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中学生の頃のいくつかの断片
小学生か中学生の頃までは、校舎の屋上から町を見下ろしている時などに、ふと蒸気機関車の煙の匂いのようなものを感じた覚えがある。蒸気機関車はもう走っていなかったが、駅や町のどこかに匂いがこびりついて残っていて、ときおり剥がれて漂ってくるのだろうか。
駒場の山奥にあるゴミ処理場の近くで水晶が採れるという噂を聞き、友達数人で出かけた。極々細かい小さなものしか採れなかったが、帰り道にまっすぐ伸びるものすごい下り坂を発見し、自転車でノーブレーキで下り降りたらスピードメーターが何と時速50キロを叩き出した。転んだらただじゃ済まなかったに違いない。
建て替えた家の2階の窓から屋根の一番上まで登れることに気づき、夏の夜に登ってみた。夜空を見上げていると結構な頻度で流れ星が見えた。2時間ぐらいで2、30個は見たような覚えがある。星空を眺めているとその中にゆっくり動いている星を発見した。宇宙空間を飛行するUFOかと思ったが、次の日先生に聞いたら人工衛星だと教えてくれた。
新町の電器屋のテレビ売場にはテレビから録画したビートルズの映画レットイットビーのビデオテープが置いてあって、ビデオデッキで観ることができた。本町の電器屋にはイージーリスニングのレコードが置いてあって、ステレオで聴くことができた。ここでポールモーリアやパーシーフェイスを初めて聴いた。
隣の家に坂田利夫そっくりの、身を持ち崩したような雰囲気のタクシードライバーのおっさんが住んでいた。夜になるとよく家の前の用水の堤に座って、ほろ酔い気味のおっさんとおしゃべりをした。将来の夢を聞かれたので特にないと答えるとなぜか激昂し、小一時間説教された。
同級生の陽気な不良生徒が、ある日の昼休みに柔道場で、数人のオーディエンスを前に箒をギターに見立てて、私の知らない歌をノリノリで狂ったように歌い始めた。日本語の歌なのだが、早口な上にいったい何を歌っているのかさっぱりわからない。でも何だか異常にカッコよくて、私たちはわけもわからず拍手喝采した。その歌は、後に大人気になりテレビでもよく見るようになったサザンオールスターズの勝手にシンドバッドだった。彼は早くからその魅力に気づいていたのだろう。
友達の家で遊んでいると、ガレージに近所の人たちが集まって何やら盛り上がっており、昼ご飯を食べていけと言われた。見ると大きな釜の中に蜂の成虫と幼虫の入った炊き込みご飯が出来上がっていた。蜂の成虫と幼虫は生きている姿のまま原色をとどめており色鮮やかで、一目見るなり恐怖のあまり震え上がり一目散に家に逃げ帰った。父に伝えたところ何と勿体無いことをしたのかと怒られた。
他のクラスの不良生徒と音楽の話をたまにした。私はビートルズの話をして、彼はキャロルやセックスピストルズの話をした。私は当時ピストルズを犯罪者だと思っており、そうなのかと聞いたらそうかもしれんがそこがいいのだと力説した。ある時はKISSの来日公演で手に入れたというプラスチック製の消防士のヘルメットを見せてくれた。
中津川市というのは山に囲まれているせいか雨雲が湧きやすい気がする。母に言わせるとこのあたりは雷銀座なのだそうだ。夏のある日リビングルームの窓を開け放して雷を眺めていると、向かいの校舎に雷が落ちた。距離にして50メートル程で、これほどの至近距離でまともに雷が落ちるのを見たのは生まれて初めだった。目の前が閃光で真っ白になり一瞬何も見えなくなった。無意識につぶった瞼のおもて側が閃光の熱を感じたほどだ。同時に轟いた音の方はさらに凄まじく、まるでオーケストラのシンバル奏者が両手に持ったシンバルを耳元で思いっきり打ち鳴らしたような高音域の「バシーン」という破裂音に近いものだった。「シーン」という残響音が永遠に耳に残りそうなほどであった。
修学旅行で東京に泊まった夜、ホテルの窓からすぐ近くに後楽園球場のナイターの灯りが見え興奮した。次の朝、生徒全員で東大赤門を見学に行った際、私を含めた数人は一行から抜け出して後楽園球場へと向かった。球場の入り口は鎖で閉められていたが鎖が長く、隙間から入ることができた。外野席から侵入し、フェンスを飛び降りて人工芝に降り立った。マウンドやバッターボックスに立ち、ダイヤモンドを一周した。ベンチに入ると昨夜の試合のものと思われるメンバー表が落ちていたので、記念に拾った。巨人の柴田の折れたバットが転がっており、友達が記念に持ち帰った。
中津川と木曽川の合流地点は人里離れた秘境といった趣がある。北恵那鉄道の大きな橋が架かる木曽川の河畔にはひと気のない小さな砂浜があり、私と友人のイナはたまにここに遊びにきた。砂浜の一角には土砂を積み上げてできたピラミッドがあり、夕暮れ時になると私とイナはピラミッドによじ登って頂上に座り込み、木曽川の流れを眺めながら長々ととりとめもないことを語り合った。ケケケケケケケと鳥かカエルの鳴き声が夕暮れの峡谷に響き渡ると、何だか早く家に帰りたくなるような、郷愁を誘うような気分を覚えたものだ。あの頃ピラミッドの上でどんな話をしたのかはもうほとんど思い出せないが、将来この砂浜を買い取ってここに家を建てて、毎日砂浜で遊んだり、夕暮れ時このピラミッドの上でこんなふうに語り合えたりできたらどんなに楽しいだろうと盛り上がったことだけは覚えている。今から考えると馬鹿みたいな話だが、あの頃は二人とも結構真剣に語り合っていたような気がする。