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『アファーダンス編』 "庭づくりにおける3つの「テーマ・主題」と5つの「キーワード・手がかり」"論

とりあえず前回で「3つのテーマ」
サンプリング・見立て・ブルコラージュが終わって
今回から「5つのキーワード・手がかり」がスタート。
キーワードは5つ以上ありそうだけど
せっかく今回5つの絞ったので
それぞれに対して思うことを自由に思うこと考えてること書いていこうと思います。

最初のキーワード・手がかりは
「アフォーダンス」という言葉。
まずはネットで調べてみると

「アフォーダンス理論(Affordance)は、アメリカの心理学者J・J・ギブソンが提唱した、認知心理学における概念です。これは「与える・提供する」という意味の「アフォード(afford)」という言葉から名付けられた造語で、物が持つ形や色、材質などが、その物自体の扱い方を説明しているという考え方です。」

ちょっとわかりにくいのでもう少し調べてみると
「アフォーダンスとは、動物(人間)に対して環境が提供するために備えているものであるとする。すなわち、物体、物質、場所、事象、他の動物、人工物などといった環境のなかにあるすべてのものが、動物(人間)の知覚や行為をうながす契機をつねに内包している(アフォーダンスをもつ)。たとえば椅子は「座る」ことをアフォードしているし、床はそこに立つことをアフォードしている。また知覚する動物の種が異なれば、アフォーダンスも異なる。」

"うながす契機をつねに内包している"
この考え方であればかなり僕らの仕事にも置き換えることができます。
飛び石は、その上を歩くこととアフォードしてるし
大きな樹の木陰は、そこで休憩することをアフォードしてる。
桜やモミジがあることは季節を想像することをアフォードしている!?
水がはられた手水鉢は鳥たちの水浴びをアフォードしている!?
座れるかもくらいで据えた景石は座るをアフォードしているのかもしれないし
大きな芝生の空間はある人にとっては晩餐会をアフォードしてるかもしれないし
ある人にとってはライブ会場をアフォードするのかもしれません。
コンクリートでつくった池はスケーターにとってはスケボーすることをアフォードしてるのかもしれない。
ちょっとよくわからないなってきましたが
"動物の種が異なれば"とありますが
同じ人でも受け手が違ったらアフォーダンスも異なってくると思います。

編集者の松岡正剛さんはこんなふうに言ってます。

「中世の庭づくりの技術書である『作庭記』には「石の乞わんに従え」と書いてあること、石が置いてほしいといっているように置いてやれというのが技術として書かれているということからつながる話なんですが、これ、結局、高度なアフォーダンスでしょ。わかる人だけにわかるアフォーダンスというか、石の声が聞こえる人だけにわかるアフォーダンス?」

「石がこう置いてくれ、樹がこう植えてくれっていう声は、結局、石や樹が人にどう見られたいかという要望を聞いてあげることだと思うんです。こう書くと人間中心すぎかもしれませんが、それはそれおなじ生命同士(いや、石は生命ではないか)、もちろん石や樹のことも尊重してあげるべきでしょう。法隆寺の宮大工が南に生えていた機は南に使うように。そうすると千年もちゃんと建ってる建物ができる。」

つまりです。
僕ら植木屋は
石や樹をアフォードすることもあるけど
石や樹にアフォードされていることもある。
いい植木屋は
うまくアフォードするし
うまくアフォードされる。
こちらがわ(人)からだけでなく
あちらがわ(生命・自然みたいな)からの声をききながら。

植木屋とアフォーダンスでした。

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