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映画音楽を私に
小学5年生の時に中津川に転校して、最初にできた友達が同じクラスのイナでした。どういうきっかけで仲良くなったのかは覚えておりませんが、二人とも絵を描いたり落書きしたりが好きでしたので、そういうところで話が合ったのかもしれません。
ある日私はイナに映画に行こうと誘われました。人一倍子どもっぽい私はそれまで映画といえばゴジラやガメラなどの怪獣映画か東映アニメといった子ども向けのものぐらいしか観たことがなかったのですが、イナに誘われたのは洋画だったのでびっくりしました。ずいぶん大人びた奴だなと思ったものです。しかも映画館で観る外国映画ともなるとテレビの吹き替えとは違いセリフは字幕だというではありませんか。勉強嫌いで本もろくに読まず難しい漢字もそれほど知らない、しかも大人のドラマに疎い私に果たして理解できるものなのかどうか甚だ不安でございました。
イナというのはとんでもなく頭が良くて、かなり変わり者の少年でした。それほど勉強が好きでもないのに成績優秀で、しかも古今東西の文芸、美術、音楽、映画など文化全般に広く精通しており、高尚なものだけでなく漫画、テレビ等のクレイジーなお笑いといった娯楽作品やマニアックなホラー作品など、すべてを享受し楽しむ柔軟性をも兼ね備えておりました。こういった複雑な人間性を持つに至った理由は、彼の複雑な家庭環境によるものが大きな要因といえるようでした。
中津川に映画館はないので、二人で多治見まで電車に乗って観に行くことになりました。初めて観た洋画は「デアボリカ」というイタリア映画で、当時世界的にヒットしたエクソシストっぽいホラー映画でした。洋画慣れしていなかったせいか内容はいまいちよくわかりませんでしたが、映画の中で流れるミディアムテンポのやたらとソウルフルで大人な感じの主題曲がとても気に入った私は、帰りのレコード屋でオリジナルサウンドトラックのシングル盤を購入したのでした。
次に観に行ったのは当時封切られたばかりの「タワーリングインフェルノ」で、これは洋画慣れしていない私でも充分楽しめる超大作の娯楽映画で、洋画の楽しさを教えてくれた最初の映画でございました。燃え上がるビルを上空から描いたシンメトリックな構図のポスターもかなり気に入り、よく真似して落書きで描いたものです。
当時大人気のブルースリー映画「ドラゴン怒りの鉄拳」も観に行きました。日本人が悪役として描かれていたのでちょっと複雑な気分になりましたが、わかりやすいストーリーと初めて観るブルースリーの超人的な迫力にすっかり痺れてしまいました。映画館を出たとたん私を含めた観客の男ども全員がブルースリーと化して、怒りの形相も露わに皆一斉に全力疾走し、街路樹めがけて飛び蹴りをしたものです。当然帰りにレコードを買いました。ブルースリーの怪鳥音(グワイニャオイン)入り!という仰々しいものです。同時上映は何と「エマニエル夫人」で、ありがたいことに年齢制限はなく小学生の我々も普通に観ることができました。ただ、おばさんの裸に興味はなく内容に関しても人一倍奥手の私には完全に理解不能な世界ではありましたが。それでもどこかの国のおっさんが気怠く歌う何語かわからない主題歌は大いに気に入り、これもレコード買いました。
こうしてイナの影響で映画館で洋画を観るようになり、テレビでも映画をよく観るようになりました。当時テレビではだいたい1日おきに夜9時から映画が放映されておりました。映画の始めと終わりに映画評論家による解説がありまして、月曜ロードショーは荻昌弘、水曜ロードショーは水野晴郎、ゴールデン洋画劇場は高島忠夫、日曜洋画劇場は淀川長治という、実に錚々たる顔ぶれでございました。水曜ロードショーでのチャップリン「街の灯」放送後の水野晴郎氏によるあまりにも感動的な解説には思わず唸ってしまったものです。当時は今ほど情報が多くないこともあり、しかもちょうど映画に興味を持ち始めた私にとりまして、映画を鑑賞する上で彼らのような専門家たちの映画解説は大いに勉強になり、映画の見方というものを教わった気がいたします。親や学校の先生といった大人たちの話はあまり耳に入ってこない私ですが、彼らのような大人たちの言葉だけは真剣に耳を傾けたものです。ただ、日曜洋画劇場の淀川長治氏の最後の解説まではいいのですが、その後に流れるまるでこの世の終わりのような悲劇的な音楽は、次の日が月曜日ということもあって私を絶望的な気分にさせたものでした。
夜9時からの映画の他にも当時テレビでは土日のお昼とか平日の夜中とかにも映画を放送しておりまして映画漬けの日々を過ごすことができました。当時は古いマカロニウエスタン映画のちょっとしたブームがありまして、クリントイーストウッドとかジュリアーノジェンマなんかの映画をよく深夜に放送していたものです。中でも続・夕陽のガンマンには特に多大なる感銘を受けまして、これが当時の私たちの一番のお気に入りのマカロニ映画となりました。全編を通して音楽も実に素晴らしく、エンニオモリコーネによるサントラLPも購入するに至りました。クライマックス前に流れるゴールドのエクスタシーという曲の信じられないほどの盛り上がりには心底震えたものです。
最初に洋画を観た時から、私は映画音楽というものに興味を惹かれておりました。ある日、イナは当時のヒット映画音楽を収録したカセットテープを購入しました。そこに入っていたのは、エクソシスト、かもめのジョナサン、追憶、時計仕掛けのオレンジといった、すべて観たことのない映画の音楽ばかりでありましたが、どれも興味深く聴き入りました。映画音楽というものには何か独特の雰囲気がございまして、音楽を聴いておりますと自然と何らかのストーリーや映像が浮かんでくるような感覚がありました。だんだん私たちは観る観ないに関係なく映画音楽そのものを愉しむようになっていったのでございます。
当時FMラジオのNHKでは週一回、映画音楽の放送がありました。番組名は忘れましたがパーソナリティは関光夫といって、丁寧で落ち着きのある語り口で、淡々と端的に映画の内容を紹介しては映画音楽を流してくれるといった実に品のある大人の方でありました。やはり観たことのない映画の音楽が多かったですが、彼の言葉を念頭に映画の内容を想像しながら音楽を聴くのは実に楽しいひとときでございました。彼のラジオでモーリスジャールという作曲家の特集を聴いた時などは、未だ観ぬアラビアのロレンスやドクトルジバゴといった映画のシーンが思い浮かぶようでした。彼の放送は私の映画音楽趣味における重要なバイブル的存在となり、いつしか関光夫氏は私の心の師匠ともいうべき特別な存在となっていったのでございます。
あの頃、イナと二人で当然のように関光夫氏の放送でかかる映画音楽をカセットテープに録音し映画音楽コレクションを増やしていったものでしたが、今から考えますと音楽だけではなく、関光夫氏の語りを含めた放送全体を録音するべきだったと後悔している気持ちもあります。YouTubeを探してみますと、昔の関光夫氏の映画音楽のラジオ番組を丸ごと録音したものがいくつか見つかりました。私はかつての関光夫氏の懐かしい語り口と映画音楽に耳を傾けながら、これを録音した人は実に偉いなぁと只々感心するばかりなのでございます。