「醤油の魔人と塩の魔人」
この題名の内容にたどり着けるだろうか…
今、世界が直面している困難な状況を受けて、私自身に起こった生活様式の変化について語ってみたいと思う。
率直に、テレビをこれまで以上に見たくなくなった。
夫のように
「今社会で何が起きているか、知らないと」と考え、ニュースを見る人も多いかと思う。
だが、私の場合は、休憩室に行って(もちろん窓は開いて風が通っている)、『徹子の部屋』が流れていたら、心底ホッとする。徹子さんの滑舌が少々気になろうが、ゲストが緊張していようが、その方が安心なのだ。これまでは、チャンネル変えたいな、と思っていたのに。
ワイドショーで識者と思しき人が発言し、コメンテーターと呼ばれる人が声高に何かを語る。私の場合は、いてもたってもいられなくなる。
テレビを横目にイヤホンをする(結局、見ていない)。これまでは、両耳から直に音が聞こえて来て脳の真ん中で響くのが苦手だった。しかし、イヤホンを着用できるようになった。
テレビを見ない代わりにYouTubeを見るようになった。そして、自分が笑いを渇望していることに気づいた。
感動の余りちょっぴり涙が出て来るようなドラマは、他人の心に寄り添い、共感できるだけの余裕がある時に見られるのかもしれない、とふと考える。
「コーンフレークはね、まだ寿命に余裕があるから食べてられんのよ」とはミルクボーイのネタだけど、感動ドラマは心に余裕があるから見てられん(る)のかもしれない。
そういうわけで、主にYouTubeで、そしてテレビの特番でお笑いを好んで見るようになった。人を笑わせるって、すばらしい才能だと思う。人の外見や欠点をあげつらってイジる類の笑いでない方がいい。鋭い視点で、人が無意識のうちに不思議に思っている細かいことをおもしろおかしく笑いにしてくれると感動する。
と言いながらも、ここから語るのはテレビ番組についてだ。ちょっと迷走気味。
「ザ・ドリームマッチ2020」という番組で私はシュールにえぐる笑いを堪能した。端的に言うと、
「目玉焼きには醤油をかけるか塩をかけるか」という話である。ちょっと違うか…
個人的には目玉焼きには断然醤油をかける派だ。醤油の方が少数派だと思うが、本当のところはどうなんだろう。
ハライチの岩井勇気扮する「塩の魔人」と渡辺直美扮する「醤油の魔人」が繰り広げる、この料理にはどっちをかけるか問題。
後から思えば、二番目に出て来た目玉焼きの時が、塩の出番の唯一のチャンスだった。そこを醤油に譲ったところが運命の分かれ道だった。
醤油の魔人が、塩の魔人に気を使いながらも、やはり自分の出番だと悟った時に見せる優越感に浸り歌い上げる姿。最初は余裕を見せながらも、平静を装いながらも、自分が選ばれる料理がないことに焦り、落胆し、最後は狂気の叫びで終わっていく塩の魔人。
喜劇、ミュージカル仕立てのコントに、腹を抱えて笑った、という笑い方でなく、驚きながらその世界に引き込まれる笑いだった。
ハライチといえば、カンニング竹山と同じノリで澤部一人で活動しているのかとすら思っていたが、今回のコント、ネタから曲から岩井勇気が作ったと知り、その才能にまた感動した。
そして、ちょっとしたタイミングを逃し、選ばれ続けなかった塩の魔人にちょっと自分の人生を投影し、悲哀を感じる私であった。
でも、やっぱり私は目玉焼きには醤油をかける。