「ワーク」を捨てて「ライフ」を選んだ、私の転職について
私は調剤薬局で薬剤師として働いています。
ただ、一度だけ転職の経験があるのです。
業界最大手の会社から、今の、1軒しか薬局を持たない会社へ。
それは、出世という名の「ワーク」を捨てて、子どもたちとの日常という「ライフ」を選んだ転職でした。
今日はそんな私の「選択」の話をさせて下さい。
最後までよろしくお願いします。
子育てを見てもいない
私はもともと、新卒で入社した調剤薬局チェーンで働いていました。
そこは業界でもTOP5には入るであろう企業で、「新卒は大手にしよう」と安直に考えていた私は、特に迷うことなくその会社を選びました。
ちなみに、調剤薬局の薬剤師は(首都近郊でなければ)まだまだ圧倒的に人手不足なので、面接すればほぼ誰でも大手に入社できる、ということは正直に申しておきます。取り立てて私に高い能力があったわけではありません。
大手の会社は大方のイメージ通り、残業、会議、他店舗への応援、そして出世競争という感じで、帰宅はいつも21時すぎ。飲み会こそありませんでしたが、ワークライフバランスは明らかにワークに寄っていました。
そんな中、2019年に長男が生まれます。
私はどうしても育児も諦めたくなくて、自分なりに、がむしゃらに出来ることをしてきたつもりでした。
しかしそれでも、妻の負担は大きかったでしょう。
当時、妻の実家までは車で1時間。毎日21時すぎに帰宅する夫に対して、きっと、思うところがあったと思います。
帰ってくると、子どもと一緒に寝落ちしてしまっている妻の後ろ姿を見ながら、ああ一体どんな理不尽な出来事や、ハラハラする状況、暗澹たる気持ちが今日の彼女に降り掛かったのだろう、と。
そんなことをいくら考えても、現場を見てもいない私にはそのしんどさも、翌朝に妻が浮かべる作り笑顔の裏側も、本当の意味では理解できていなくて。
「このままで良いのだろうか」と悩む中で、2022年に2人目である長女が産まれることとなります。
「ワーク」を捨てると決めた日
結論から言えば、長女が産まれると決まったとき、私は妻の実家近くに引っ越すことを決めました。
これは私の人生の中でも、特に大きい決断となりました。
なぜなら現在住んでいるこの場所は、山に囲まれた田舎町。私が所属していた会社の所有する薬局は、近隣にはありませんでした。
引っ越しをすれば転職を余儀なくされ、それは出世競争からの脱落を意味します。たぶんもう二度と、そのレールに乗ることは適わないでしょう。
つまりそれは「ワーク」を捨て去るという決断。
30代の社会人として、それで良いのか?
家計を支える父親として、その選択は正しいのか?
そんな葛藤と闘いながら、しかし最後は、いつもの長男の寝顔を見て決断をしました。
私がもっと早くに帰ったら、妻はどれだけ楽になるだろう。
家に帰ったとき、子どもたちが出迎えてくれたら、私はどれだけ幸せだろう。
そんな明るい想像が、転職する勇気をくれました。
そして「ライフ」が始まった
私は、個人経営の薬局に転職をしました。
激変でした。
打って変わって私は、ワークライフバランスの針が「ライフ」に傾く生活を送ることとなったのです。
職場は家からの距離と、残業の少なさを優先。
せっかく転職するのだからと、ここは強くこだわりました。
いま、家を出てから車を5分も走らせれば、職場に到着します。
残業もほとんどなく、18時30分すぎには家に帰ることができます。
出世の概念は無くなりましたが、それでも事情を話すと社長は、前の職場と同等以上の給与水準を約束してくれました。
何よりも。
これまでは仕事帰りに寝顔を見るだけだった子どもたちと、今では平日でも一緒にお風呂に入って、遊んで、寝ることもできるようになりました。
寝室で横に並びながら、「今日は楽しいことあった?」と長男に聞きます。
鬱陶しいのか眠いのか、「んー、わかんない」なんて一蹴されるけれど。
新しい生活の中では、そんなやり取りすらも楽しくて、嬉しい。
自分にとって、家族にとって、良い転職だったと感じています。
まとめ
今日は「#自分で選んでよかったこと」というハッシュタグにちなんで、私の転職についての話を書いてみました。
あの選択が「正しかった」のかどうかは、今でも分かりません。
それでも。
「お父さん、おかえり!」
「おとたーん、みてみて、ピンクのふうせんだよ!」
玄関にドタドタと集まってくる子どもたちを見て、今日も私は、「自分で選んでよかった」と感じるのです。