私が、私を綴る理由
過去記事を、抜粋してまとめていくことは、何年も前から提案されてきた。
文章力は、私の才能ひとつ。
それを評価されて、いずれ出版も考えていいのでは、と言われたりもしてきた。でも書かされるのは億劫で、生返事を繰り返してきているが、言葉を綴ることはとても好きなので、今は、やってみたいなと、思ってはいる。実現はまだまだ未定だ。
これまでは、過去記事の掘り起こし作業自体への面倒くささもあり、やらなかった。そうこうしてると溜まる一方。
そして本心は、なによりも、
自分にとって過ぎ去ったものに
自分ではそれほど価値を感じなかったから。
もともと、自分への不信感や嫌悪感が強かったから、それをいわば、正当化したり、慰めたり、言い訳やつじつま合わせ、整理をするために、自分に向けて書いたものも、振り返ると多い。
でも、時間を経るにつれて、発信の内容は、いつしかターゲットが変化し、
自分 → 読んでいる誰か
に変わっていってた。
最近は、プログルーマーに向けての発信が大半になっている。技術的な事も多くなっているけれど、根本は、
愛で犬に触れ、心で仕事してほしい
という想いだ。
プロとしてのスキルも上がり、経験も増えてきて、教えるという立場としても能力を伸ばしてきている今の自分がする発信は、多くのプログルーマーに、何かしらのヒントを投げられるようになっている自覚がある。
数年前は、「私の技術やレスキュー経験など、大したものでは無い」と本気で思っていたけれど、
謙遜せず、自分のスキルに自覚を持つことが、誰かの役に立ち、犬の味方になり、飼い主の救いになり、社会に貢献し、殺処分を減らす意識の底上げに繋がるという、ビジョンがハッキリ見えたとき、「必要なことなのだ」とわかった。
私は、実際はとても気性が荒く、協調性に乏しく、こだわりも強いため、基本は大きなコミュニティには属せない。
集団に属すると、
君はその中で、ガンになる
と、医者に言われている。
だけど、私は幸い、それを悪い印象として与えない見た目や雰囲気を持っている。
実際がどうであれ、私はそのような印象を与える。
と、いうことを、心療内科で教えてもらい、ちゃんと覚えた。
私は、そのイメージを利用して、先に書いたビジョンを具現化すべく、現在は文字だけでなく、全国各地に出向いて、愛をベースにしたグルーミングの在り方や、具体的な技術指導を、生業のひとつにして、使命感をもって発信をしている。
現時点までは、そうだ。
でも、今後はどうか?
と想いにふけったとき、ステージが変わる時を、
今感じている。
過去に自分に向けた言葉たちが、同じ文字列のまま、現在の私とドッキングして、「読む人」に向けた言葉に生まれ変わるのを感じているし、
自分の仕事や犬への想い、技術指導の発信が、
次に教える立場になる人を育てるための発信にシフトしていくことも感じている。
そうでなければ、私が目指す到達点に繋がっていくプロセスを、発展させられないことに、気づいている。
私たちの仕事は、淡々と作業工程のスキルをあげるだけでは、成り立たない。
仕事で、刃物を向けながら触れる相手が、
血が流れ、痛みを感じ、心を持って、恐怖や歓びも感じる、
生き物であり、
なおかつ、
その子達は、誰かの大切な家族であり、
そのうえ、
飼い主も、同じように生き物である。
という部分で、彼らに触れるグルーマーは、技術スキルだけじゃなく、その心も、ふくよかでなければと思う。
これは、自分自身にも言えることで、
実際の気性があらかろうと、協調性がなかろうと、変わらない。
そのことを、私は、自分との向き合いの中で気づき、知っていて、不特定多数に発信する力も持っている。
技術の部分も同時に伝えるスキルも持っている。
完璧ではないし、確実な正しさでもないし、技術でいえば上はいくらでもいるけれど、
心と技術の、両方を伝えられるスキルとカリスマ性を持った人間は、そうそういない。
自分がやらずして、誰がやるんだ。
これだけ恵まれた環境の中に、自分で選択して自分の身をおき、伝道師として必要なものを持ち合わせている自分がやらずに、誰がやるのか?と、今、考えている。
Misakoなんて大したことない
と思う人も、もちろんいるだろう。
ペット業界の小さないちぶの界隈で多少有名になった程度、と思われることもあるだろう。
でも、今の私にできそうなことは、私にしかできないこともたくさんあると、私は感じているのだ。
過去記事を掘り返し、
現在の私の言葉も織り交ぜながら、
私にしか書けないものをここに綴ることで、
今日からの仕事や、今からの自分の在り方を変えるポイントになることが、出来るかもしれない。
グルーマーだけじゃない。
発達障害を持っていても、輝いて生きるすべがあることも、魅せて行きたい。
当事者だけでなく、発達障害をもつ子供を持つ親にも。
私自身が障害の当事者であり、べつの発達障害を持つ子供の親であることも、私にもたらされた、「恵まれた環境」のひとつずつであることを、しめしていきたい。
全ての人じゃなくてもいい。
私の生き方や経験談、そして私の仕事の仕方や、私の技術が、
私に興味を持って、あるいは関わってくれたうちの誰かの、
支えや、勇気や、気づきや、小さな1歩に、繋がればいいなと思う。