57 ミニマリスト教師のマインドセット③
おはようございます!
小学校教諭でミニマリストのふうたです。
現在、4年生担任で研究主任3年目の中堅教師です。
さて、今回は、ミニマリスト教師のマインドセットとして、わたしが仕事で心がけていることを綴ります。
このマインドセットは、妻の勤務校にスクールロイヤーをされている弁護士の講話で学んだ「ベストワーク」という考え方を基にしています。
大変有益だったので、妻から学んで以降、わたしの仕事上のマインドセットの一つとしているのです。
今回、改めてnoteでアウトプットすることにしました。
ところで、先述した「ベストワーク」とは、その弁護士のオリジナルの考え方です。
彼曰く、ベストワークは、彼の弁護士業を通じて経験した結果としての人間関係上の問題の「解決観」のことだそうです。
そういう考え方もあるな、という程度で受け止めていただくと良いという話でした。
この「ベストワーク」は、窮地に追い込まれた状況でも、「ベストを尽くす」「元気を失わない」というのが目的です。
実社会にあっては、山の中に引きこもって悟るという暇はなく、成果を求められるという現実があり、これを避けて通ることはできません。
そのため、人は成果の実現に向けた最良の選択をすべきだろうと言われています。
しかし、「成果の実現」には、自分ではコントロールすることのできない事情がたくさん関係しているので、不確かで不安定です。
このため、「成果の実現に強く執着すること」は失敗するのではないかという大きな「不安」を引き起こします。
そこで、「自分の置かれた立場と自分の能力の範囲で、成果の実現に向けたベストの努力をする」けれども、「成果にはこだわらない」という姿勢で諸般の生活事務を進めて行くことがいいという考え方がベストワークなのです。
どうしても、わたしたちは「失敗するのではないか」「文句を言われるのではないか」「評価を落としてしまうのではないか」などの「情緒的な揺さぶり」が襲ってきます。
この揺さぶりへの対応をするのではなく、その点には触れないで、揺さぶられながらも、そのままに、成果の実現に向けた最良の選択をすることがベストワークになります。
この「成果の実現に向けた最良の選択」とは、客観的にはもっと良い方法があるかも知れないけれども、「自分の置かれた立場と能力でベストを尽くすとするならばこれだ。」と思える行動を選択することです。
そして、ベストワークの立場から言うと、「人事を尽くして天命を待つ」のではなく、「人事を尽くして天命を待たない」というスタンスを取ります。
これは「天命を待つ」というスタンスそのものが、成果を期待する者のとる態度ですので、「人事を尽くすだけで十分」だろうということです。
ポイントは、「天命を待つ」ことなく、直ちに次のベストワークに取りかかることです。
漫画「3月のライオン」10巻にも、それに通じる考えが入江棋士のセリフに残されています。
そう、一喜一憂するのではなく、人事を尽くして、次のベストワークに取り掛かるというスタンスが精神的に安定する秘訣なのかもしれません。
だって、日々はこれからも続くのですから。
ベストワークの考え方を取り入れるのことで、成果を出さなければならないというプレッシャーから解放されます。
既述のとおり、成果の確保は不確実ですから、その不確実なものに執着していくとプレッシャーが生まれますので、成果主義は「成果が出にくい主義」ともいえます。
これに対し、「自分の置かれた立場と能力でベストを尽くす」ということは「完全に100パーセント自分のコントロール下にある」ことですので、いわば自由自在です。
その結果、フットワークが軽くなり、良いアイデアが浮かんでくる場合が多くなります。
仮に成果が出ないで終わった場合でも、元気を失いません。
この点がもともと成果を期待しないベストワークの最大の利点です。
プロレスラーのアントニオ猪木さんは、
「花は咲こうが咲くまいと、生きていることが花なんだ。」
という言葉を残しています。
難病に苦しまれた猪木さんにとって、「生きていること」自体がベストワークだったのではないかと思うのです。
猪木さんの代名詞の
「元気ですかー!」
は、単なる「から元気」ではなく、彼の人生を知れば知るほど、その言葉には深い人生経験と意味が含まれていることが分かりました。
これに対し、某著名アスリートの言葉に
「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を延ばせ。やがて大きな花が咲く。」
というのがあります。
猪木さんなら、「大きな花が咲く」必要がどこにあるかとおっしゃるのではないかと思います。
成果にこだわらなければ、物事を「ほどよく諦める」ことができます。
人間関係上のトラブルにあっては、この「ほどよく諦める」ということが極めて重要なことになります。
自分が一番良いと思った意見でも、客観的にはベスト(正解)ではないかもしれません。
しかし、そこで躊躇するのではなく、自分の信じるベストを尽くせばいいのであって、後日、ほかにより良い対応があったと思ったのであれば、(反省などせずに)改めることがベストワークとなります。
正解でないかも知れないことを恐れるのは、成果主義に基づく心配だろうと思います。
仮に正解でないことを言ったとしても、それは間違いの原因が一つなくなっただけのことであり、失敗ではありません。
反省などせずに、正解に向けて一歩進めたことを喜ぶべきでしょう。
反省は「しおらしい元気のない人間を作るだけ」で糞の役にも立ちませんと弁護士は語っていました笑。
常に人間関係が改善できるようにベストを尽くし、うまくいかない場合は、それ以上に人間関係の改善を求めない(ほどよい諦め)。
「成果にこだわらないからベストも尽くさない。」というのは、ベストワークの考えから大きく外れます。
これは単なる無責任主義なので間違えないように。
自分に「ベストを尽くしているという実感」がある場合に、仮に平行線でいわゆる「解決」に至らなくても、「わたしはもう成果にはこだわりません」という気持ちになりやすいのだと思います。
ですから、成果が出ないかも知れないことを心配するよりも、「わたし、ベストを尽くしているよな」と思えるほどに、どんどんベストを尽くしましょう!
〈注意点〉
ベストワークを尽くしても気持ちが晴れるようになることを期待してはいけません。むしろ、ベストワークは、人はいつも気持ちが晴れである必要はないという価値観を踏まえた考え方だからです。
もっと言うなら、「気持ちがどうかなどどうでも良い」という考え方を基礎に置いてます。
人間関係の改善を諦めた時以降は、人間関係の「管理」に切り替えます。
すなわち、人間関係を「良くしよう」とするのではなく、「それ以上悪くならない」ように適正に管理するという方向に切り替えます。
以上が、わたしがとある弁護士から学んで取り入れている仕事上のマインドセットです。「ベストワーク」という考え方を知ってから、より視界が広がったことを感じています。
最後まで読んでいただいたみなさんの役に立てることを心から願っています。今回も読んでいただき、ありがとうございました!
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