は、読んだら次に行ってくれと言わんばかりのスタイルになっているから、そういう意味では付箋名刺とアイデアインクっていうのは、どちらも同じコンセプトといっていいのかもしれません。
伊藤:ニルギリスのCDもポストイットものですね。
原:軽さの演出というか。これはもともと撮影の時からこうする前提で撮ったんですか。
伊藤:そうですね。デモテープとか、送られてくるサンプル盤のようなスピード感があるといいかなと。フェイク感みたいなところではスネオヘアーのビリっと切れたような感じとか、雑に切ったガムテープみたいなものとか、なんかこうチープな素材と相性が良くて。隙間感というか、ちょっとヌケがよくなる感じですかね。
実はコストがかかる安さの演出
原:さっき思い出したんだけれども、メトロ(京都METRO)のフライヤーの最後の、靴の包み紙みたいなペラペラの、、、あれも似たような感じですかね。
伊藤:そうですね。
原:あれ、最後って意味があったんですよね、京都メトロ最後のイベント。グラフィックもわりと仰々しい、というか。それをチープ感ある靴箱の緩衝材として使われている紙にプリントしている。
伊藤:イメージとしては安っぽいんだけど、プリントが難しくてとても高額になってしまって。そいうったところもアイデアインクに似てますよね。チープなイメージを求めると結果的にコスト高になる(笑)
伊藤:こういうポストイット的なものって他にないですかね。例えばビニール傘とか。
原:そうですね。あとはスーパーのレジ袋をあえて使うとか。
伊藤:それはやりましたね、ウォーホールの展覧会で。ポップアートだからね。そういう意味では消耗品、大量消費的なテーマとしてはマッチしてい
る。確かにこの仲間ですね。
原:ramjamのクッション封筒とか。
伊藤:ありましたね、あれもコストがとんでもなかった(笑)
原:チープなイメージを求めるとコスト高になるってのは矛盾した話だったりするけど、消耗品的なイメージそのものが実際非常に機能するということで、そこが一番キモになるような気がしますね。
伊藤:うちの得意な段ボールもそうですね。
原:梱包用の。あれも昔、なんでやたらと段ボールを作っていたのか。。。やっぱりどこかこういうものが好きなんですかね。
伊藤:実際、うちの事務所ダンボール置きっぱなしだしね。
原:うちがそれをよしとしているけど、普通はここから中身を出して整理をする。引っ越し途中ですよ、この事務所。
伊藤:でもこれが一番落ち着きますね(笑)
***
伊藤:映画評論家で、groovisionsのメンバーだったミルクマン斉藤が、1月2日に肝腎不全で亡くなりました。昨年末に調子を悪くして入院、大晦日に会いに行った時は、なんとか治療していけるかもしれない、とのことでしたが、年始に容態が急変してしまって。
原:とても残念です・・・
伊藤:ミルクマンに関しては、田中はん(FPM田中知之さん)、松山さん(松山禎弘さん。京都のヘアサロン・ロマンザのオーナー。)なんだよね。さらにいえば、原さんが松山さんと知り合いでなかったら、その後はどうだったか・・・自分も最終的にミルクマンに出会っていない可能性もあって。なにか綱渡り的な人脈でミルクマン斉藤にたどりついた。
原:たしか田中さんとミルクマンは古い付き合いですよね。
伊藤:古い古い。古いんだけど、田中はんもミルクマンもだけど、みんなサバサバしてるからね、松山さんもそうだし、うちらもそうだし。なにかあるとガッと集まってやるけど、普段からグズグズとつるんだりする感じでもなくて。やっぱりメトロとかでやるイベントがみんなを繋げていたような気がします。
そんな出会もあってミルクマンとVJやることになるんだけど、彼が作った映画のカットアップに小西さん(小西康陽さん)がとても強く反応してくれたわけです。だからミルクマンじゃなかったらたぶんピチカート(ピチカート・ファイヴ)のお手伝いもなかっただろうし。ということは自分もなんとなくああいう渋谷系の渦に巻き込まれて京都から東京に吹き飛ばされることもなかったんじゃないかと。
原:伊藤さんもデザインしていなかったかもしれないし。
伊藤:ほんとそうだね。ずっと大学にいて今頃京都で定年に(笑)。だからミルクマンと出会ったことは超レアというか奇跡的なラッキーがそこにあった、という感じなんですけどね。
原:ミルクマンの映像を最初に見たときどうでした?
