いまこの国で何が起こっているのか~映画「教育と愛国」
映画「教育と愛国」を観にいきました。教育や学問の場に対して、政府による介入が強まっていく過程を追ったドキュメンタリーです。
これほどまでに価値観の一元化と言語統制が進められていると知り、絶句しました。掛け声だけの空虚で欺瞞的な「愛国」の強制。愛されない者ほど愛を求め、感謝されない者ほど感謝を求め、尊敬されない者ほど尊敬を求める。そんなことをふと思ったんです。愛は強制されるものではありません。「愛国」をスローガンに掲げなければならないほど、この国は駄目になっているのでしょうか?
この国の駄目さを糊塗するように、声高に唱えられる「愛国」。それに従わない者たちを追い詰めていくその手口は、姑息というよりはむしろ稚拙で、「いじめ」や「いやがらせ」に近いものがあります。
自分たちの意に沿わない教科書を採択している学校に、抗議のハガキを組織的に大量に送りつける。戦争の被害と加害について教えてきた教師を、自治体の長がSNSで名指しで非難する……
こういった「迫害」の動きを推し進めている人たちは、そんなに必死になって何を求めているのでしょうか?
映画の中に、「新しい教科書」の執筆に関わった元東大教授が登場します。彼はこう言うのです。その教科書はちゃんとした日本人を作るためにあると。ちゃんとしたというのは?と問われて、しばし言葉に詰まった元教授は、「左翼ではない」と答えます。天下の東大で教鞭をとっていた人には似つかわしくない、あまりに単純な受け答えに、クスっと笑ってしまいました。理屈も何もあったものではない。それはあなたの感想ですよね?と言いそうになりました。
でも、すぐに我に返ってゾッとしたんです。元教授の言葉の単純さが、その単純さゆえに、国家レベルの暴力の芽になることに思い至ったから。
「愛国」のイデオロギーを受け容れない人、別の考えを持つ人に、「左翼」「反日」などのわかりやすいラベルを貼って非難し、排除する。その人の立場や権利を剥奪してしまう。この動きがさらに進めば、命すら奪われかねません。かつて「左翼」というだけで人々が殺された時代が日本にはあったし、「ユダヤ人」というだけの理由でドイツでは莫大な数の人々が殺されていきました。
そして、愛国を掲げる人たちは、自国をこよなく愛する反面、他の国々を敵視し、攻撃し、戦争を起こします。彼らの最終目標は、いつだって戦争なのです。
先の元教授は領海侵犯について、本来ならとっくに戦争になっているはずだ、情けないと嘆くのです。 徴兵される年齢をとうに過ぎた老人が、自分の身を安全な場におきつつ、若者たちを戦場に追い立てるのです。身勝手さを隠そうともしないあけすけな語り口に、私は腹を立てることも忘れ、老人の顔を見入っていました。
このインタビューの場面は、『教育と愛国』の書籍版にも出てきます。著者で映画版の監督を務めた斉加尚代氏は、元教授の姿勢を次のように見ています。
つまり、元教授のあけすけさは、それを許す社会の雰囲気があってこそなのです。だから彼はのびのびと「愛国」を語り、戦争を語るんです。その一方で、「言論の自由」や「戦争反対」の言葉は口に出すのもはばかられるような空気ができあがっています。
そんな世の中で、愛国心と「伝統」を幼い子どもに叩きこみ、「(左翼ではない)ちゃんとした日本人」に仕立て上げ、「御国を護る」ために戦場に送ることになるのでしょうか?私たちはまた同じことを繰り返してしまうのでしょうか?
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