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Dear あの頃の私へ

今の会社に入社して、1年と数ヶ月が経過した。

前職は飲食店で働いていたけど、今の私の職業は『グラフィックデザイナー 時々事務員』

一般事務で応募して採用されたはずなのに、現在はグラフィックデザインがメインとなり、事務仕事がオマケ。

今日はここに至るまでの出来事を振り返りつつ、過去の自分にエールを送りたい気持ちで、色々綴りたいと思います。

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中学3年生の時。
私は進路に悩んでいた。

それは、行きたいと思っていた高校へのレベルが全然足りていなかったから。

なんでそこに行きたかったかと言うと、制服が好みだったんですよね。

それだけなんだけど、他に行きたい学校も無いし、自分の学力に見合う学校は遠いし、私以上に勉強嫌いな妹は近場の偏差値が低い私立に行かせるから、お前は頑張って公立に行ってくれ!と、親に釘を刺されていたために、「どうしたものか…」と、頭を抱えていた…。

しかし、日に日に難しくなる授業内容について行けず、滑り止めとして受けた、あまり頭の良くない学校。

その、学校が新たに開設した、『普通科 デジタルデザインコース』という、コースの1期生として、私の高校生活はスタートした。

そう、つまりやっぱり公立に落ち、母からはものすごい剣幕で怒られた。

この学校では、Photoshopとillustratorという、Adobeが開発したソフトの使い方、それを使ったグラフィック製作を3年間みっちりと学んだ。

元々絵を描くことが好きで、いつかパソコンを使ってお絵描きしてみたいと思っていた私にとって、この学校での生活は最高に楽しくて、中でもillustratorを使ったポスターや、イラスト製作に夢中になり、3年生になる頃には、得意なソフトはイラレ(illustrator)と言う程、このソフトを使った作業が大好きになっていた。

***

大学は、情報の教員免許がとれて、デザインの勉強もできる学校を選んだ。

少し遠かったけど、近場の情報教員免許が取れる大学では、Photoshopやillustratorを使用することは無いと、オープンキャンパスで説明されたからだ。

だが、その進学した大学で私は、教授達からイジメのような扱いを受け、心を病んで退学した。

高校時代の担任に相談したところ、恐らく大学入学前から、パソコンやグラフィックソフトへの知識があることが、プライド高い教授達から見て、気に入らなかったのではないか?と言われた。

教授達に直接それを自慢したつもりは無いが、授業内容がわからなくて困っている友達に教えてあげてる内に、教授ではなく私を頼ってくれる子が増えて、時々睨まれていたのは気付いていた。

そんな私によく教授が投げかけて来た言葉が

「ふーん、グラフィックソフトは使えるのに、これは知らないんだ?」

「君が高校で習ってきたことなんて、社会に出ても一切役に立たないから!」

大好きだったことや、高校で私に新しい世界を教えてくれた先生、楽しい思い出を全て否定されたような、悔しくて悲しくて、腹立たしい日々が続いて、大学に行く時間になると、体に様々な不調が現れて、私はこの状態から普通の生活ができるようになるまで、約3年以上かかった。

学校を辞めて、体調が以前より回復してきた頃、隣町の飲食店へアルバイトの面接に向かった。

接客業を選んだのは、人と関わることが怖くなっていた自分をなんとかしようと思ったから。

すると偶然にも、当時の店長さんが私と同じ高校の1学年先輩で、コースは違ったけども、デジタルデザインがどういう勉強をしていたのか知っていて、店のPOPなどを作ってくれる人員が欲しかったと言って採用してくれたのだ。

お店のPOP作りは、まだリハビリのような短時間でしか働けなかった私にとって、必要とされている安心感を与えてくれるものだったし、店長や先輩スタッフ、お客さんから褒めてもらえることが嬉しかった。

そして現在。

私はillustrator…ではなく、それと同じ機能を持ったフリーソフトを使用しての、グラフィック製作の仕事をしている。

基本操作や基礎知識は、高校で学んだillustratorとほぼ同じで、あの経験を存分に活かせているし、会社の人達からも「このソフトできる人がなかなか見つからなかったから助かった!」と、言ってもらえた。

大学時代の教授達には、アカンベーしながら「役に立ってますぅぅぅ~~!」と、叫んでやりたいし、泣いていた私には、「何も無駄じゃなかった!大丈夫、好きなことを活かしながら、楽しく仕事できる日が来るよ」と、励ましてあげたい。

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夏穂
オリジナル創作の本やグッズを作る資金にしたいと思います。 あと、時々、元気を充電するために美味しいもの食べます(˘ω˘)