世界の終わりと、その向こう。
「Vチューバーになりたい」
前、パパにそう言ったら反対されたんだよねぇ。
娘が、何か含みのある言い方をして、私を見る。
面倒な話になりそうな予感がして、聞いてるような聞いてないような顔でオヤツの干し芋にかぶりついていた私は、
「〇〇だからダメ、って。でも多分、それは本当の理由じゃないんだけど」
娘がそう付け足すのを聞いて、たまらず吹き出した。
「本当の理由じゃない、ってなに?なんでそれが、”本当の理由じゃない” と思うの?」
私が突っ込むと、娘はうーん、わかんないけど、と言って黙る。
私はこの数年、カウンセリングに通っている。
前任のカウンセラーと合わせて通算7年目にもなって来ると、患者としてはベテランの域。最近では、
「じゃあ、ここの恐怖は今日取ってあげるから、そっちにある怒りは自分でやっといてね」
なんて宿題を出されることもしばしばだ。
言われると、ヒエエ、金払ってんのにそっちでやってくんねーのかよ、と思うけれど、まあ持ち帰ってみると案外と自分で出来て、下からついでにずるりと別の課題が見つかったりして、確かにそれが時短節約になる。
今回の宿題は、
相手のことを「分かってしまう」、について確認してくること。
エンパス体質の私は、いつでも人の考えていることを、先読みして深読みしている。
みんなも同じ感覚だと思って生きてきたのに、実は、そこまで人間関係に過剰なアンテナを尖らせているのは自分だけ、そこまで考えていないのがむしろふつうなのだ、と気がついたのは結構最近のことだ。
娘は私に似て、エンパス体質だ。
娘の話を聞いて、やっぱり娘も「ああ、この人、口では〇〇と言ってるけど本心は別のところにあるな」
などと考えながら人と喋っている、
親子とは面倒なところが似るものだ、と思って、私は思わず笑ってしまったのだ。
いやいや、笑い事ではない。
私は前回のカウンセラーとのやり取りを、かいつまんで娘に話した。
「分かっちゃった」じゃなくて、ちゃんと言葉でコミュニケーションを取る練習をするという宿題に目下、取り組み中であること。
説明を聞いた娘は、さっそく憤慨したような声をあげる。
「だって、本当はこう思っているんでしょ、って言っても相手は絶対認めないし、
落ち着いてから、あの時本当はこうだったよね、って言ってももうどうせ全部忘れてるよ?こっちはその場で分かっちゃってるのに、じゃあ、どうしたらいいの?」
まさにその通り。
それが、私がもうずーっと抱えてきた、
「こっちはいつでも分かってあげてるのに、そっちは鈍感、不感症なんて不公平だろ」
という感覚だ。
それでも、相手が「どうせこう思っている」かどうかは、実際に言葉で相手に確かめてみて、その反応、言い分を聞いてみなければ分からない。
私が「分かっている」と思っている内容が、本当に正しいのかどうかだって、
思い込んでいるだけで実際そうだという証拠はない。
「とりあえず、旦那さん相手に、会話の練習をしていきましょう」
カウンセラーの提案に、私は盛大にブーイングする。
「でも、じゃあお母さん相手にやれるかって言ったら、無理だと思うよ」
カウンセラーの冷静な指摘に、私は一瞬で黙りこむ。
夫とはもう、何年もまともに話していない。
両親とは、数年前に絶縁した。
特に母は、私に絶縁しますと宣言し、私がそれを、母の予想に反してすんなり受け入れてから向こう数年、
本当に狂ったように長い長い、私を罵倒するメールを何度も送ってよこした。
それを無視し続け、なんの連絡もこない平穏な日々を手に入れたのはやっと、
今年の夏の終わりのことだ。
まずは、心の安全を保てる時間と空間が、どうしても私には必要だった。
いや、本当にこれが平和なのかだって、実は怪しい。
こうしている今も、母の、今にも叩きつけてやりたいストレスや言いたいことが、
見えない領域に埋立地の孤島をもう一つ作る勢いで溜まっていっていることだろう。
ようやく束の間の休息を手に入れたのに、またあの母と会話をするなんて、想像しただけでげんなりする。
思ったことを言語化しても、どうせ相手は曲解解釈するだけでまともに伝わらない。的を得ない勘違いで罵倒されるばかり、いつまでも互いの本質に至らない。
それでも、
「どうせこう思っているんだろう」
「私のこの行動を次はこうやって誤解するだけなんだろう」
そういう、予想と妄想のコミュニケーションを取っているうちは、
どんな相手とも、表面だけはニコニコと、気持ちの悪い腹の探り合いが続いて空を蹴るばかり。前に進まない。
人とコミュニケーションを取ることが、怒りの種でしかなく、つまらない、くだらない、苦痛なことでしかなくなってしまう。
そして、本当のことは永遠に分からない。
先日、上野の田中一村展を観に行った。
一村の幼少からの作品を丁寧に集めた意欲的な展覧会だった。
その初期の一枚に、父親が筆を入れてしまったことに憤慨した一村が、その部分だけを小さく千切り取った作品があった。
彫刻家だった一村の父親には、幼い頃から周囲を驚かせるほどの天才画家だった一村の才能がどれほど稀有なものか、震え上がるほど分かってしまったのだろう。
父親はいつ頃までか、一村のプロデューサーのような役を引き受け、息子を帯同していたようだ。
父の加筆部分を、一村が小さな指先でチリチリと毟ったその虫食いに、私は釘付けになった。
創作という、自由で、心の肯綮とも言えるフィールドに、親切を装った親が入り込んでぐちゃぐちゃにされる苦しさ。こみ上げる、得体の知れない憤怒。それでも親だから、世話になってるからと、その怒りを強靭に抑え込まなければいけない葛藤を、私は知っている。
