僕と彼女の夢
「叶わない夢を追いかけてるのが一番楽しいよね。」
下校時間。
遠くの空に日が落ち始め、辺りがオレンジ色に包まれる頃、彼女は自転車を押しながらそう言った。
目に入るのは、一面の田んぼだけ。
他には何もない道である。
「なんだそれ。」
僕は首を傾げる。
「夢が叶わなかったら楽しくないんじゃない?」
それこそ夢のない話だ、と僕は心の中でつぶやく。
「夢は、叶わないから夢、なんでしょ。」
しかし、彼女はあくまで自説を曲げるつもりはないようだ。
「叶うから夢、なんじゃないのか。」
「まだまだ、お子様だな。」
彼女はなぜか得意げに続ける。
「夢は覚めるものだ、って偉い人がそう言ってたでしょ。」
「そうだったかなぁ。」
「ま、とにかく。」
彼女は強引に結論へと向かう。
「夢は追いかけているうちが一番楽しいってこと。」
「ふーん。」
僕は分かったような、分からなかったような、曖昧な返事をした。
彼女の後ろ姿を見ながら、僕は歩く。
僕らは、あぜ道の上を自転車を押しながら歩いていた。
彼女が前で、僕が後ろ。
いつもなら二人ともさっさと漕いで帰るのだけれど、
「今日は疲れたから歩きたい。」
そう彼女が言い出したのだった。
今までそんなことはなかったような気がする。
僕は少しだけ不思議な感じがした。
しかし、こうしてゆっくりと二人で歩くのもそう悪くはないもんだと僕は思った。
「なんか、夢、あるの?」
「私?」
「うん。」
「…私の夢、は。」
彼女はそこで一度言葉を切った。
そして。
「宇宙飛行士、かな。」
予想外の答えに、僕は思わず吹き出す。
「うちゅうひこうしぃ?」
「なによ。文句ある?」
「いや、別に文句はないけどさ。さすがに無理じゃない?それは。」
「いいんだよ。夢なんだから。」
「ハハハ、それは確かに叶わないかもな。」
「あんたは」
「え?」
「あんたの、夢は?」
「うーん。俺は、特にない、かな。」
「え、なにそれ。」
「そんなこと言われてもな。別にやりたいことがあるわけじゃないし。」
「人のこと笑っといて?」
「ごめんって。」
「...本当に何もないの?」
「そうだなぁ。強いて言うなら」
僕は少し考える。
どうも、なにかを言わないといけない感じだ。
そして、僕はそれらしいものをない頭を絞ってひねり出した。
「ずっとこのままでいれたらいいなぁ、とか?」
「なにそれ。」
「いやー、だってそうだろー。こうやってダラダラ過ごせたらそれが一番いいって。のんびり学校行ってさ、なんとなく授業聞いて、なんとなくクラスのやつと遊んだりしてさ。
「そんで、こうやってなんとなくダラダラ帰って、ゲームして寝る。それが俺の夢。」
「無駄の極みだ。」
「うるさいな。いいだろ、それで。」
言ってて、自分で情けない。
彼女は宇宙飛行士で僕はダラダラ学生。
比較すると、どうにも分が悪い。
まぁでも人の夢はそれぞれだし、と僕は軽く開き直った。
「でもさ。」
彼女は前を見ながら言う。
「ずっとこのままじゃいられないんだよ。」
今日、彼女は一度も振り返らない。
なんだか、今日は変な感じだ。
「まぁ、それはそうだな。」
僕は答える。
「でもそれでいいんだろ。叶わないのが夢、なんだから。」
将来のこと。これから先のこと。
それらはとてもあいまいで薄暗い。
暗闇の中に何が待っているのか、その先に何があるのか。
とてもじゃないけれど、見渡すことはできそうにない。
だから、僕はその場でうずくまることを選んだ。
そして、彼女はその先に進むことを選んだ。
きっと、それだけの違いなのだろう。
「そう、だね。」
彼女はそう相槌を打った。
それから僕らは特に何を話すでもなく、ただ自転車を押していつもの帰り道を歩く。
辺りには自転車の車輪が回る音だけが響いている。
そして、いつもの別れ道にたどり着いた。
「それじゃ。」
「それじゃ。」
そう言って僕らはそれぞれの道を歩き始める。
彼女が転校したという知らせを私が聞いたのは、次の日、学校についてからのことだった。
それから、彼女には一度も会っていない。
時折、私はあの日のことを思い出すことがある。
彼女の夢を笑ってしまったことだけが、いまだに胸の中で見えないしこりになっていた。
彼女は夢を叶えたのだろうか。
きっとそうだろう。
そうだったらいい。
そして、あの日笑った私を宇宙の向こうで笑っていてほしい。
そんなことを思いながら、私は今日も空を見上げる。
あの日と同じ、道の上で。
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