赤いカーネーションの少年
5月11日は、母の日。
僕はこの日、ある友人のことを思い出す。
同い年の彼は、母の日の朝に一本の赤いカーネーションを買う。
昭和の時代、文化住宅や2階建てのアパートが並ぶ京都の普通の町。長屋のように小さな平屋が連なった町内。暑くなりだした青い空と、彼が手にする真っ赤なカーネーションのコントラストが、今も鮮烈に記憶に焼きついてる。
スカイブルーとレッド。
太陽の光と陰。
40年以上昔の出来事。
彼は自分の母親に花を手渡し、「ありがとう」と感謝の言葉を述べる。直接見たことはないけれど、おそらくそうなんだろうと思う。彼は寡黙で、とても優しい少年だった。
ただ彼の両親は聴覚障がい者(聾唖)で、息子からのお礼の言葉は聞こえていなかったのだろうけど、その気持ちは十分伝わっていたんだと思う。いつも息子に貰った花を僕に見せては、幸せそうな顔で微笑んでいた。
そんな彼を、僕たち近所の悪ガキは冷やかしていた。今思うと母親に花を贈るという行為が眩しくて羨ましく、そして少し照れくさくなり、それをできない自分が恥ずかしい気持ちなるのを誤魔化していたのかも知れない。
今ならそんな純真な少年を冷やかしたり、おちょくったりなんて、とてもできないどころか、そんな話を聞いただけでも泣いてしまうに違いない。
そんな光景が数年続いたんだけど、僕が引っ越して、彼も引っ越して、それから一度も会ってないけど、彼は元気にすごしているのだろうか。彼はその後、どんあ職につき、どんな人生を過ごしているんだろうか。そして彼のご両親は今もご健在だろうかと、そんなことを思ってしまう母の日。
親しくて、自分と近い人には直接言い難かったリするんだけど。
「ありがとう」
素直にこう言える日があるって、なんだかとても良いね。
今年は、二人の母に紫のバラを贈りました。
赤いカーネーションの彼のように、一輪だけを直接手渡せればよかったんだけど、今年も花屋さんに送ってもらいました。
花言葉は、「気品」「誇り」「尊敬」と、後で知ったんだけど。