一生勉強一生青春
少し前に食べた
お昼の定食屋さんのトイレにあった。
ボクはいつからか
本を読んだりなにかを見に行ったり
誰かと会いにいったり
ワークショップ的にものに参加したり
一つの仕事を終えたりなどなど
なんていうかインプット的なことや経験をしたときに
「勉強した」「勉強になった」という表現を避けるようになった。
なんとなく自分のなかで
いつまで勉強してるつもりだという感覚があって
しっかり自分が得たものや経験したものを
勉強というフィールドじゃなくて
厳しいとこで勝負しろっていう感覚なのかもしれない。
それはなんとなく自分のなかで受け付けない表現になっていて
あいだみつおさんの感覚なら
ボクはもう青春を終えちゃったのかもしれませんね。
そう思ったら寂しい気もするけど
人生青春だけがいいものじゃないもんな。
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