
母のカセットテープ
小学生の頃のある日、家族と車で出掛けておりますとカーラジオからとんでもなくカッコいい歌が流れてきました。それは、それまで聴いたどんな歌よりも素晴らしい曲で、私はすっかりしびれてしまいました。その歌は沢田研二の「危険なふたり」でした。その日以来、それよりカッコいいと思える歌に出会うことはありませんでした。中学のあの日までは。
当時の私はラジカセで音楽を聴くのがメインで、主にラジオから流れる曲をカセットテープに録音して楽しんでいました。あれ以来好きになった沢田研二やダウタウンブギウギバンドなどの歌謡曲の他、KISSやベイシティローラーズといった洋楽が流行っていてよく聴いておりました。古い音楽を聴くことはほとんどありませんでしたが、映画好きな友達の影響もあって映画音楽などもよく聴いておりました。レコードも聴いていましたがそうそう買ってはいられないのでやはりラジカセメインでした。
様々な音楽を片っ端から録音して楽しんでおりますと時々カセットテープが足りなくなったりするのですが、お小遣いが残り少ない時などすぐには新しいカセットテープを買えない場合がございます。そういう時は台所に行くのです。
台所では母が台所仕事をしながら自分のラジカセでオリビアニュートンジョンなどの洋楽をラジオから録音して聴いているのですが、台所仕事が大変なのかめんどくさがりなのか、録音した内容をカセットテープのインデックスに記入していなくて、何が入ってるか忘れてしまったカセットテープを台所の片隅に置かれた段ボール箱に放り込んでほったらかしにしていました。そういう録音済みの古いカセットテープの中からいらないものを分けてもらい、それに自分の好きな曲を上書きして録音するのです。
その日も私は母の何が入ってるかわからない古いカセットテープを1本譲ってもらいました。通常、上書きする前に一応、再生して何が入っているか念のため確認していました。大抵はろくでもない曲ばかりでしたが、この日は違ったのです。
テープを最初まで巻き戻し、再生したところ、英語の歌が始まったのですが、これがまた今まで聴いたこともないようなとてつもなくカッコいい曲だったのです。それまで聴いた中で一番だと思っていた沢田研二の「危険なふたり」をはるかに凌ぐ素晴らしさです。浮き立つようなサウンドに抜群のメロディ、そしてたたみかけるように歌われるコーラスに一発で魅了されてしまいました。ところが、これで終わりではなかったのです。
2曲目は、1曲目のクオリティはそのままに、さらにメランコリックさをプラスした楽曲でした。まるで私だけが好む旋律を知っていて、私のためだけに作ったのではないかと思えるくらいドンピシャ好みな曲で、私はすっかり有頂天になってしまいした。ところがところが、信じられないことに次はもっと凄かったのです。
3曲目は、前2曲よりもさらに激しいサウンドとさらに素晴らしいメロディとコーラスによる、疾走感あふれる楽曲でした。激しさと悲しさ、カラ元気などが渾然一体となったような完全無欠のロックナンバーであり、あまりにも見事なエンディングには思わず半泣きになってしまい、この世にこんないい曲があったのか、いや、こんないい曲が果たしてあっていいのだろうか、と信じられない気持ちで聴き惚れました。そしてここまで聴いてきて、すでに呆然自失となっていた私を待っていたのは、今度こそ私を完膚なきまでに叩きのめし、木っ端微塵に打ち砕き、完全に再起不能にしてしまうほどの4曲目でした。
それは前3曲をすべて合わせたよりも素晴らしいもので、決定的名曲といえるものでした。意表をつくメロディラインと突き抜けるほどの激しさを併せ持ち、一発で激しい恋に落ちてしまうほどの圧倒的な魅力を持った問答無用の強力無比なポップソングで、短くも強引かつ怒涛のエンディングにまたもや打ちのめされた私は完全な放心状態に落ち入ってしまいました。カセットテープはその4曲だけで終わっておりましたが、私はストップボタンを押すのも忘れてそのまま無音部分をしばらく再生し続けておりました。耳の中に嵐のような残響音が鳴り続けていたのです。放心状態から脱した私は今度は極度の興奮状態に突入し、すぐに二度三度四度五度と際限なくテープを巻き戻しては再生を繰り返し聴きまくりました。そして、宝の山を掘り当てた人の気持ちはきっとこんな感じに違いないと確信しました。
数時間後、興奮冷めやらぬ私は母にカセットテープを聴かせると、それはビートルズであり、赤盤と呼ばれる彼らの初期のベストアルバムの曲だと教えてくれました。ビートルズの存在は知ってはいましたが、大昔の音楽だと思っていてまともに聴いたことはなかったのです。母も曲のタイトルまではよく覚えていないようでしたので、本屋に行ってビートルズのアルバムガイド本を購入し、聞こえてくる歌詞の中のおそらくタイトルだと思われる言葉を頼りに調べたところ、それは「プリーズプリーズミー」「フロムミートゥユー」「シーラブズユー」「抱きしめたい」でありました。これほどの名曲群を、いきなり何の予備知識もなしに一気に聴かされたのではひとたまりもありません。それからの私の中学生活は、それこそビートルズ一色に染まっていったのでございます。