大瀬良大地劇場#20220422〜個人的見解〜
最近、日常生活でうっかりミスが多い。昨日は以前使っていたカメラ用の三脚を間違えて用意してしまった。これでは何の役にも立たない。昨日の野球観戦撮影は、瞬間を撮ることは断念し、なるべく手ブレしないように(不器用で雑な私には到底無理な話だが)固定して、止まった場面、場面を少しずつ撮ることにした。三脚を忘れた時点でカメラ撮影のほとんどを諦めたようなものだ。
さて、いつものように前置きが長くなったが、大瀬良大地は昨日もスラリとした体型から大きく振りかぶって球を投げ込んでいた。8回まで無失点。9回のマウンドに上がった時はスタンドも盛り上がった。完投、完封できるか。
しかし、渾身の投球も疲れが見えたのか、ヒットを打たれる、バッターに粘られる…観客が拍手で応援するも、1アウトを取るために少々時間がかかる、点も取られた。高橋建投手コーチが2回目にベンチから出て来るということは、投手交代を意味する。マウンドから離れてセカンド付近に立つ大瀬良大地。セカンドを守る世界の名手菊池涼介が、そっと大瀬良大地に近づき、腰に手をやり、労を労うとともに大地の無念をなだめる。後ろに体重を乗せ、マウンドに近づくことをまるで拒んでいるかのような大瀬良大地。交代したくない、最後まで投げさせてくれ、そんな気持ちだったのだろうか。
4連敗中でしばらく投球機会のなかった抑えの栗林良吏が小走りに出て来て、大瀬良大地に軽く会釈する。テレビ観戦の時によく見かける、笑顔で「あと、頼むぞ」の仕草や表情を遠くからだからなのか感じられないような気がした。そして、大瀬良大地は、右手に持っていたボールを…ダッグアウトに戻りながら地面に叩きつけるように投げ飛ばしたのだった。この場面をカメラ撮影することはできなかった。しかし、腫瘍が取り去られ、すっかりクリアになった私の眼というカメラにはしっかりと焼き付けられた。危ない、怖い、が咄嗟に湧いた感情だった。いつも優しくて穏やかに見えるが、以前も大瀬良大地はフェンスにボールを投げつけたことがあったような…。最後まで投げられなかった自分への苛立ちなのか、投げさせてくれなかった上司への不満なのか、その両方なのか、それとも別の理由なのか。そんなことはどうでもいいが、到底見ていて気持ちの良いものではなかった。そのボールを誰が拾って片付ける?それを大瀬良大地は多くの観衆の面前でやってのけた。いろいろ抑え切れない感情は誰しもあるだろう。それだけ強い気持ちがないとピッチャーというポジションは務まらないのだろう。これまで何度か仕事上で感情を荒らげたことがあり、何人か話しづらい相手が職場にいる私が何を言う資格もない。しかし、カリカリと怒ると腫瘍が再発しそうで、すっかり丸くなった私から見れば、感情を爆発させるのはせめてダッグアウトに戻ってからにしてほしかった。
セーブのつかない場面だったが、栗林は登板期間が空いたためか、小気味良いピッチングで試合を締め、カープは見た目快勝。
それでも大瀬良大地はヒーローインタビューに登壇した。本当にわがままな人間なら、もしかしたらヒーローインタビュー自体も拒んでいたかもしれない。
大瀬良大地は、やや硬い表情で早口で「最後まで投げたかった」「最後まで投げるつもりで魂を込めて投げた」「とにかく試合に勝てたことが一番」と繰り返した。表情は強張ったままだ。
「チームプレーだから試合に勝つために下された決断。だが、今日の自分は最後まで投げるつもりだったし、投げられる自信はあった。なぜあそこで交代させられたのか。意味わかんねえ。リリーフ陣を休ませるつもりだったのに。この怒りをどこに持って行けばいいんだ」とは勝手な想像、完全フィクションの私が考えた大地の心境。
別の角度から見れば、上司、この場合でいうと監督やコーチは、組織として時には部下、この場合でいうと選手の意向や感情とは異なる方向性の判断を下さなければならない局面があるということだ。私自身は、最近特に働きやすさばかり求めてしまっている。部下の反感を買うことを恐れ過ぎてはならない。
昨日は栗林のテンポ良い投球に救われた。結果的には組織の下した決断は厳しい局面ではあったが良い方に出たということだろう。だからこそ、大瀬良大地も「チームが勝つのが一番」と笑顔はないものの言っていたのか。
さ、大本営(各チームを最も応援する新聞)に何か書かれているかチェックしてみよう。この投稿はあえて何も見ず感覚だけで書いてみた。カープオタク丸出しだ。(→大本営は大瀬良大地の行為に対して批判的な態度は取っていなかった。それ以上の大瀬良大地の功績について述べていた)
(ちなみに、本文に入れると比較しているようで申し訳ないので言わないが、昨日も栗林は最後、グラウンドに向かって一礼していた)
※文中敬称略