晩年の一村は、生活を支えてくれた姉を失ってから一人、奄美に移住し、そこを終の住処とした。
弾けるような躍動と、積み上げてきた研鑽が無尽に炸裂した晩年の作品群を見て、私は泣きそうになった。
ゴッホのように、生涯画壇から認められることのなかった一村は、どうやってかくも見事に自身の心の鎖を断ち切ったのだろう…。
そうやってまた他人の、考えたって分かりようもない領域にまで感情移入している自分に気がついて、私はハッとする。
なぜ私はこんなに絵画や芸術が好きなのか。
生きている人間なら、勝手に相手の感情を推し量ればコミュニケーションを誤るけれど、誰かが創った作品に対してなら、どんな妄想を描き、それにどう共感し感動しようが私の自由だからだ。
それでも、生きていた誰かの動悸を感じ、誰かの核を確かにつかんだ、何かに触れた、と思える瞬間、私は涙が出るほどホッとする。
「問題は、旦那さんと話すことが、なぜそんなにイヤなのか。何が怖いのか、ですよ」
カウンセラーは涼しい顔でそう言って、探るように私を見る。
意外な発見があるかも知れないし、あるいは気づかなかった、処理すべき感情が湧いてくるかも知れないですよ。
もういい加減、覚悟を決めてここに立ち向かわなくてはいけないのだろう。
一番面倒な宿題を、ここまで後回しにして来たのは自分だ。
なぜ芸術作品に思いを馳せるのはこんなに楽しいのに、生身の人間に対峙するのはこんなに億劫なのだろう。
どうしてこんな風になっちゃったのか、考えてもよく分からない。
結婚した時は、一生添い遂げるのは当たり前だと思っていたし、
そのために自分は一生懸命、正しい方向に向かって努力していると思っていた。
そもそも最初にカウンセリングに行こうと思ったのは、
原因不明、ある日突然夫と口をきくことが出来なくなって、それを自分でどうすることも出来ない、と分かったからだ。
いつでも満タンに巻いていたネジが、全て緩んで止まってしまったように、どう自分を説得しても頑張っても、夫の目を見ることも近寄ることも、返事をすることも出来ない。
もともと会話もろくになかったから、夫は1週間くらい私の変化に気づかなかった。それから、どうやらこれは喧嘩だ、相手は臨戦態勢なんだと気がついて、そっちがそうならこっちだってと夫も私をシカトし始め、3ヶ月くらいそのままだったんじゃなかったか。
まだ小さかった二人の子供は、夫より先にピリピリとした空気を敏感に察知し、
自分はどう振る舞うべきなのか無言のまま確かめ、兄妹で目配せし、助け合って新しいやり方に適応していった。
私の兄は、あんな風に妹である私を助けてくれたことはなかった。
見かねた父が私を助けてくれたことも、間に入って話を聞いてくれたことも、一度もなかった。自分たちだけ面倒で過酷な状況から逃げまわる。いつも私は彼らのスケープゴートだった。
優しい兄妹の様子を見ていると、今の自分は、あのとき嫌だった卑怯な兄や父と全く同じだ、と思う。
ままならないストレスを、文句も言わず受け止めてくれる優しい子供たちに押し付けて逃げ回っている。
親にされて一番嫌だったことを、綺麗になぞっている。
誰かに守ってもらい。でも、誰からも守ってもらえなかった。
その恨みを、今度は自分の子供たちにぶつけている。
それを自分で認めるのは骨がよじけるほど苦しかったけれど、じゃあ何か改善しようと頑張ろうとしてももう、首を1ミリ動かすことも、口角をかすかに上げることも出来なかった。
最近、外国人が、日本人女性と結婚するな人生詰むぞ、と流布しているという話を聞いた。
日本女性は結婚するまでは可愛いけれど、子供を産むとその子の教育に没頭し始め、夫を蔑ろにし、セックスをしなくなり、コミュニケーションが取れなくなって夫はただのATMにされるというのだ。
確かにそうだな、と思う。
アメリカに住んでいた時、近所の人たちに代わる代わる、
子供たちなら自分が預かってあげるから、旦那さんと二人でデートにでも行って来なさいよと言われたものだ。
何言ってんだ気持ち悪い、と、その好意を受けたことは結局一回もなかったけれど、アメリカには、そうやって夫婦が男女であり続けるための何か、努力する風習があるのかも知れない。
そして今になって確かに、先人の知恵、彼らの警告通り思い返せばあそこが、重要なターニングポイントだったのかも知れないと思えてくる。
小さな子供をベビーカーに乗せた、絵に描いたような幸せご夫婦を見かけると、
つい、奥さんの眉間のシワに、旦那さんの貧乏ゆすりに、目がいってしまう。
今この人たちは、あのターニングポイントにいるんだな、って苦しい気持ちが込み上げてしまう。
じゃあ、あのとき自分も、郷に行っては従え、あのアドバイスに倣っていれば何か変わったのだろうか。
今更思い返しても、足を粘土で固められたように、体が動く気がしない。
絶対ムリって、心がかたく、拒絶してくる。
その「動けない」という感覚に耳を澄ましてみると、そこにあるのは、
塒を巻いて拗らせて、切っても払ってもどうにもならないほど絡まった怒りだ。
それでも、そこまでに積み上がった細かい心の逆剥けを、「一体何があったの」って今更一つ一つ思い出そうとしても何も思い出せない。
もっとお金があって、人も羨む余裕たっぷりの暮らしだったら。
友人たちのように、記念日にブランドのバッグを買ってもらっていたら。
ありがとうとか、もっと感謝の心を持って一日一回、優しい言葉を掛け合うという厳格なルールを作っていたら。
出かけるときはハグをする、なんて日本にない文化を取り入れてみたり、
そんなネットに書いてありそうな秘訣を実践していたら?
