歓談差
人生、良いことばかりではない
楽しいこと、楽しくないこと
悲しいこと、悲しくないこと
嬉しいこと、嬉しくないこと
辛いこと、辛くないこと
強弱、緩急、山あり谷あり
メリハリ?善悪、、、善悪は違うな
ずっと思っているのは、何かあったあと、必ずその逆の何かが起こるということ
だから、面白くなくても、つまらなくても、嫌なことがあって、落ち込んでいても、それで良いと思っていた
その後には、必ず良いことが待っているから
人と会話している。それ自体は楽しい
話題ではない。人。メンツに恵まれたのか
いや、言い切れない。どうにも話が盛り上がらない場面はある
ただ、それ自体は良い。そのメンツであることの方が重要だ
問題なのは、やはり話題だ
自身、この人生。人に語れることは限られているが、それが選べるならまだ話をすることはできる
しかし(爆笑系の)「面白かったこと」、さらに「人に聞かせても面白いこと」。こう限定されるとどうだ
何もない。それが浮き彫りになった
これはなぜか
人に聞かせた結果ウケなかったのなら、自身の感性が世間とズレているというだけにすぎない
ところが、話す前から「面白かったこと」、「面白いと思えたこと」が一向に思い浮かばない
面白いは、気が乗らない、贅沢
自分で面白いことをしようという気概もないし、なんか面白いことねーかなーなんていうのも、非常に受動的な、、、明るい状態ではない
自身で何も行動を起こさない
そして面白いことを期待しているのに、そんな都合の良いことは起きないと自覚している
何もしていないのに、面白いことが勝手に起きるはずはないと思っている
考えるに、自身の中で「面白さ」を重要視できていないのかもしれない
面白いことには二つの要素がある
一つはハプニング
起こり、瞬間的に発生する
もう一つは関心
注意深く観察を続ける。その中に、変化が生じる
ハプニングが必要である。起こりだ
当然、そこに身を置いておく必要がある
危険を察知しても、遠ざかってはならない
好奇心を持ち、突っ込まなければならない
関心が必要である。観察だ
何がどうなったか。以前までと今日で、何が変わったか
視界に映るもの、他人の言動を良く見聞きして、その異常に気がつかなければならない
、、、どうだっていい
悪いことがあれば良いことだってある
そう思っている
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