自分をいかす仕事 = つくる喜び × 叶えたい願い
こんにちは! グリーンズ理事の兼松佳宏です。
グリーンズジョブのキャッチコピーにもなっている「自分をいかす仕事」。でも、実際そんな仕事と出会うには、どうしたらいいのでしょう?
ここまでgreenz.jp編集長としてさまざまな人生のストーリーに触れたり、さとのば大学副学長としてさまざまな変容を目の当たりにしてきたなかで、こんな方程式があるのでは?と考えています。
自分をいかす仕事 = つくる喜び × 叶えたい願い
まだまだ仮説検証中ではありますが、11月から、このフレームワークをもとに、「自分をいかす仕事ゼミ(お試し版)」を開講させていただく予定です。そこで今回のコラムでは、「つくる喜び」や「叶えたい願い」とはどういうことか、どうしてそれがトランジションと関係するのか、自分の経験もふまえて綴ってみたいと思います。
「チェンジ」と「トランジション」の違い
同じ“変わること”を意味する言葉だとしても、「チェンジ」はあくまで一回の出来事で、「トランジション」は進行中のプロセスとされている。だからトランジションは、「変えよう!」という意気込むものではなく、「気づいていたら変わっていた」という感覚に近いのかな。
ダイエット然り、がんばって一回チェンジできたとしても、メンタルモデル(考え方)や行動のパターンが変わっていなければ、おそらく元に戻ってしまう。あるいは、無理をしすぎて予期せぬリバウンドが起こることもある。
一方のトランジションは、「終わり」からはじまるからこそ、本来は不可逆的なもの。もし元に戻ったように見えたとしても、そこにある自分はもはや前の自分ではない。だから戸惑う。何だか違和感がある。ここではない、気がする。
なぜ、そんなことになってしまうのか。自分のなかで何が変わってしまったのだろうか。僕は、「喜び」と「願い」がその鍵を握っているのではと考えている。
「何に喜びを感じるのか」
「これをつくっているときが自分らしいなあ」と思っていたのに、いつのまにか、「せねばらぬ」と義務のように感じられたり、あるいは、良くも悪くも、自分の限界を感じて、その才能をさらに伸ばそうとは思えなくなったり。
確かに「できること」ではあるけれど、「やりたいこと」ではない、というジレンマがあるとすれば、きっとそれは自分にとっての喜びが、しっくりくる表現方法が、トランジションしつつあるサインなのだと思う。
僕でいうと、新卒でウェブデザイナーをしていたけれど、諦めた。デザインは好きだけど、もっとできる人がたくさんいるし、僕自身がデザインをする必要はないと思えてしまった。それはひとつの挫折だったけれど、ふとしたきっかけで「ことば」という表現方法が自分の本懐であることに気づいた。いまなお書くことは、ぜんぜん諦められない。ずっと書き続けていたい。
やがて、編集長、大学教員を経験して、「ことば」はもちろん、学びの場での「ふるまい」やカリキュラムの「編集」も、自分にとっての喜びであり、大切な表現方法だと思えるようになった。実際の仕事(do)ではなく自分らしさ(be)に肩書きをつけるなら、「作家」であり、「喜劇俳優」であり、「学びの編集者」であること。それが、自分の可能性を最大限に発揮できている、「本来の自分」としての幸せ。
「どんな願いがあるのか」
一方、「どうしてこうなってしまうのかなあ」と問題意識を持っていたのに、いつのまにか、そこまで関心を持てなくなっていたり、あるいは、良くも悪くも、誰かがやってくれればいいかなと思えたり。確かに「よく知っていること」ではあるけれど、「探究したい」ほどではない、というジレンマがあるとすれば、きっとそれは叶えたい「願い」がトランジションしつつあるサインなのだと思う。
僕でいうと、20代の頃は「デザインの足りないところにデザインを」という旗印を掲げて、NPOのウェブサイトをプロボノでつくったり、「デザインは世界を変えられる?」というテーマで世界中のデザイナーにインタビューをしたりしていた。でも、ソーシャルデザインという考え方が根付き、もはや当たり前のものとなったとき、ひとつの役割が終わってしまったような気がした。
それはひとつの挫折だったけれど、その後、幸いにも子どもが生まれ、“教育”というテーマが急浮上してきたとき、より解像度が高まって「ソーシャルデザイン教育」に関心をもつようになった。
マインドフルネスを世界中に広めた禅僧であり平和活動家のティク・ナット・ハンは、つながりのなかで生きている私たちのことを「inter-being」と表現したけれど、ソーシャルデザインが小さなエゴや承認欲求を超えた健やかなものであるために、「導かれるままに自ら動いている」としかいいようのない「inter-doing」という感覚が大切になっていくのではないか、という新たな次元の興味。
それはとても抽象的で、簡単ではなくて、無限の広がりがあるからこそ、40代の身を投じるのにちょうどよさそう。「誰もがinter-beingとしてあり、inter-doingとしてなすべきことを、それぞれがいきいきとなしている未来」。それが、僕の「ほしい未来」。
自分をいかす仕事 = つくる喜び × 叶えたい願い
「願い」はそのままに、手応えを感じることや表現方法が変わっていく「喜び」のトランジションなのか。あるいは、「表現」はそのままに、向かう方向性が変わっていく「願い」のトランジションなのか。
トランジションをよくみてみると、そんな2種類があるのではないか。そして揺らいでいる「喜び」と「願い」の2つの点を結んでできた線こそが、自分をいかす仕事を生み出すための揺るぎない軸となるのではないか。
「何に喜びを感じるのか」
「どんな願いがあるのか」
これらの問いはシンプルなようで、まったくシンプルではない。だからこそ、まとまらない言葉の段階で、他者と共有する場をつくってみたい。
ということで、この秋、グリーンズジョブとして、「自分をいかす仕事ゼミ(お試し版)」をはじめてみたいと思っています。たしかにいま、そんなタイミングかもと感じた方は、ぜひ参加しませんか?
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