そしたらアレは、回避できただろうか。
私の奥にいる私が、背中を向けて、冷たくシニカルに鼻を鳴らす。
そんな表面をなぞったような付け焼き刃で、逆剥けが治ったとはどうしても思えない。
生理的に気持ち悪い、という言葉がある。
それはもうハナっから合わないんだから諦めるしかない、みたいな文脈で使われるけれど、よくよく精査して生理的気持ち悪さを確かめていけば本当は、
臭いから、顔が嫌い、フケが食べ方が肌が脂が、とかいうのは全部ただの言い訳、根底にあるのは怒りだったりする。
面白かったのは、住んでいた地域にある日本人コミュニティの日本人妻たちが当時みんな、私と同じ経験をしていたことだ。
「私も子供預かるから旦那さんとどこか行けって言われた」
「…行かないよねー」
「うん、行かないよね…」
あの時、女同士で話した女ならではの恐ろしい告白の数々は、
きっと互いに一生、門外不出。
みんな同じ、旦那さんに対する、あるいは現状に対する、
どこにも発散しようのない肥大した塒を、異国の地で一人、抱えていた。
あとは子供のために、どこまで我慢できるか。そこから先は個人戦。
それは、日本女性が性格が悪いとか、旦那さんに問題があるとか、
みんなで誰かをネットリンチして文句言ったら改善するとか、そういった問題ではなくて、もっと根源的な、日本の、もしかしたら世界中、現代の社会的な問題を孕んでいるということなのではないか。
昨今、世間を騒がせた兵庫県知事選。
まさか失職した知事が、本当に再選するとは思わなかった。
何か、巨大なシャンパンのコルクが、ポン!と気持ちよく抜けたような。
世の中が、いよいよ唸りを上げて変わっていく。
マスコミの嘘つきぶりが露呈して、かつてないほどの批判に晒されている。
追い落とされる側は、今まで見たこともないような不当で恐ろしいやり方で、突然の総攻撃に合う。
自分はネットリンチにあっている。
自分は今までもこれからも、前任者から踏襲したとおりに一生懸命仕事してきただけで清廉潔白。自分はかわいそうな被害者なのだ、という視点でしか現実を捉えられない。
それが、マスコミに騙されたと怒りに拳を振り上げる人たちには、往生際の悪い、下手な言い訳をしているように見えてしまう。
それでも追われる側は、今まで通りのやり方しか方法を知らない。
だからもっともらしく公平を装い、この異常な事態を規制すべきだ、訴えるぞと高慢な表明を重ねて、批判を浴びる。
過去の小さな失敗までほじくり返されて、どんどん極悪人にされていく。
ループから出られない。
確かに間違いだったと路線を変更して、「よくいった!」なんて喝采を浴び、なんとか流れに乗っていく人。
SNSは問題だ、このままでは社会が右傾化してどんどんおかしなことになる、って批判して、SNSに規制をすべきだ、なんて大上段な論調に巻き込まれていく人。
分かれない者同士の断絶は、どんどん広がっていく。
財務省は諸悪の根源。
件の外務大臣は賄賂をもらった罪でアメリカに入国できない可能性があり、
フジテレビは害悪。銀行は横領犯。
怒りに任せてみんな批判するけれど、反対側には必死で、現状を守ろうとする人たちがいる。
ここが壊されたら、全てが崩れてしまうって警告して、自分こそが社会正義だと信じて抵抗する人たちがいる。
それでも、いつかはその自己矛盾に気づく。
すでに誰からも望まれていないシステムを、なぜ自分はこんなに必死になって守っているのか。
自分こそが社会正義の砦だと思っていたけれど、違う、自分たち内輪しかもう、それらの存続を望んでいないという現実。
それじゃあ背中に背負って必死に守っているこれは、突き詰めれば社会の安寧じゃなくて、自分の利益?
