人生に迷子 -大雑把な振り返り①-
こんにちは。グリーンです。
人生の棚卸をするこのnoteですが、具体的に何から始めようか…となっています。まるで、一面取っ散らかった部屋のどこから片づけをしたらいいのか分からなくなる感じです(ちなみに、私は部屋の片づけ・整理整頓が大の苦手です)。
悩んでるだけでは何も進まないので、とりあえずこれまでの人生の節目節目を大雑把に振り返ってみようと思いました。
中学受験まで
最初の大きな節目は中学受験です。正直、いつ受験路線に乗せられたかはハッキリとは覚えていません(笑)覚えているのは、両親が地元の中学には行かせたくない(ガラが悪いから)と言ってたことです。それに対して「そうなのかー」と思うぐらいで、特に疑問も持たず受験勉強を始めたわけです。
田舎育ちだったのですが、小4から日曜日に電車で街中の塾に通ってました。塾通いのモチベーションは、“(当時田舎には無かった)マクドナルドに行けること”でした。特に「この学校に行きたい!!」みたいなモチベーションは無かったのですが、無事に志望校には合格しました。
今振り返っても、「地元の中学に行けばよかった…」とはならないのが幸いです。
中学時代
実は、一番振り返りたくないのが中学時代です。
まだ書き出すのがしんどいこともあるので、今書ける範囲でいくと、
目標にするものとか熱中するものとかが何もなく、もちろん将来像とかもない。
中3の時にはボンヤリと「大学行く意味あるんかなぁ…」とか思ったりして、かといって「じゃあ高校も行かない!!」とかなるわけでもなく、学校生活からはみ出さない受け身な子、という感じでした。
ここまで書いて、思いました。
「いや、中学時代にすでに迷子やん」
高校時代
内部進学だったので環境的には大きな変化は無いのですが、高校入学直前に運命の出会いがありました。
アーチェリー
です。
高校(厳密には中3の春休み)にアーチェリー部に入り、現在までどっぷりとアーチェリーにはまり続けてるんですが…
実は、アーチェリーをやりたくてアーチェリー部に入ったわけではありませんでした。
細かい事は今は省略しますが、中3の冬に「このまま高校生活も同じ感じだったらダメだなぁ」と思って、「高校は、(高3は受験なので)部活を2年間ちゃんとやる」ことにしました。(思えば、これが唯一ってくらいまともな意思決定な気がします)
何がやりたいというわけではなかったので、中学からある部活は入りにくいな(高校にだけある部活の方がいいな)とか、文化系はちょっと…とか、アメフトとか激しいスポーツはちょっと…とか、どんどん切り捨てていったらアーチェリーだけが残ったのです。
実際、「アーチェリーって弓矢だよね」ってだけの知識で、実物を見ることもなく入部しに行きました。そんな感じだったのに、まさか「2年間部活をする」つもりが「3年の秋までがっつりアーチェリー」になるとは…というような高校生活でした。(高校アーチェリーのことは書き出すと止まらないので別の機会にまとめてみたいと思います)
大学受験期
そんなわけで、アーチェリー三昧な高校生活だったので、中学時代と違って「大学でもアーチェリーする!!」っていうぐらいの進学動機はありました。
とはいえ、
大学に進学してどうしたいんだろう…っていう状態は相変わらずでした。
理系文系の選択すら「文転の方がラクって聞くから」理系にしておいたぐらいなので、学部選びに迷子状態でした。
(確か高2の冬に)一度だけ、アーチェリーしか興味が無かったので、スポーツ科学系なら行きたいかなぁ…と思って親に言ってみたことがあるんですが、「そんなとこ行ってどうするの?」とキレ気味に言われたのでスッと引っ込めたことはありました(スポーツ科学系の皆さん、すみません)。そんなことがあって、なおさら何を決め手に学部を選ぶかが分からない状態が続きました。
結局、大学卒業後(要は就職)をイメージしやすい資格職が何となく候補に残り、あれは無理・これは興味ない…ってのを除いていった結果、薬学部(薬剤師)が残ったという感じです。
そして、志望校の決め手は、
・実家を離れたかった
・アーチェリー場が広い
の2つで、不純なことこの上ないのですが、学校案内を見たときに直感で「あぁ、春からここに行くんだわ!!」と思うぐらいには固い決意でした。(高3の9月のこと)
ちなみに、母親にはなぜ医学部か京大にしないのかと言われ、父親には薬学部じゃなくていいでしょ?と言われたんですが、そんなの押し付けるなって感じで無視するぐらいには神経が太くなりましたね。
長々と書いてきましたが、実際の受験生期間は高3の11月~3月の5か月弱。ノリと勢いだけで志望校に受かるミラクルを起こしたのでした。(受験生の時の生活や反省もそのうちまとめてみたいと思います)
今回はこのあたりで。次回は大学以降を振り返ってみます。
グリーン