「愛」ってなんでしょう?
星野 匠「メンタルデザイナー」@QWy4GpjDB5VPEVU さん からのメッセージを転載します。
愛っていう言葉、
よく使いますよね。
・愛している
・もう愛がなくなった
・愛にあふれている
・愛が足りない。
私もよく使います。
それでは、「愛」ってなんでしょう?
この問いに明確に答えられるのは、
常日頃から「愛」について考えている方に
限られるのではないでしょうか?
この「愛」という言葉、
分かっているようで、
かなり漠然としている言葉ですよね。
・好きだという気持ち?
・思いやり?
・いたわる気持ち?
・大切にする気持ち?
私にとってはこれらの解釈がしっくりこないので
新たな定義づけを試みました。
「愛」とは、
「対象の、存在、価値観、感情、気持ち、
考え方などのありのままを
まるごと受容すること」
です。
ポイントは「受容」、
受け容れる、ということです。
受容と同意は違います。
価値観が違ってもいいのです。
感情・気持ち・考え方が理解できなくてもいいのです。
「あなたはそうなのですね」と
相手の存在そのものをまるごと認めること。
それが「愛」だと考えています。
だから、
「愛する」=「相手を受容する」
ということになります。
相手のことが嫌いでも
「愛する」ことができるのですね。
どんなに嫌いな相手でも、
その相手が存在して
独自の価値観や考え方を持っていることは、
(難しい人にとっては難しいかもしれませんが)可能なわけです。
「愛」を「恋愛」とか「性愛」とか「好き」と
からめて考えるからややこしくなるのです。
恋愛とか性愛は、異性という刺激に対する
体の反応(内分泌系や神経系)にすぎません。
つまり、恋愛ホルモンと言われている
PEA(フェニルエチルアミン)や
男性ホルモンや女性ホルモンの働き、
さらには性的な興奮などが相まって、
相手のことをいとおしく大切なものだと勘違いする、
子孫を残すためのシステムなのです。
そういう理性を失った状態から覚めることを
「愛が冷めた」と表現したりしますが、
それは単なる勘違いで、
本当の意味での「愛」は最初からなかった
と考えるべきです。
そこから、その相手と
どのような愛を育んでいくのか、
もしくは他に刺激を求めて同じことを繰り返すのか、
選択できるわけですね。
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