利権だと言われればそうか、これが利権か、ってハッとする瞬間がくる。
怒りに震え、脳みそを熱くして、財務省を解体しろ!と叫んでいる人たちも、あるいはそうかもしれない。
弁の立つ強そうな誰かを焚き付けて、壊せ壊せと煽って煽って
財務省を解体して、それで、その先はどうするのか。
本当に自分の足元までもが崩れ始めてようやく、その恐ろしさに気がつく。
もしかしたら自分も、総攻撃に合うその位置に、ある日突然立っているかも知れない。
どちらが正しいとか正しくないではないのだ。
変化は誰にとっても恐ろしい。
それでも、おかしなもの、時代錯誤なものは一つ一つ壊れていく。
新しい考えにすげ変わっていく。
確かに変革は、私たちの怒りを原動力とするのだろう。
それでも、今まで歴史上に起こったことと今ここで起きていることが決定的に違うのは、一人の革命家や、目新しい正しげな思想によって、フランス革命のように塗り替えられていくのではないということ。
ただもう、何か大きな自然災害のコンボにサンドバッグにされるように、全てがなぎ倒されていっているということだ。
凝り固まった私たちの概念がほろほろと崩れていくのと、実際の社会システムの崩壊が、ちょうど同時進行で起こっている。
不思議なことだ。
全てが緻密に、一つも取りこぼすことなく、神の差配の如く崩壊していく。
だって本当に何もかもが、お粗末でバカみたいで、ここにいよいよ事極まれり、という酷さだからだ。
「移民がかわいそうだ」と言われれば今までは、
それが不法移民だろうが、不当に生活保護などの日本の社会制度を利用していようが、「可哀想」だけでみんな黙らされてきた。
「可哀想ヤクザ」は、今までだってたくさんいたのだ。
オラ、今までお前にいくらかかったと思っとんじゃ、こっちがどれだけ苦労したと思っとんじゃ、働いて返せ。
そう言われれば、何をされても誰も言い返せない。
昔の悪巧みは、もう少し巧妙で頭が良かったような気がする。
言い含められれば、ほなそうか、って本気で思わされてきた。
小泉改革だって竹中平蔵だって、私たちは当時、ただ恐怖で従わされているのではなかった。
私は直感的に彼らが嫌いだったけれど、じゃあ論理的にそれに反論できるのかと言われれば難しい、彼らの主張には一定の説得力があって、そこに加担している人たちが悪意を持ってやっているだなんて、想像もしなかった。
そして、いつの間にか最新の流行りの「いい人」のあり方に、自分もアップデートされて加担していってしまう。
その自己満足の気持ちの悪い恍惚状態を、今なら、あれが俗に言う極左状態なんだな、とわかる。そしてずっとリベラルを自認していた私が、ある日突然、ネトウヨとか陰謀論者と呼ばれて批判されたことも、よく理解できる。
右だか左だか、上だか下だか。
私にはもう、一周回ってどうでもいい。
兵庫県知事選の話を例に引けば、
結局、再選した知事が聖人君主で世界のあらゆる問題を解決する救世主だった、なんてことには最終、絶対にならなくて、
じゃあみんなが崇めるべきヒーローはやはり、N党の立花か!って、そんなこと、あるわけもない。
日本政府が崩壊する。
銀行システムが崩壊する。
テレビや電通、マスコミ、私たちの知識や判断の基準になっていた情報源がぐちゃぐちゃになる。
多分これから、それはエネルギー問題に波及する。
私は、スタートはまず、東電に激震がいくのだと思っていた。
順番なんて予測不能。とにかく順に、医療、通信、インフラ。全てが、連動してこれから満遍なく洗われていく。
ワクチンの真実が出てきても、みんながそれを受け止められる素地作りが、ここに来てやっと着工されつつある。
あんな冗談みたいに稚拙なワクチンの嘘を、ここまで優しくお膳立てしてあげないと社会は受け入れられなかったのかということが、4年間陰謀論者の謗りを受けながらこの騒ぎを眺めてきた私にとっては、逆に驚きでもある。
しかし、それでも丁寧に、お膳立ては進んでいる。
みんな、それほどに変化が怖い。
それは、7年もカウンセリング受けて、それでもままならなくて髪を掻きむしってばかりの私にも、よくわかっている。
自分がどれほど恐ろしい世界に生きているか。
相手がどれほど自分を嫌っているか。
お前なんか死んでもどうなっても構わないから、自分のお金を守りたい。
目の前の、鉄壁スマイルの商談相手は、本心そう訓練を受け、洗脳されてここにいる。そんな刃を互いに喉元に突きつけ合っているような世界に、私たちはずっと生きている。
自分も洗脳されてなきゃ、怖くて息することもできなかったのだ。
そう考えると、目が覚めた人と覚めなかった人の違いって、
情報の格差なんかではなく、単に、強さや覚悟の問題だったのかも、と思う。
まず、自分が怒っていることに気づく。
そして、みんなが怒っているそれに、自分も自分の中の怒りを投影し、
強そうな人に乗っかって、まるで正義のように一緒に怒りを放出していく。
それから、投影していた先、依存し、崇拝していたその対象が、自分の期待とはズレていることにあるとき気づいて、今度は期待を裏切ったその人に怒り出す。
その人を説得して、自分と同じ思考に変えようと空虚な努力をする。
怒りの対象が変わっていく。
それを繰り返すうちに、やっとわかる。
彼らは彼らで、やりたいこと、自分なりの正義があって社会をどこかに動かしているだけで、私の、あなたの、自分のやりたかったことを代わりにやってくれる人なんて、存在しないのだということに。
誰かに頼るのではなくて、結局は自分。
内へ内へと帰っていく。
これは、メンタル回復の道程にとてもよく似ている。
一旦は怒らなければ、その怒りをどこかに出して、本当はどれくらい怒っているのか自覚しなければ、永遠に正しい境界線は引かれない。
「毒親です」って親を怒れる人よりも、 「親を尊敬しています」「仲良しです」なんて言ってる人の方がヤバいですよ、って
