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愛とは
人間の愛とはなんだろう?わたしが今まで愛だと思っていたもの、例えば息子への愛は本当に愛だったのか?
幼少期に必要な愛を与えられなかった私にとって、息子という存在はとても特別な存在だ。初めて自分の命よりも大切なものができた。それは宝物であり、尊い存在。
その存在が大切だと感じていればいるほど、傷付けたくないし、幸せになってもらいたい。
いや、幸せにしなければと思って生きてきたと思う。
私が幼い頃に欲しかった親からの愛情や関心、おもちゃや好きな食べ物、息子には全て与えた。何が欲しい?どうしたい?こうした方が幸せでしょ?
彼の為に出来うる全てのことをしてきたと思う。
だけど、息子は幸せそうではなかったし、自分の意思というものを強く持てないでいた。
そこから、これではいけない!こうしなくちゃダメでしょう!何でそうなの?何でできないの?となっていく。
私が愛だと思っていたものは、全て私が欲しかった、私が必要だったものを息子に与えただけで、彼にとっては、全く不必要で彼は彼自身でいる事を妨げられるものだった。
ヒーリングの瞑想で、息子を光で包んでみるけど、綺麗になるのは一瞬ですぐに黒くねばねばとしたものに身体が覆われていく。逃げようととしているが、逃げられない。身動きができない。
これは私の息子への執着であると私は思った。必死に飛ぼうとする息子を地面に引きずり下ろそうとする私の執着。
そんなことしたら危ない!
そっちへ行ったら大変なことになる!
彼を守るつもりが、苦しめていた。
愛ではなく執着、恐れ。
長年引きこもり、その果てに自死した兄のようにしてはならぬという強い恐れも抱いていたように思う。
兄や自分のように育ててはいけないとそればかり考えていた。
私自身も長年、檻の中で身体中に鎖が付いて身動き出来なかった。
鎖は付けられたのか、自分で付けたのか?
毎日、私と愛する人全てとを繋ぐコードを何回も大きなハサミで切断している。
長年慣れ親しんだ感覚は意識しなければ断てない。
イメージの中で息子は軽々と元気になっていく。
心配はもうしない。どんな事があっても笑顔で応援しよう。