つまらない話

こんにちは
人によってはあけましておめでとう。

毎日Twitterに住んでいるかのごとくいいねとツイートをしていた頃が懐かしい今日この頃
空がきれいであたたかいので、人生最悪な年末年始を迎えた話でもしようと思う。

このノートはセンシティブな内容(だと思う)ので、苦手な方はあまり見ないことをオススメする。






正直僕が今生きていることは奇跡だ。
いや、全ての命はそこにあることが奇跡なのだが、そういうものとは少し違う。
ネット上にいればよく見るような話だ。だからそんな特別なことでもないし、気楽に読んでくれたら嬉しく思う。

2021年12月31日
僕は自殺未遂をした。

なぜ、と聞かれたら自分にも理由はわからなかった。

ただ寂しかったのだと思う。

それまでも決して安定した情緒を持ち合わせた人間ではなかった。
何もかもがうまく行くと思っていた自信が変化したのは中学生になって、色々あってからで。気づいたら生きたいと思うことが当たり前ではなくなっていた。
死にたいがデフォルトの毎日。
この日から死にたいと思わなかった日はない。
高校を卒業したら死んでやろうとずっと考えていた。
けれど本当に死のうとしたことはなかった。
困難の中で必死に生きる少年少女の曲なんかに励まされながら、大人ぶって、結局は自分も必死に生きていた。

高校に進級してまもなく、初めてネ友が自殺した。
悲しかったけれど、正直それどころではなかった。自分は自分の人生で精一杯だった。

部活で相当追い詰められていた。
入学して早々から僕は高入生と友達になろうと努力した。友達になりかけのところでみんな僕から距離を置くようになった。
理由は簡単だった。中学からの同級生たちが勝手な作り話をして僕を孤立させようとしていたからだった。嘘は簡単に信じられ、彼らは不動の地位を得た。次第に朝動けなくなり、楽器に触れる手が震え、息を吹き込もうとすれば涙が出るようになった。
そして高一の冬、部活を辞めた。
それでも、生きていた。仲が良かった頃を思い出して晴れやかなマーチを口ずさみ生きていた。

とある先輩と知り合った。
先輩の彼女はいじめられて自殺した。
そんな先輩が彼女の墓の代わりによくお参りに行くコスモス畑があった。高校から少し離れたところにあるその場所に僕も何度か連れて行ってもらったことがある。
寝そべりながら先輩は色々なことを話してくれた。そしてある日付き合って欲しいと告白をされた。僕は断った。その日から先輩はおかしくなった。
カッターナイフで腕を縦に切ったらしい。大量出血しているところを彼の両親が発見し、救急車で運ばれ何針も縫った。
それを聞いて心配して会いに行った。その時に見た傷跡は今でも忘れられない。
そしてしばらくたった頃、先輩は遺言を残して消えた。
責任を感じて何度も死にたいと思った。苦しかった。
駅のホームにいれば線路の方に体が落ちていこうとするような、そんな毎日だった。
それでも生きていた。辛い気持ちを書き殴ったような、繊細なような、そんな歌を聴きながら泣いて生きていた。

高校3年生
周りが受験一色だった頃、自分の無力さを思い知って死にたかった。
大学受験を諦め専門学校にしか行けない自分を愚かで情けない人間だと卑下していたから、頑張っている周りのみんなが輝いて見えた。そんな人たちの邪魔なんかしたくなくて同級生には何も頼れなくなった。
そんなみんなの役に立てるかもしれなかった学園祭も、賞を取れずに終わった。何も満たされなかった。
それでも生きていたのは逃げ込んだディベート界隈がこんな自分にも優しくしてくれたからだった。他校の年下のはずの友人たちが何度も救ってくれた。

高校を卒業して専門学校に入学した。
今での人間関係も自粛生活によって大きく遮断された。
専門学校では友達がただの一人もできなかった。
そんな自分を呪うように勉強ばかりして、気づいたら年末になっていた。

大好きだった実況者が自殺した。

年が明けて、2年生になっても変わらない毎日のはずだった。
少しずつ朝起き上がれなくなった。
面白くて大好きだった授業も、先生の言葉を言葉として認識できなくなっていった。
精神科に通うようになった。
教科書の文字を読むのにも何時間もかかるようになった。
考えようとすると涙が止まらなくなった。
そんな自分が惨めで、大嫌いで、耐えきれなかったから
コンパスの針を腕に突き刺しながら病院に向かったこともあった。

12月
神田沙也加さんが亡くなった。
ネ友がまた自殺した。
そして、中学の同級生もまた自殺したとの知らせを聞いた。

もう起き上がることもできなかった。
体が重かった。頑張らなければいけないことはわかっているのになにもできなかった。
3日間風呂に入れなかった。
一日なにも食べることができなかった。
そんな日を繰り返して、気づいたら大晦日になっていた。
昨年死んだ実況者のことを思い出していた。
誰もいない家。冷え切ったリビング。
ぼんやりとした意識の中、
「もういいや」
と思った。
年を越える前に死のう。そう思って親しい友人のいるところだけでそれを話した。

2人から電話がかかってきた。
一人はぽつりぽつりと泣くことしかできない僕の話をうんうんと何度も頷きながら聞いた最後に、止められないけれど一生懸命頑張っている人間が死ぬことになるのはかなしいと言った。
もう一人は絶対に死んじゃだめだと最後の最後まで僕を叱った。

しばらく泣いて、手元にあった抗うつ剤などを一気に口に放り込んだ。
次第にふわふわしてきて、苦しくなって、
テレビで紅白歌合戦が流れる頃、嘔吐してそのまま意識を手放した。


寒いような気がして目が覚めた。
どうしたことか、僕は生きたまま目を覚ました。おそらく嘔吐したことにより薬の全てが回ることは防げたのだと思う。
悲しかった。自分だけこの世にとりのこされてしまったような気がしてわんわん泣いた。
泣きながら着替えをして1月1日新年初めてのアルバイトへと向かった。

もうしばらく経ってしまった。
あれから色々あったが、とりあえずやっと文章を書ける余裕ができた。

一部友人たちには本当に心配させてしまったし、今もさせていると思う。心から感謝しているし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

家族の話はまだ思い出すのがつらいので、いつかこの馬鹿ほどつまらないnoteの続きが出るかもしれない。

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