欧州のグリーン・リスキリング施策の経緯と課題
こんにちは、グリーン人材開発協議会 発起人&グリーンタレントハブの井口です。「脱炭素×人材」をテーマに、脱炭素領域に特化したキャリア・採用支援や、即戦力の人材育成サービス「グリーン・リスキリング講座」の運営などを行なっています。
本noteでは、気候変動関連のルールメイカーとして知られる欧州のグリーン・リスキリング施策の現状と課題について、簡潔に整理したいと思います。
はじめに
欧州におけるグリーン・リスキリングの取り組みは、気候変動対策と経済成長の両立を目指す重要な政策として発展してきました。本稿では、その背景から現在の取り組みまでを体系的に整理し、その意義と課題について考察します。
背景:カーボンニュートラル実現と労働市場の変容
欧州委員会が2019年に「欧州グリーンディール」を発表して以降、2050年までのカーボンニュートラル実現が明確な政策目標として掲げられました。この目標達成には、約1,800万人の労働者が新たなスキルを必要とすると試算されており、大規模な労働力の移行が不可避となっています。
特に注目すべきは、この移行が単なる環境政策ではなく、「公正な移行(Just Transition)」という社会正義の観点から推進されている点です。これは、気候変動対策による産業構造の転換が、特定の労働者や地域に過度な負担を強いることなく、包摂的に実施されるべきという理念に基づいています。
政策フレームワークの確立
欧州のグリーン・リスキリング政策は、複数の重要な施策によって体系化されています。
1. European Skills Agenda
2020年に発表されたEuropean Skills Agendaは、グリーン分野とデジタル分野への労働移動を5年間で実現することを目指す包括的な政策フレームワークです。特筆すべきは、Pact for Skillsという産学官連携の枠組みを通じて、実践的なリスキリングの機会を創出している点にあります。
2. Individual Learning Accounts(個人学習口座制度)
この制度は、EU加盟国共通の取り組みとして、労働者個人のリスキリングを財政的に支援する仕組みを提供しています。各国の状況に応じて柔軟な制度設計が可能となっており、フランスでは企業課税を、オランダでは公的資金を主な財源としています。
3. Just Transition Fund
約2.7兆円規模のこのファンドは、グリーン分野における新規事業創出と人材育成を包括的に支援しています。特に、中小企業支援や環境修復、クリーンエネルギー投資など、多角的なアプローチを採用している点が特徴的です。
欧州のグリーン・リスキリングの取り組み事例
このような政策フレームワークの下で、具体的なグリーン・リスキリングの事例も生まれています。
イギリスのグリーン・リスキリング事例
イギリスでは、大手エネルギー企業との戦略的パートナーシップを通じて、包括的なグリーン・リスキリング施策を展開しています。特に注目すべきは、石油・ガス産業の技術者を代替エネルギー分野へ移行させるための体系的なアプローチです。
Shellの先進的な取り組み
石油メジャーShell社のSkillsTransitionプログラムは、2035年までに15,000人のエネルギー転換関連分野への人材育成を目標としています。職業訓練カレッジとの協働により、最新のエネルギー技術を学ぶための教育環境を整備し、実践的なスキル開発を支援しています。
BPの戦略的転換
同じく石油メジャーBP社は再生可能エネルギー分野への投資拡大と並行して、従業員の体系的なリスキリングを推進しています。風力、太陽光、バイオ燃料などの新規事業展開と連動した人材育成戦略は、企業主導のトランジション事例として注目されています。
エネルギー転換スキルハブの展開
ウェールズ西部、スコットランドのファイフ、アバディーンの3拠点に設立予定のエネルギー転換スキルハブは、バーチャルリアリティやデジタル技術を活用した革新的な教育環境を提供しています。これらのハブでは、溶接、製造、エンジニアリングなど、次世代エネルギープロジェクトに不可欠なスキルの育成に注力しています。