心理学の世界でよく言われる、アレと同じだ。
他人と自分の、境界線をしっかりと持つということ。
自分に本当に必要なものがわかっていれば、お金のために自分の魂を傷つける事なんて、する必要がない。
きっとそこを目指して私たちは今、鍛えられている。
そういう風に、世界が私たちの背中をぐんぐん押している。
私にはこの、連鎖的に世界中で勃発していく奇妙な出来事の数々が、そんな風に見える。
石破首相はトランプ大統領との会談を断られたというのに、とある人気YouTuberは、トランプ氏が開いたマーアラゴー邸での就任祝いに招待された。
そのニュースを知って、私はお腹を抱えて笑ってしまった。
日本政府が崩壊する。
じゃあ、具体的に「崩壊」って何がどうなる事なのか。
今までイマイチぼんやりしていたそれが、何かとても具体的なイメージを伴ってわいて来て、いよいよ炭酸水にドボンと浸かったような、くすぐったい爽快感を覚えたからだ。
別に、自分こそが日本の首相だ外務大臣だ代表だって、言い張りたいならやりたいなら、どうぞやってもらって構わない。
だけど、それは日本を代表するただ一つの窓口ではもはや、なくなる。
それはたくさんあるうちの、ただの一部門であって、
考え方の違う別の人たちが別の回路で外交をしようが、彼らにはそれを止める権利も説得力も力も、次第に失っていくということだ。
あれほど賛否両論揉めたロシアとの外交だって、経済交流をしようがロシア大嫌いで断交しようが、それぞれの自由だ。
外交は政府だけがやらなきゃいけない、と決まったわけじゃない。
自分の意見に近い小さな社会をそれぞれが選択し、自治を持って生きていくこと。これからはそれが、スタンダードになる。
日本の農業や畜産、食料自給率に警鐘が鳴らされて久しい。
廃業しそうになって、北海道から上京し、国会の前で畜産の惨状を訴えていた人がいたけれど、あのニュースはその後どうなっただろう。
能登地震の復興も遅れに遅れ、もうじき寒い寒い冬に埋まる。
ニュースの映像を見ていれば、その遅々として進まない復興の裏で、相変わらず訳のわからないことに税金をばらまく政府のやり方に、ネットで批判して、あとは私たちには臍を噛むことしか出来ない、そんな無力な気持が湧いてくる。
今年の、夏頃だっただろうか。
SNSにこんなニュースが流れて来た。
能登の小さなとある村で、神社の重厚な石の鳥居の支柱が、地震でずれた。辛うじて撤去だけはしたが、再建には改めてまとまった額が必要になる。そこで小さな神社は政府や県の判断を待つのではなく、自分たちの力で全国からクラウドファンディングをすることにしたのだという。
結果、全国から一瞬で目標額が集まって、再建が決まった。私のところにも、お礼と神社の歴史と紹介、今後の再建計画を記した過分なお手紙が届いた。
今頃は、工事の準備している頃だろうか。
ニュースだけ見ている私たちにはわからない、被災した人たちの生きた発想の転換とたくましさ、しなやかさ。
最近は農業も、農家の方が顔を出して、自身の作物や農業にかける信条を、面白おかしく直接ネットで宣伝、営業するシーンが増えた。
国の決めた、流通の基準、農薬の基準、そういったものと、わざわざ戦う必要もない。
バカみたいに外国にお金を配るのを辞めさせ、予算の配分を変えろと、世論を動かす必要も、考えの合わない政治家を説得する必要もない。
銀行だって、日本政府だって、税金のシステムだって、もうなんだってこれから、潰れていくのだから。
先日も、息子に学校の課題について意見を聞かれて、驚いた。
既得権益にしがみつく老人たちのために、若者が犠牲になる社会なんてやっぱりおかしい。自分たちの生きるこれからの未来、自分たち若い世代の意見こそもっと重用されるべきだ。だから、運転免許と同じように選挙権も自主返納制にするというアイデアは乱暴だろうか、というのだ。
2020年にアメリカの盛大な不正選挙を目撃してから、ずっと不信を持っていた。
結局その真相やカラクリはいまだ明かされていないのだけれど、
あんなことが白昼堂々行われていて(実際にはみんなが寝静まった深夜のバイデンジャンプが有名だけれど)、バレバレのSNSの証拠がいくつも明らかになっても、政治も司法も警察も動かない。マスコミの大きな声によって、ただの陰謀論としてかき消されていく。
その信じがたい有様に、世の中って実際ずっと、こんな風に回っていたのかと愕然としたものだ。
疑いを持って世界中を眺めれば、怪しげな選挙はいくらでもある。それなのにいったい日本だけは公明正大な選挙してますなんて、そんなお花畑なことがあるだろうか。
組織票なんて堂々たる選挙違反を、せっかく民意で落とした候補者がゾンビのように比例で復活してくるなんてチートなシステムを、法律に抵触していないからと諦め、認めてきたこの国で、実際何も起こっていないなんて、本当に信じることが出来るだろうか。
この国には、健康寿命と平均寿命の乖離という社会問題があって、健康寿命が危うくなった寝たきりの方たちの選挙権って、これまで深く考えたことがなかったけれど、実際のところどうなっているんだろう。
おかしなこと、これから改めて精査すべきこと、糾明しなきゃいけないことはきっと、政治や選挙以外にもたくさんある。
それなら例えば、政治家だけでなく有権者にも、年齢制限を設けて選挙権を自主返納するというアイデア。
それくらい、古い世代の観念を叩き割るようなアイデアが、たくさん出て来て議論できる社会こそ、健康なのではないか。
あらゆることの問題を洗い出してしまえば、既存のやり方をぶっ壊して、より良い状況を構築する新しいアイディアはいくらでもある。
それにしても、池田大作氏の死が公表されてから、少なくとも選挙の結果が目に見えて従来と変わってきたように思うのは、私の気のせいだろうか?
