枕詞はいらない
実は僕も遠征先で試合終了直後に席を立ったことはある。覚えている限り、二度。最終電車に間にあわせるためにはそうするしかなかったので。
観戦初期の頃は、セレモニーが終わるのを待たずに帰ったこともあったかもしれない(記憶にないので、あったともなかったともいえない)。
でも、少なくとも「自分はバスケが好きだ」と強く意識するようになって以降は、(本当に物理的に無理でない限り)試合途中で退席したことはない。ホームでもアウェイでも、また第三者として行ったアリーナでも、(自分なりの事情が許す限りで)セレモニーが終わるまで彼ら彼女らを見ている。
かつては途中退席する人、終了後にHCや選手の(時には悔しそうな)コメントを聞かずに立ち去る人に、非難めいた感情を抱いたことはある。それを書き言葉にしたこともある。(正直言えば今でもその感情はうっすらとはあるが、これはもう思考の癖みたいなものだ。)
でも、いろんな人の発言を見聞きして、「帰る人にも事情や感情や考えがあるのだし、それは外から見てもわからない」ということを学んだ。
どこかの旅先での僕のように、遠くへ帰るために終電を気にしている人。
かつての僕のように、小さなお子さんを連れていて出口の混雑を避けたい人。
僕とは違う気持ちで、試合への苛立ちやモヤモヤを抱えて立ち去る人。
それぞれの立場、それぞれの感情があるのだろう。
みんな誰か、もしくはどこか、もしくはなにかのことが好きなんだろう。
その上で、間接的に「その時にある選手がどう感じたのか」を見聞きして、「やはり僕は席を立たない。事情が許す限りはそこにいる」と改めて思った。
それが僕の立場で、僕の感情。
そこに他者への評価は持ち込まない。もちろん善悪の価値観なんかではない。あくまでそれが僕なりの彼ら彼女らへの接し方。
本当の、とか、真の、とかいう枕詞はいらない。ただ好きなだけ。