伊藤:まあ、超絶オシャレでしたね・・・彼の見た目に反して(笑)。あとやっぱりただ映像をつなげてるだけじゃなくて独自の世界観とかコンセプトがあるのがわかるからどこか批評的なんだよね。彼自身ちょっとキワモノにみせてるところもあったけど、実際は極めて普遍的でどっしりした哲学のうえで表現していた。あとで考えるとミルクマンの文章もそういうところあって、そういう一貫性みたいなのってほんと揺るがなかった。
伊藤:90年代は、ピチカートが解散するまではやっぱり、一年に一度、ツアー前の映像制作で、なんかものすごい濃密なミルクマンとのやりとりがあって。うちら途中で、97年に東京に移っちゃったんだけど、ピチカートは2001年まで続いていたから、修羅場になるとミルクマンが東京に来て、それはもう大変でさ。うさぎの本(GRV2000)に付いてるミルクマンのポスターは、疲れ切って東京の事務所で寝ている時のもの。
原:けっこう来ていましたね。
伊藤:来ていた。それもだし、ピチカートはすごい大変で、というか時間もなくて。とにかく、ミルクマンが作業するのが終わったら、自分ががそれをスタジオに持っていって編集して、また戻ってきて「ミルクマン早く!」、みたいなのを永遠とやっていたような気がしますね。
原:現場でスイッチングするみたいなのは途中からなくなったんですか?
伊藤:結局最後までやっていたよ。やっぱり現場のスイッチングってほんと重要で。
原:ツアーも地方全部回っていましたもんね。
伊藤:ミルクマン、スイッチングほんとうまいのよ。ミュージシャンだからというのもきっとあるだろうけど。ものすごいうまくて真似できない。
原:ノリノリでやっていましたね。
伊藤:ほんとに楽器のようにスイッチングする。結局自分は一切やらなかったもん、現場で。完全に彼に任せて。自分は全体構成図みて、「次これだよ」「次これだよ」と渡して。でこっちで映像の頭出してスタートしてミルクマンに「どうぞ」とか(笑)。
原:結局ミルクマンは映画評論家としてそのまま大阪にとどまるわけだけど、鼠(2012年から2015年まで、大阪のブックカフェ ワイルドバンチで開催されていたトークイベント「ミルクマン 斉藤の日曜日には鼠を殺せ」)のビジュアルとか三三屋とかで関わったりしますが、何年も会わないこともありましたよね。
伊藤:ほんと5年くらい会ってないこともありました。それでも会えば昨日も一緒に飲んでたかのように話し始めるんだけどね。年始に開催予定だったミルクマンのイベントは自分も登壇する予定だったから、ひさびさに根掘り葉掘り話を引き出してやろうと思っていたのですが・・・
原:ほんとうに惜しい人を早くに亡くしてしまいました・・・
伊藤:まあ、普通の人間じゃなかったからね。映画に限らず明らかに才能の塊だった。在野のインテリというか偉大な知性があってね、ああ見えて。普通の人間の尺度では語ることができないみたいなところがあってさ。
原:昨年の祇園祭の前に河道屋で雑草鍋(失礼、通称です)つついたのが最後の飲みでしたね。
伊藤:そうでした。ほんとうに彼に会えて幸運だったし、ミルクマンには感謝の気持ちしかありません。自分たちに限らずたくさんの人が同じ想いをもってると思いますので、しばらくしたらミルクマンの偉大な人生を称える会を開催する予定です。またその時にお知らせします。