また新しい英雄を迎えて、その言説に従って、一から壮大な社会実験を繰り返して私たちは、ここからたくさんの犠牲を重ねていくのだろうか。いつになったら私たちは、誰かにお任せして自分の世界を作ってもらうことをやめられるんだろう。
私たちがこれからやることは、ただ一人一人が自分に回帰すること。
そして、また盛大な看板を掲げ、良さそうなやり方を押し通すために、みんなに我慢を強いて、一本の意見の統一させようと扇動する人を見つけたら、警戒すること。
そっとそこから離れること。
今こそ保守が一本化するべきだ、安倍さんのあとを継ぐのはやはり高市だ!と騒ぐ人たち。参政党についてちょっとSNSで意見を言うと、そうですよね!今こそ共に拡散しましょう!って全速でにじり寄ってくる人たち。
あれは一体なんなんだろう。
そう考えると、やっぱりこの国の大きなターニングポイントは、
「安倍晋三とはなんだったのか」。
そこを通過しないでは、先に行かれないのだろう、と思う。
亡くなった今も、彼のファンは多い。
別に安倍さんを信奉する人がいることを否定も批判もしないけれど、なぜそんなに彼が好きなのか。
彼らの意見を聞いてみると結局は、出自もおかしい間違ったこともやったけど、アレをしてくれたコレをしてくれた…
自分がやって欲しかったことを代わりにやってくれた。彼らの評価はそこに尽きる。
ワクチンが始まる直前、安倍首相は腹痛を訴え自ら一旦、職を辞した。
結果、菅首相がワクチン大号令を発布、最大の汚れ役を引き受けた。彼はその後も、政治家を引退するでもなく、派閥の代表として日陰で活躍し続けた。
長く政治の中枢にいて、いいことも悪いこともいろいろやったのだろう。
確かに何かと戦った部分も、あったかもしれない。
両方の意見があることはわかるけど、だけどそのワクチンの一点を考えて見ても、
私にはどうしても彼の存在に、盛大な邪悪さを感じずにはいられない。
全ての人が、信奉する誰かを手放すこと。
自分の代わりに言いたいこと言ってくれる人、やってくれる人に、便乗するのをやめること。
同じ行き先のバスを見つけたって、結局最後の目的地は、みんな自分の足で一人で歩いていくのだ。
ただ愚直に、自分に帰る。
逆に言えば、安倍晋三がなんだったかの総括が終わる頃にはきっと、
「それ陰謀論でしょ」なんて言う人がいなくなるくらい
世界は変わっているってことだ。
これが今年最後のカウンセリング。
私は自分がなぜこんなに怒っているのか、夫と話をするのがなぜ怖いのか、
頑張って夫との会話にチャレンジしてみた結果、どんな心境の変化があったのか、そんなことをカウンセラーに報告しに行った。
要するに私は、自由になりたいのだ。
「自由になったら、何をしたいですか」
本当は今年、一人旅に行きたかった。
座禅を組んで瞑想の練習をして、一日一食の精進料理でデトックス、泊まり込みのお寺の修行プラン。
でも、1週間という、味わったことのない長い期間。
値段も高いし、高速も乗れるかわからないし、南海トラフが来るかもしれない。
子供たちの、ご飯はおやつは掃除は持ち物は?
冷蔵庫の在庫は、お洗濯ローテは、お弁当は?
学校のイベントやテストの日程も考慮しなければだし、
一体いつならこの「1週間の自由」を、スケジュールの中に知恵の輪がかちゃりとはまるようにキレイに当て込めるんだろう。
そんなことばかり考えて二の足を踏んでる内に、結局、決行することはできなかった。
家族のスケジュールは全て私の頭の中に組み込まれていて、それをゼンマイにして全てが動いている。その動力がすっといなくなってしまったら、どうなってしまうのだろうって不安になる。
罪悪感がわく。
「自分が自由になったら、何が起こりそうな気がするの?」
いつか、もっともっと頑張ってとんでもないぶっ飛んだ人間になって、
家族からも世間からも誰からも、「あの人頭おかしいから仕方ないよ」って認知され、諦められるのはイメージできる。
でも、そこに至るまでの一歩一歩、
今日はもう、ご飯作るのやめちゃえ、お家に帰るのやめちゃえ、真面目でいるのやめちゃえ、って一つ一つを振り払うのがとんでもなく力がいるのだ。
私がそう説明したら、カウンセラーは、
「じゃあどうして、自分は自由になれないんだと思いますか」と言った。
それは、生まれた時から、自由だったことがないからです。
私が答えるとカウンセラーは、なんだ全部分かってるじゃん、とでも言いたげに、書くのをやめてペンを放った。
そしていつものように、「本当に、〇〇さんに似てるよね」と言って笑う。
〇〇さんとは、私の前任のカウンセラーのことだ。
前任のカウンセラーは、もとは、現在私がお世話になっているカウンセラーの患者だった。回復の過程で彼に感化され、自分もカウンセラーになると決めて弟子入りしたのだ。
彼女が去年、体調不良でカウンセラーを引退するとき、私は代わりの新しい先生を探して、彼女の紹介でその師匠である今の先生を訪ねた。
彼女の回復の軌跡も担当した彼は、彼女から引き継いだ患者である私を、事あるごとに「〇〇さんに似てる」
と言って、何かを知ってるような顔で笑う。
「〇〇さん、今はお家には帰らないし、好きな趣味に没頭して、お金も好きなだけ使ってるけど、
旦那さんもご両親も、怒ったりトラブルになったりしてないよ」
カウンセラーはただ、「そういう生き方は、可能だよ」という話をしているだけだ。
それは分かってるんだけど、何かもやもやと、イライラする気持ちが湧いてくる。
(〇〇さんが最近お家に帰ってないなんて、なんでそんなこと知ってんの?)
彼女の患者でなくなってから、私は彼女とは連絡を取る理由がなくなった。
当然、彼女の近況も、何も知らない。なのに、かつての患者であり、子弟関係だった人と、彼女が弟子でなくなった今も緊密に連絡を取り、細かな現状を把握しているのは、なぜ?
