続・私の中の元祖チャーシュー麺
前回の続き。
3月25日。
約4年ぶりに私は栃木の大地に降り立った。
コロナの心配がまだ続く中で訪れたのは、翌日東京で行われる従妹の結婚式のためで、祖母、従妹の父である叔父一家の住む家に前泊させてもらうことになったのだ。
朝早い新幹線に乗り、車内で朝食として弁当を食べ、お昼ご飯は祖母達の住む町で食べることを予定していた。
理由はもちろん、この町の小さな中華屋さんのチャーシュー麺を食べるためだ。
田畑ばかりの田舎町。
天気はおあいにくの雨だったけど、土と草の匂いがとても懐かしくて、「久しぶりに来た」というよりも、「帰ってきた!」って気分だった。
元々生まれは関東の私。
関西に引っ越すまでは、母が赤子の私を何度も連れて里帰りした場所だから、もしかしたら肺がここの空気を求めてるのかもと思う。
一緒にいた妹は、4年ぶりに来ても道を覚えている私に「どんだけ栃木に来たかったんだよ…」と少々引いてたけども、おかげで駅から迷わず、あの中華屋さんにやって来れた。
「はい、いらっしゃーい」と、客席の椅子に座って出迎えてくれるおばちゃん。
小さくなったなぁ。
「お久しぶりです。私、◯◯の家の孫なんですけど…」
4年ぶりだし、マスクをつけたままだったから、おばちゃんは私と妹を見てすぐにはわからなかったらしい。
けど、そう名乗った途端にパァッと笑顔になって、「あらーっ‼︎◯◯さんちのお孫ちゃん‼︎久しぶり〜‼︎いつ来たの?」と、思い出してくれた。
厨房にいたおじさんも、声が聞こえたのか、私達を見るなりすぐに「チャーシュー麺かい?」と、好きなメニューを覚えててくれた。
4年前と変わらぬ店の佇まい。
変わらぬおばちゃん達の優しさ。
そう思っていたのだが、この後私は、2人が……特におばちゃんが、確実に歳をとり、弱って来ていることを思い知ることになった。
背中がすごく曲がった。
小さく見えたのは、歳のせいで痩せただけかと思っていたけど、曲がった背中が真っ直ぐにならない。
中でも一番気になったのは、会話のやり取りだった。
「もうおばあちゃんには会ったの?おばあちゃん達、孫に会えて喜ぶわねぇ〜」
「今は何のお仕事してるの?」
おばちゃんの質問に一つ一つ答える私。
最初に違和感を覚えたのは、この会話だ。
「そういえば、おじいちゃんは?」
「え…?」
「最近あまりみないけど、元気なんでしょ?」
「おばちゃん、おじいちゃんは12年前に亡くなったよ…」
元常連客だった、私の祖父。
祖父は12年前、83歳で天国に旅立ち、葬儀にはおばちゃんも来てくれたのだが…。
「あ、そうだったっけ?亡くなったっけ?」
「そうだよ!おばちゃん葬式に来てくれたじゃん〜!」
明るく返して、あまり気にしないようにと思っていたが、それから数分後。
「もうおばあちゃんには会ったの?おばあちゃん達、孫に会えて喜ぶわねぇ〜」
「今は何のお仕事してるの?」
「そういえば、おじいちゃんは?」
このやり取りを3回繰り返したのだ。
年齢を聞けば、おばちゃん達も83歳。
認知症のような症状が出ても不思議じゃない年齢だ。
私は、内心ショックを受けつつも、注文したチャーシュー麺と餃子が出てくるまで、何も気にしない顔を装って、おばちゃんの話にきちんと返事をした。
「さっきもそれおばちゃん言ってたよ」とは、言わないように気をつけながら。
後から聞いた話だと、妹は、そんな私とおばちゃんのやり取りを聞いて、「お姉ちゃんよく普通に返せるなぁ」と感心してたらしい。
以前なら10分経たないうちに出て来ていたチャーシュー麺も、20分ほど経ってようやくテーブルに。
おじさんも、ご老体に鞭打って頑張って作ってるんだろうな。
そう思いながらチャーシュー麺を口にすると、さっきまでのしんみりした気持ちから一転。
懐かしい鶏ガラスープの優しい味が広がってた途端、思わず笑顔になった。
「あ〜っ、おいしいっ‼︎」
そうそう、この味!
正面に座る妹も、「やっぱうまいわ!」と喜んで食べている。
焼き餃子も中の餡にしっかり味がついてて、酢醤油をつけなくても美味しい!
時間こそかかるようになっても、求めていた味は4年前と変わらなかった。
そして、おばちゃんもお会計、注文を聞くことには何も問題は無さそうで、チャキチャキとホール作業を行なっている。
食事を終え、お会計を済ませようとレジに向かうと、また「おばあちゃんには会ったの?」と4回目のやり取り。
「ううん、これからおばあちゃんちに行くよ」
「そう〜!おばあちゃん達、孫に会えて喜ぶわね〜!」
「ゴールデンウィークにまた食べにくるね!」
そう言って、店を出た後。
真っ先に思ったのは、食べに来られてよかった。
そんな感想だった。
きっともう、ここに来られる回数はそんなに無い。
コロナ禍で栃木に来られない間、もう食べられないかもと思いながら、店の存続をネットで調べては、間に合え、間に合えと願い続けていた。
距離は遠いし、旅費だって馬鹿にならないくらいするので、頻繁には来られないけど、この店の味と、おばちゃんおじちゃんの優しさを生涯忘れることの無いくらい、しっかり舌と目に焼き付けておきたいと思うのだった。