
ギターレッスン
「ギターを習いに行くのは練習の仕方を習いに行ってるだけ」という意見、確かに一理ある部分は否定できません。実際、習ったことを家に持ち帰って練習することで初めて技術が向上するのだから。ただ、それだけではないんですよね。
僕の先生、八十八ヶ所巡礼のカツヤシミズ先生と実際に会ってセッションすることで得られるものは本当に多いです。先生と一緒に演奏することで、技術だけでなく、音楽そのものの楽しさや、リアルな演奏の中でしか学べないニュアンスを体感できます。こういった経験は、単に「練習の仕方を学ぶ」だけでは得られないものです。
もちろん、教わったことを活かさず「習って帰ってきて満足」してしまう人もいますが、それはその人自身の問題です。教える側の責任ではなく、受け手の姿勢次第で得られるものも変わります。
レッスンは、ただの情報提供の場ではありません。実際に先生と触れ合い、音楽の本質に触れる瞬間がそこにあります。それを無視して「練習の仕方を習っているだけ」と言うのは、少し冷笑的すぎると感じます。僕はそういう見方に反論したい。先生とのセッションを通じて得るインスピレーションや実践的な学びが、どれほど大きな価値を持つか、もっと理解されるべきだと思います。
ギターや楽器に限りませんが「習って帰ってきて満足」してしまう人が一定数いるのも事実で、そういう人たちはなかなか成長しないですよね。だから、「練習の仕方を習いに行っているだけ」という考え方にも一理あるのは理解できます。
しかし、重要なのは、学びをどう活かすかです。レッスンで得たことを自分の練習にどう反映させるか、そこから成長につなげるかが肝心です。先生から教わることはスタートに過ぎず、その後の努力次第で成長が決まります。
だから、「習って帰ってきて満足」する人が伸び悩むのは、学び方の問題です。教わること自体が無意味なのではなく、それをどれだけ活用できるかがポイントです。「練習の仕方を習いに行っているだけ」という意見に対しても、この視点から反論できるでしょう。
最終的に、「練習の仕方を習いに行っているだけ」という意見を持つ人も、言い方の違いであって、結局は僕と同じ結論に至るのではないかと思います。