なんども感じて、でも、人様のプライバシーに入り込むなんて失礼だよなって
真一文字、回れ右してなるべく考えないようにしてきたこと。
この人たち、付き合ってんじゃないの?という疑惑。
彼女がカウンセラーを辞めると聞いた時、私は安心させたくて、まずは彼女の師匠のところを訪ねた。
それから、もう自分は新しい手立てを見つけたから、この場所がなくなっても私は大丈夫、安心してくださいって伝えるために、最後にもう一度、彼女を訪ねた。
その時、先生のお師匠のカウンセリングは、びっくりするほど先生に似てますね、と伝えた。
すると彼女は、大きなリボンがゆっくりとほどけたみたいにふわりと笑って言ったのだ。
「私はどうしても、〇〇先生になりたかったんですよね」
あなたが好き、でも、あなたが必要、でもなくて、「あなたになりたい」。
それって、ものすごい深い、愛の告白じゃないのか。
あんな可憐な女性が、自分に憧れ、尊敬と信頼、多分、当時はまだ歪んだ愛着障害とを拗らせて、「あなたになりたい」なんて言って、必死に勉強して自分の足跡を付いてくる。
そんなの、男が、我慢できるものなんだろうか。
だいたい、私のエンパス体質を知っているくせに、こんな風に二人して匂わせしまくってくるなんて隠す気もない、もはや早く気づけよクスクスって開き直ってんじゃないのか。
兵庫県の下世話な話を聞いていると、
もしかして、知らないのは引きこもりの私だけで、
世の中ってもう、そんな感じが当たり前で、仕事でも会社でもどこでも、
誰と誰は出来上がっててとかみんなだいたいこんな感じで回ってんじゃないのか。
そんなの、なんか知らないけど、職務規定違反とか、倫理違反とか、なんかそんなのじゃないのか。
カウンセリング法にだって、抵触してんるんじゃないのか。
そんなこと言ったって、彼らにはどうせ通じない。
「あなたはそう思うんですね」ってにっこりされて終わりだ。
自由になった人は、無敵だ。
イライラする。
私には出来ないことを目の前で楽しそうに謳歌して、しかもそれをこれ見よがしに匂わせしてくる。
私とは違う。
全然違う。私は彼女になんか似ていない。
私の旅は、彼女のとは違う。
私は彼女のように、最終、旦那さんとご両親と一緒に暮らすことを選択したり、そんな中途半端なことはしない。
この社会も制度も、親も、思い込んだ「〇〇すべき」の数々もみんな振り払って、必ず一人になって、今まで誰も見たこともないような自由を手にいれる。
私が必死で歩んでいるこの道は、
彼らの知ってる、予定調和の、どこかのカウンセリングの教科書にすでに書かれた
二番煎じのありきたりな物語とは違う。
私は私だけの結論に向かっている。
私の心の中に、勝手に入ってくるな。
そこまで考えて、笑ってしまう。
それって、いつも、私が人にやっていることだ。
「だって分かっちゃうんだもん仕方ないじゃん」って開き直っているそれが、
人にされて、どんなに気色悪いことか。不快なことか。
幼かった一村が、せめても父への抵抗でちぎり取った、虫食いの跡。
自分がそれをやめないうちは、結局はいつもの母の、
「どうせ〇〇とか思ってるんでしょ!」
「ネットで私の悪口を言いふらしてるんでしょ!」
というトンチンカンな妄想に周波数が合ってしまう。
もうすっぱり、やめてしまおう。
そういうつまらない昔のことは、全て神様に、
そういうことなんでしたよ、人間の世界って、三次元の世界って、そういうことなんでしたよ、
って全部、報告書を作って差し上げてしまおう。
それで神様に、大いに笑っていただこう。
お焚き上げだ。
私が他人の気持ちを推し量るのをやめれば、私を勝手に量る人が私の世界から消える。
そうやって、私はきっと、世界に少しずつ貢献してる。
メンヘラで、依存的で歪んだ愛を求めてさまよっているときに、
お金を払えば、患者のフリをすればいくらでも会えて、受けれてもらえるのって、
きっと苦しいだろうなと思う。
だったらいっそ、もう拒絶されて会う手立てもない、という厳然とした事実がある方が楽だ。
「愛なんて、どこにもないんですよ」
いつか、前任のカウンセラーの彼女に言われたこと。
そんなことない、だって先生だってこうやってカウンセリングやって人を、助けてるじゃないですか。
メンヘラ全開で、泣きながら食ってかかった私に、彼女は
「それは、お金をもらっているからです」
ぴしゃりと言った。
あの時の彼女の、冷たく毅然とした眼差しを思い出す。
”あなたと会うのは、お金をもらっているからです”
彼女はその言葉を、誰から教わったのだろう。
愛着障害の人間は、子供の頃から、親の条件付きの愛に振り回される。
何かを成し遂げれば、誰かに勝てば、誰かより優れていれば、何かであり続ければ、愛のようなものを与えられると勘違いする。
でも、その愛じゃあいくら食べてもお腹が膨れないから、いつまでも本物のそれを探して彷徨い続ける。
こんなに頑張ってるのに愛をくれないって、親に思っていたことをいつの間にか目の前の相手に投影して怒り続ける。
怒るために執着して、そうして迷路に閉じ込められて、出られなくなる。
「あなたの探してる愛なんて、この世にはないよ。それはまやかしだよ」
相手がどんなに痛がろうが駄々を捏ねようが、そう断言して崖から突き落とし、
幻影を引っぺがしてくれることは、愛だ。
一番メンヘラが暴発して抑えられない相手とコミュニケーションを取るのって、どんな感じなんだろう。
私は、自分には体験することのできなかったその感触を、頭の中で想像してみる。
そんな痛みに、自分ならあのとき、耐えられたのだろうかと想像してみる。
年の瀬が迫り、子供たちのスクールもいよいよ、年末らしいイベントの準備がはじまった。
娘もクリスマスパーティーでやる出し物の準備であれこれ悩み、ときには耐えられなくなって私に、ネタバレになるけどー、なんて言いながら相談をしてくる。
ムカつく、って思ったらさ、怒ったり、黙ってただ我慢するんじゃなくて、まずは質問してみたらいいんじゃない?どうしてそういうやり方に変えたの?私はこういう風にやりたいと思ってたんだけど、って。自分の気持ちを言ってみたら?
