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デスマーチ〆括りの仕事とそのテーマ、、、
年末駆込みの仕事もやっと最後の一つを残すのみとなった訳だけど、、、
その残ったラス1のテーマが問題なのだ。
ま、季節柄というかクリスマス前だからこそのテーマなのかもしれないが、無神論者のオラにとっては難題の一つでもある。
所謂、人がこの世で言うところの『神の存在』についてなんだけど、、、
「神の存在」については、歴史の中でも多くの哲学者や宗教家が探求し続けてきた題材であり、凡人かつ無神論者であるオラが、果たしてどのような視点やアプローチで書けば良いのだろうかと悩んでしまう。
例えば、、、
・宗教的観点から、まずは特定の宗教や神話の神について掘り下げてみる。
・哲学的観点から、神の存在証明や反証(例:アリストテレス、デカルト、カントなど)を切り口にしてみる。
・現代的な視点から、神をすべからく科学や宇宙の法則と関連づけてみる。
・個人的な解釈から、あくまでも自分自身が感じる「神」という概念を中心に書いてみる。
取り敢えず、いずれかの具体的な方向性さえ決まれば、それに合わせての資料集めも出来てアイデアも湧きそうだ。
で、話は元に戻るが、、、
オラ自身はいわゆる無神論者の括りに入る人間の一人だと思っている。
そのオラが想うところでは、人が想い作り上げた "神" なる存在は、人智を超えた自然の驚異(脅威)や人が作った科学や文明の狭き学問の中では未だ与り知らぬ理(ことわり)など、それら自然の事象や摂理?を神と言う名に擬え、擬人偶像化した存在なのではないかと考えている。
至極 ”無神論的な視点” だと思ってはいるのだけれども、同時に世界や宇宙の背後にある大いなる「理」を感じるオラも居る訳で、なんだかとても矛盾した視点とも言えなくもない(笑
『神の存在』などと一見すれば哲学や自然科学の枠組みの中に入るようなテーマを、そんな矛盾したオラの視点で「神」を語るのはなんだか歪な視点の様な気もするのだが、正直いえば非常に興味深いアプローチだと思っている事も否めない(笑
まず初めに、神の概念を森羅万象のシステマチックルールとして扱う切り口として整理するなら
自然の摂理としての神
神という概念は、科学や哲学が進む前の時代に、人々が自然の現象を説明するために生み出したもので、雷や雨、季節の移り変わり、星空の動きなど、人知を超えた力を総じて「神」と名付けてきとた。それは現代科学においても未だ解明されない部分が数多くあり、その「未知」に対する敬意や畏怖が、オラの想う「システマチックルール」としての神と繋がるのではないかと言う点。神話と現代科学の対話
こうしてみると、オラの視点は神話と現代科学の中間に位置してるようにも感じる。例えば、宇宙の始まりを科学的に説明するとなると「ビッグバン理論」となるが、その背後にある「それではなぜ何もないところから何かが生まれたのか?」ともなる訳だが、その「答えられない問い」そのものが、神という概念に人を向かわせるのかもしれないと言う事。人間が創り上げる「神」という存在
人間は常に「理解したい」という欲求を持つ存在だ。その為、未知なるものに名前を与え、形を与え、それを神と呼んできた。言い換えれば、神とは人間の「知識への渇望」や「意味づけ」の産物だと言えるのかもしれない。それも「人間が創った」からといって、その存在自体が無意味になる訳でも無く、むしろその象徴を通じて自然や宇宙の壮大さを思い起こすのではないかと言う事。個人的な結論の方向性
とまあ、オラが考える神の定義をコラムの中で提示し、変に背伸びせずに無神論者的思考を自然科学の立場と重ね合わせる形で深掘りしていくのがBESTのような気がする。
決して「神はいない」などと断言するのではなく、「神とはこのような存在ではないか」という問いを投げかけ、このテーマを展開する中で、読者に対しては「神という存在について、自分の中でどう定義するのか?」と逆に考えてもらう、、、みたいな(笑
う〜ん、、、
若干、禅問答で逃げてる臭ささは否めない気もするが、まずはこの線で取り掛かる事にしよう♪