心を閉ざす
あまり自分の意見が言えない
楽しいのにその楽しさを表に出せない
悲しいのに悲しいと言えない
心を閉ざしては辛くなり生きづらい人生を送るのは嫌なものです。しかしそれに慣れてしまっては特につらいと感じることもなく心にフィルターがあるほうが楽だと思うようになってもう10年はたっています。
言わないほうが楽だしそのほうが何も考えずに済む。実際そうです。
見方を変えればいいのかもしれませんがそんな生き方をしていったい何がしたいのだろうか。自分で思うことも多くあります。
始まりは4歳の時にあった両親の離婚だったのかもしれませんね、4歳ながらに今でも鮮明に覚えています。母に抱っこされた自分は何の前触れもなく義理のお父さんと住むことになりました。自分の中では考える力がなかったのかあまり違和感はありませんでしたが何かいつもと違うなとは感じていたのかもしれません。
それまでは良かったものの義理父からの怒りの言葉や暴力で人の顔色を窺うようになったり、怒られるのが怖くなり家の中なのに何をするにしてもおびえることが日常になっていったのを覚えています。
少しずつの出来事なので順応していったのかそうなっている自分にもあまり気づけていないのが正直な感想です。
内向的になり人の感情が人よりは感じ取れるようになったとも思います。
決して今では恨んでいたりしません。むしろ思ってることをすぐ口に出すことなく、よく考える力がついたようにも思えますし、昔があって今の自分がいるのだと今ではどちらかといえば感謝しています。
心を閉ざすとは
僕のように心を閉ざすのに慣れ切った人はこの国日本には多いのではないでしょうか?
自分を抑えることこそが心を閉ざすことなのです。
ですが正直とてももったいないことです。
死ぬときの後悔
死ぬときに後悔をしたことを聞くという調査があるのですが、断トツに1位に自分らしく生きれなかったというのが後悔したことでした。
そうです。
心を閉ざして生きるのは自分を取り繕うことなのです。私は短い人生でそのような後悔をして死にたくはありません。ほかの自分以外の人にもしてほしくありません。
今の生き方。人の言いなり。やりたくないことをやっている自分。を見つめなおして今日から新しい自分を生きてみませんか?
#愛 #心#悲しさ