そしたら、相手が、それはこれこれという理由でこっちに変わったんだよ、とか
何か知らなかったことがわかってスッキリするかも知れないよ。
そんな風に言いながら、私はもう、偉そうに回答している自分に笑いが抑えられない。
それ、どんな華麗なおまゆーだよ。
自分はそんなこと、出来たこともやってみたこともないくせに。
それでも、そういう苦労を実践できる娘をただ、羨ましい、と思える自分に私はホッとする。
きっと彼女は、笑ってそれを乗り越えて、こんな経験があってむしろよかったって眩しい光いっぱいになって帰ってくる。それを信じて、楽しみにできるようになった自分に、私は少しだけ、達成感のお裾分けをもらう。
寒くなって来て体調を崩したのか、夫が具合悪そうにしている。
いつもなら完全にスルーするところだけど、私はリンゴをむいて、夫の部屋に差し入れた。
以前は、そうやって優しくしたり、話しかけたりするとまた、
ああ、これでいよいよ関係修復の糸口を掴んだ!って夫がすり寄って来るのが本当に嫌だった。
期待さて、せっかく作った距離を、また改めて拒絶して傷つけて、境界線を引き直すのが本当に苦しかった。
その、拒絶する瞬間に出て来る罪悪感が、また私の次の一歩を引き止める。そうやって相手の思い通りコントロールされていってしまうことが怖かった。
あのときも、あのときも。
黙って我慢して飲み込んでしまうんじゃなくて、自分の気持ちを言いに行けばよかった。私はこう思っているんですけど、どうして私にだけこんなひどいことをするんですか?って質問しに行けばよかった。
失敗した過去は戻らない。
会えなくなってしまった人は、戻らない。
戻らないけど、ここから新しい解釈を積み上げ、次こそ今までとは違う行動を選択していくことで、その過去は、新しい未来への布石になる。
あれがなければ今ここはなかったって、いつかそう思えたとき、その過去の失敗は失敗とは違う何か愛おしいものになる。
そうやって、過去は変えることができる。
自分が傷つけた人がどれくらい傷ついたか、私はいつも、じっと耳を澄ませてる。
でもそれは、私が本来、感じる必要のない痛みだ。背負う必要のない重荷だ。
嫌なものは嫌。許せるものは許せる。
そんな軽やかで流動的で、相手の動向にいちいち振り回されない私になれば、別にどうということもない。
夫がリンゴをどう受け取ろうが、どうでもいい。
別に私をコントロールしてやろうなんて思ってやしないのだ。
私と同じ夫も、相手に可哀想と感じてもらえば安心し、過剰に努力していると思われれば愛されていると思う。そういうコミュニケーションしか、教わったことがない。ただそれだけだ。
そこまで気がついたら、いつの間にか、夫と話すことへの恐怖や嫌悪が、少しずつ和らいでいた。
随分遠回りしたような気もするけど、近道を行くだけが人生の目的じゃない。
この壊れゆく世界の、終末の刹那。
一番大切な人に、思い出しただけで二度と立ち直れないくらいメンヘラ発動したり、暴れたりするチャンスがなかったこと。
そうやって、この地球史上に残る大転換点を迎えられた、というのはもしかしたら、いいことだったのかも。
たくさん失敗したけど、二度と立ち直れなくなるほど打ちのめされる前に、いろんなことを見て聞いて、いろんなことを学んで、なんとかここまでたどり着いた。
神様にお焚き上げするお手紙は、きっと少しは神様にも笑っていただける、面白いものになったんじゃないか。
世界が、いよいよ終わる。
年末には、いつも、今年一年お疲れ様で、自分に何かご褒美をすることに決めていた。
でも今年は、自分に何かご褒美を買ったり癒したり、特別な食べ物を献上することに心が反応しない。
神社に行って神様に、今年の小さな冒険譚を差し上げて、お焚き上げしていただいて、笑っていただくこと。
そして、ちょっとずつ貯めておいた小銭をアザラシ幼稚園に寄付して、可愛いアザラシを愛でて笑って、年越ししようと思う。
来春は、子供たちと、スキー旅行に行く。
去年はスキー教室に申し込んだらインストラクターに、子供たち共々リフトの頂上まで連れて行かれてしまって冷や汗をかいた。
もう一度アレをやるのか、と思うと、足がすくむ。
息子が学校の選択制カリキュラムでカナダに行くのに合わせて、
娘と二人、スクールをサボって息子を冷やかしに、息子の滞在する地域を旅行することも決めた。
生まれて初めてのカナダだ。
そのとき、世界はどんな風になっているのだろう。
お金は?拙い英語は?本当に大丈夫なんだろうか。
飛行機の時間を間違えたり、ホテルが治安の悪い地域だったりしたら?
どれもこれも、現時点では想像しただけで膝が震えるような計画ばかりだ。
でも、それを乗り越えて何かをやり遂げたら、少しずつまた自由になれるだろうか。
本当に自分がやりたいことはなんなのか。
自由になったら本当は何をしたいのか、何になりたいのか。
心に自由に思い浮かべられるように、来年こそはなるだろうか。
今年一年は、いい人も悪い人も、どなたさまにとってもいったい何が起きているのかわからない、本当にお疲れ様な一年だった。
どうか来たる激動の2025年が、皆様にとって、素晴らしい年となりますよう。