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32歳からの海外移住生活 その4 〜部屋探し

旅立ちの準備
面接のために2度もカナダに渡り、その後日本でビザが発給されるまでモヤモヤと待ち続ける日々ではありましたが、ついに念願の海外移住生活が間近に迫ってきました。
短期間ではありましたがこれまでお世話になった日本料理居酒屋の店長とスタッフの方々へはお礼の気持ちを伝えて退職し、引越し準備のスタートです。
とはいっても、カナダで住む場所も決まっておりませんのでほとんどの家財は売り払うことにしました。
妻とは話合いの末、まず私が単身でカナダに渡り、生活が一段落してから来てもらうということにしました。
役所への届出や家族への報告など一連のやるべきことを済ませ、いよいよ旅立ちの日を迎えます。
年初に会社を退職してから、早いもので季節は秋、10月末を迎えておりました。

新天地カナダへ到着
荷物はスーツケース1つと、キャリーにくくりつけられる程度の大きな段ボール2つにまとめ、そして現金50万円だけを持って行くことにしました。
到着したカナダの空はあいにくの雨。落ち葉が舞いやや肌寒い天候の中、それらの荷物を両手で引きながら、1週間だけ予約しておいたカナダのユースホステルに到着しました。
新しい職場のオーナー様からはこの1週間で住む場所を決めて、携帯電話の契約や各種事務手続きを済ませておくようにと事前に話がありました。

部屋探し
翌日オーナー様の元を訪れ、改めて採用のお礼をお伝えしました。そして仕事の初日は予定通り1週間後と決まりました。
何よりもまず、住む部屋を見つけなければなりません。その前段階として必須の携帯電話契約を済ませました。たまたま入った携帯電話店のスタッフの方が日本人の方で、まだ右も左も分からない状況の中、困難な携帯電話手続きをスムーズに終えられたことは幸いでした。
とはいえスマートフォンがまだ普及していなかった時代、部屋探しには日本から持ってきたノートパソコンだけが頼りです。
Wifiに繋ぐためにカフェや図書館に入っては、現地の空き部屋情報を調べ、電話で予約を取り部屋を見せてもらう、という一連をひたすら繰り返さなければなりません。
初めての場所で地理感覚も全くないため、それはもう困難極まりありませんでした。W.13th AvenueとE.13th Avenue のように似た住所があるのですが、WestとEastを勘違いして全く関係のない家を訪れたり、手持ちのガイドブックにある地図上で15分くらいの距離だと推測していたのに、歩き始めたら1時間くらいかかる距離だったといったような失敗もありました。
とにかく職場との距離が離れていない場所で何軒かの物件をピックアップしては、徒歩で歩いて巡りました。
道中、空き部屋の看板があれば電話をしてみるのですが、その大半はアパートで家賃も高いため断念し、新聞やフリーペーパー、インターネット掲示板に掲載されているシェアハウスを中心に探し続けました。
今でも10月末の落ち葉の季節を迎えると、当時部屋探しのために雨の中散々歩き回ったことを思い出します。秋の落ち葉の香りと共に。

念願の部屋
部屋探し4日目くらいだったでしょうか。その日も条件に合う部屋が見つからないまま、最後の夕方6時に会う約束をしていた方の家へ向かいました。
辺りは既に日も暮れうす暗い中到着した家は、外灯もなく真っ暗で幽霊屋敷のような佇まいです。
玄関の呼び鈴を鳴らしても反応がなく、約束の時間を過ぎても誰も現れなかったため諦めて帰ろうかと思ったところ、一台の車が到着し男性の方が降りてきました。
彼は遅れたことを詫びて家の中へ通して下さいました。
台湾の方で、この家のオーナー様です。二階建ての比較的大きな家でしたが。玄関を入ったすぐ右手の小さな部屋を案内して下さり、家賃も良い条件を提示してくれました。バスルームとキッチン、ランドリーは共同ですが、申し分のな住まいです。オーナー様の人柄の良さも垣間見えましたし、即決させていただきました。
書類にサインをして家賃の半額をデポジット金 (部屋を汚したり傷つけたりしなければ退去時に返却される保証金) を支払って契約完了です。
今晩から住んでくれて構わないとのことでしたが、ユースホステルに荷物を置いてきているので、その日はそちらへ戻りました。ユースホステルをチェックアウトし、改めて戻ったその家は閑静な住宅地にあり、昼間は部屋に太陽の光が差し込む素敵な場所でした。
スーパーマーケットとバス停も徒歩圏内にあり最高の立地です。懸念された部屋探しも無事に終わりましたが、職場までやや距離がありましたので、自転車も買うことにしました。

あとは仕事初日を待つのみです。







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