身近な人が「死にたい」と言ったら
通話で、メールで、SNSで、アプリで、対面状況で。自分の身近な人が「死にたい」と言ったらどうするか。
大部分の人は止めようとするだろう。自分は止めないという主義の人も中にはいるだろうが、実際にそうした場面に接しても意見を変えずにいられるほど達観を極めている者はそういない。
だから今は、死にたがってる人を止めるのは正しいのか? というそもそも論はとりあえず脇に置き、どうすれば他人の自殺願望に待ったをかけられるのかを考えていく。
1番多い働きかけは、シンプルに「死なないで」と訴えることだろう。だが残念ながら、この方法にはそれほど高い効果はないだろうと私は考えている。理由は、その言葉は本当は誰のためのものなのかという点にある。
実際に自殺願望を持っている人ならば、誰かが言う「死なないで」がどれほど無意味で自分本位なものに聞こえるか、わかると思う。
ドン引きしてるくせに口先でだけそんなこと言ってるんだろうとか、自分の目の前で死なれたくないだけなんじゃないのとか、最期に言葉を交わした相手が自分だったら嫌だなとかとりあえず自分が関知しているタイミングで死ぬのだけはよしてくれよと考えてるんじゃないのとか、言われたほうは思いがちだ。
さらに自殺企図者はこうも思う。
死なないでとは言うものの所詮それだけで、死ななくて済む方法を教えてくれるでもなく一緒に考えてくれるでもない。自分が死にたいと思うに至った原因を取り除いてくれるわけでもない。ましてや苦しみに満ちた自分の人生を代わりに生きてくれるわけでももちろんない。
最悪の場合、「こんなに身近な人にさえ自分の気持ちはわかってもらえないんだ」という思いをますます強めてしまう。
だが止める側の立場としてはどうか。
多くの場合、どうか死なないでと懇願する以外にとれる手段はそもそもなかったりする。それがそのときその場で自分にできる精一杯のことだったとしても、無理からぬことなのだ。
相手が死のうとしているのを知ってとにかく止めなくてはと焦り行動するのは自然なことだ。前述したような、自分が関わっている状況の中で相手に死なれるのは嫌だという気持ちも、言われたほうが思うほど自分本位なものでも邪(よこしま)なものでもない。
誰だって身近な相手を失いたくない。なんとかしたいと思う気持ちに嘘はない。だからこそ、それができなかったことを悔やみ続ける自殺者遺族の苦しみは深い。
ただ、受け取り手である自殺企図者は苦しみの壁に全方位を塞がれてしまった孤独な状況にあるわけだから、他者のどんな言葉も気持ちもなかなか刺さってこないのだ。
自殺行動を実効的に阻止するのは、もちろん無意味なことではない。無意味どころか、もう一度当人がよく考える時間を持てるようにするというのはとても重要なことだ。
だが例えるなら、死なないでと言ったり身体を拘束するなどしてその場での死を回避させるのは、止まりかけた心臓に除細動器を使用することに近い。
当人を自殺行動に追いやった現実的/心理的な要因は手つかずのまま残されるわけだから、早晩また自死を企図することになる危険性は依然高いままという状態がその後も続く。
自殺企図者への働きかけで2番目に多いのは、未来への希望を説くことだろうか。
生きていれば必ずいいことがあるとか、どんな苦しみも永遠には続かないとか、この世界の素晴らしい面に目を向けるべきだとか、自信を持てとか。
正直、そういった言葉をかけるのはやめたほうが無難であると私は思っている。
自殺企図者は絶望しているのだから希望を抱かせればいいではないかというその考え方は一見、理にかなっている。しかし問題は、希望を抱くということの難しさにあるのだ。
さすがに、風船に息を吹き込むようにして簡単に、他人の胸を希望でいっぱいにできるとは誰も思っていないだろう。しかし言われたほうはどう感じるだろうか。
もし、自殺こそ最良の選択だと心の底から思っているなら、その人は悩まず自殺するはずだ。悩むということは、自殺は良くて次善か、もしくはずっと低い位置にある選択肢なのだ。
では最良の選択肢とはいったい何か?
それは誰でも同じだ。希望を持って明るく前向きに、幸せに生きることだ。
自殺企図者も希望を抱こうとしてきたのだ。ずっと長い間必死で。でもできなかったから死にたいのだ。最良の選択肢がロックされていてどうしても選べないから自死という手段を自然と見てしまって目が離せなくなっている。そんな人に希望を持とうよと、さも簡単なことみたいに言うのは、あまりに酷だと思う。
自殺企図者への3番め以降のアプローチとなるとこれはもう様々だろう。
反対も賛成もせずにひたすら話を聞いたり見守ったり、遊びに連れ出してみたり、一緒にお茶したりお酒を飲んだり夜ふかししたり。お金を渡したり自宅に匿ったりする人も、中にはいるかもしれない。
いのちの電話にかけさせたり、心療内科の受診を勧めたり、生活保護やその他のサービスを紹介したりという方法もあるだろう。
どれも、その功罪を簡単には判定できないものばかりだ。当人の状況や性格や当人との関係性などによって、うまくいったりいかなかったりするだろう。
また、中にはこういうことを言う人もいる。
「生きてることに意義があるんだよ」
「生きてるだけでまる儲け」
個人的にはあまり好きな考え方ではないが、こうした言葉が刺さることもないとは言い切れない。が、それよりは、
「人の人生なんてどれも大差ない」
「どうせいつか死ぬのだから今死ななくても」
「死ぬよりは生きてたほうが多少はマシ」
こうしたことを言う人たちのほうに私の考えはおそらく近い。けど私なら、こんな中途半端なことは言わない。
身近な人が「死にたい」と言ったら、私はこう言う。
「人生は無意味だ」
「人生に価値なんかない」
続く