藤と五つの枝の子
夏が終わりを告げる頃、栃木に住む大好きな祖母が亡くなりました。
ばーちゃんの訃報が入ったのは、9月8日日曜日の16時半頃。
そのたった10分ちょい前に、母から「ばーちゃんもうダメかも。血圧上がらないって病院から連絡入って、今弟(叔父)夫婦が向かってる」と聞いたばかりだった。
意外や意外にも、私はばーちゃんの悲しい報せに取り乱さなかった。
じーちゃんの時は全身から血の気が引いて、叔母からの電話を切った途端ワッと泣き出して、涙が止まらなかったのに。
多分その違いは、心づもりができてるかそうでないかだったのかもしれない。
さすがに、物言わぬ姿となったばーちゃんを目にした時は涙が出たけど、看護師をしている従弟のタク(仮名)が、
「95歳で心不全っていうのは、寿命なんだよ。俺達の「一日でも長く生きて欲しい」ってワガママで延命して、苦しい思いさせちゃったけど、ばーちゃんは決められた自分の時間を最後まで生き切ったんだよ」
――と言ったのを聞いて、「そっか、頑張ったね…」と思えた。
95歳のばーちゃんの人生は、苦労だらけだった。
でも、いつも優しさと感謝の気持ちを忘れず、「ありがとうね」「どうもね」と、ほんの些細なことにすらきちんとお礼を伝えていた。
そんなばーちゃんと長年暮らしていた従姉弟達は、心配性過ぎて小言が多いばーちゃんにうんざりしていたこともあったけど、みんなばーちゃんの最期に会うために、仕事を調整して集まっていた。
ばーちゃんの棺に入れる手紙を書く時、一つ年下の従妹、ゆゆ(仮名)が三ツ矢サイダーを冷蔵庫から取り出した。
「タクがね、『ばーちゃんといえば、いつも三ツ矢サイダーを用意してくれてたよね』って買ってきたから、これ飲みながら書こうよ」
そう、ばーちゃんはいつも夏に遊びに行くと、必ず三ツ矢サイダーを用意して待っていてくれた。
狭いテーブルで、交代しながらばーちゃんに手紙を書き、サイダーを飲む。
子供の頃は、夏休みの宿題疲れをしている孫達に、ばーちゃんがグラスに注いでくれたのだ。
大人になっても、私が「夏といえば栃木と三ツ矢サイダー!」なんて言うから、ばーちゃんは細い缶タイプのサイダーを箱買いし、奈良に帰る日に「ホラ、暑いから飲みながら帰りな!」と、リュックがパンパンになるくらいたくさんサイダーを持たせてくれたっけ。
*
通夜には、ばーちゃんの二番目の兄の息子3人と、母の再従兄(ハトコ)家族が来てくれて、告別式には、ばーちゃんの一番目の兄の子供達と、じーちゃんの兄の娘二人が来てくれた。
ばーちゃんは、五人姉弟の末っ子。
お姉さんもお兄さんも、20年以上前に旅立っていたので、ばーちゃんの甥っ子と姪っ子にあたる人達にとっては、最後のおばさんだった。
母の再従兄家族は、元々ばーちゃんと同じ宮城出身で、家も近かった。
じーちゃんの仕事の都合で埼玉に来た後、再従兄家族も埼玉にやって来て、交流が深かったらしい。
じーちゃんの兄の娘二人は、ばーちゃんとじーちゃんが結婚して数年間、じーちゃんの実家で一緒に暮らしていたことがある。
大人になってからも、長女のせっちゃん(仮名)とはおしゃべり好き同士よく電話をしていて、その人はいつもばーちゃんのことを「母さん」と呼んでいた。
本当の母親じゃないけれど、母親同然に思っていてくれたのかもしれない。
*
葬儀はじーちゃんの時もそうだったけど、割と明るいものだった。
もちろん、私も含め何回か泣いてしまった人はいたけど、火葬場へ移動中の時や、火葬している間は和やかで、思い出話に花を咲かせていた。
せっちゃんの妹、みっちゃん(仮名)は、こんなことを言っていた。
「こんなにたくさんの親戚みんなで集まるのって、こういう時だけよね。私思うのよ。これって、亡くなった人が呼び寄せてくれてるのよね。普段からみんなに「会いたい」って思うけど、仕事や家庭のこともあるから、そう簡単にできないでしょ?おばちゃんに感謝だね」
みっちゃんの言う通り、母や叔父は自分達を可愛がってくれたイトコのお兄ちゃんお姉ちゃんが大好きだったのに、大人になるとどうしても会える機会というのは減っていき、年賀状や伝え聞いた話などでしか近況を知れなかった。
ばーちゃんが作ってくれた機会。
それがしばらく経っても心に残っていた私は、プロのカメラマンである母の従兄、タケちゃん(仮名)にお願いして、私と妹、ゆゆとタクとカズ(仮名)の従姉弟五人の写真を撮ってもらった。
そして、高齢になった母やイトコにあたる人達の思い出もカタチにしたいと思い、スマホを片手に「おじちゃん!帰る前にお母さんと写真写って!」「おばちゃん、この写真あとで送るからお母さんとLINE交換して!」と、あちこち声を掛けていった。
特に、母が一番お世話になった従姉のお姉さんとは、絶対に連絡先を交換させたいと思った。
ばーちゃんがいてくれたからこそできた繋がりを、もう一度近くしたかった。
そして私達孫一同も、大人になって五人全員集まることが難しくなったため、現在の姿をしっかり残しておきたかった。
写真に写るのは、恥ずかしくてあまり好きではないけれど、これから先何十年あとになって、後悔するような気がしたから。
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藤と五つの枝の子とは、ばーちゃんの名前から思いついた。
ばーちゃん、長い間お疲れ様でした。
ありがとうね。どうもね。