スキルパスポート制度の導入
北海の石油・ガス労働者を対象としたスキルパスポート制度は、最大10万人の雇用が影響を受ける可能性がある中、クリーンエネルギー分野への円滑な移行を支援する革新的なツールとして機能しています。
ドイツのグリーン・リスキリング事例
ドイツでは、自動車産業における大規模なグリーン・リスキリングの代表例として、フォルクスワーゲン社の取り組みを紹介します。同社は、内燃機関車両から電気自動車(EV)への移行を見据え、革新的かつ包括的な人材育成戦略を展開しています。
大規模な再訓練プログラム
ヴォルフスブルク工場における22,000人規模の生産従業員再訓練計画は、欧州最大の自動車製造施設における変革として注目を集めています。2025年初頭までに4億6000万ユーロを投資し、新型EVのID.3生産準備と従業員の再訓練に充てる計画は、産業転換の規模と速度を示す象徴的な事例となっています。
柔軟な生産体制の構築
EVプラットフォーム(MEB)と内燃機関車両の両方を同一ラインで生産できる新システムの導入は、移行期における生産効率と従業員のスキル活用を最適化する取り組みとして評価できます。
全社的な変革への取り組み
60万人以上の従業員を対象とした電気自動車と持続可能な雇用のためのリスキリング・アップスキリングプログラムは、企業全体での体系的な取り組みとして特筆されます。デジタル化が進む中、従業員のスキルを競争力の核と位置付け、持続可能でソフトウェア指向の"モビリティプロバイダー"への転換を目指す同社の姿勢は、自動車業界における脱炭素化への取り組みの好例と言えるでしょう。
今後の展望と課題
欧州のグリーン・リスキリングは、2030年までにEU全体で約250万人の新規雇用創出を目指しています。しかし、この目標達成に向けては以下の課題が存在すると言えます。
スキルのミスマッチ解消
グリーン分野における急速な技術革新に、教育・訓練プログラムが追いつけていない状況がある。地域間格差の是正
リスキリング機会の地域的な偏りを解消し、すべての労働者に公平な機会を提供する必要がある。持続可能な財源確保
長期的な視点での人材育成には、安定的な財源確保が不可欠である。
加えて、(もっとも大きな懸念ですが、)脱炭素化に対する需要が政策や供給に必ずしも追いついていない点が挙げられます。実際のところ、フォルクスワーゲン社は2024年にEV生産に関する方針を変更しました。従来は「EV or Bust(EVか破綻か)」という全面的なEV戦略を掲げていましたが、この方針を見直し、プラグインハイブリッド車(PHEV)をより多く製品ラインナップに加えることを決定しています。EV販売の減速に直面し、戦略の再考を余儀なくされたこと背景にあります。
終わりに
欧州のグリーン・リスキリングの取り組みは、カーボンニュートラル2050の達成と社会的公正の実現を両立させる鍵として展開されています。その取り組みは、政策フレームワーク、充実した財政支援、そして産学官の緊密な連携に支えられていると言えます。
欧州のグリーン・リスキリングの取り組みの示唆を踏まえ、日本のカーボンニュートラル実現が加速することを期待します。
イベントの告知
11/19(火)18:30より、グリーン人材開発協議会の第二回イベントを開催します。
テーマは「グリーン人材のキャリアデザイン ‒ 再エネ事業開発・サステナビリティマネージャー」ということで、それぞれの職種の第一人者にゲスト登壇いただきます。
ゲスト登壇者
・大濵 康広 氏 / NTTアノードエナジー GXビジネス部 部長
・柴田 学 氏 / booost technologies,Inc. CSuO (Chief Sustainability Officer)
「再エネ事業開発」及び「サステナビリティマネージャー」の業務遂行に求められるスキルセットや、異業種からの参入で活かせた知見・アンラーニングしたこと、キャリアデザインの描き⽅や⼈材⾯の課題などについてご意⾒を伺います。ぜひCIC Tokyo & オンラインでお待ちしています!