青く、薄暗い日々の残像
20世紀少年を観た。
初めて観た。原作は浦沢直樹さんの漫画。(原作は少し内容が違うみたい)
映画は三部作、2008〜9年にかけて公開された。当時私は小学4〜5年生、周囲の男子たちがこの映画の話で盛り上がっていたのを覚えている。
「トモダチ」「ケンヂくん」
断片的に聞こえてきた当時の級友たちの言葉を覚えている。
映画を見ていずとも、24歳まで生きていれば、謎のマークをつけたマスクの男や、お面を被った子供たちの不気味なビジュアルは何故だかどこかで目にした記憶がある。
得体の知れない怖さを感じ、当時は決して観たいとは思えなかった。だが何を思ったか、連休中に映画を観てみようという気になった。そして観始めたら、あっという間に三部作、観てしまっていた。
観賞後に抱いた感情は、切なさと薄暗い不安だった。
(※ガッツリ物語の内容に触れます)
正直、少年少女の頃に企てた「壮大な」計画を、トモダチがいとも簡単に実現して行く様自体は、当然に現実味がない。その内容もスケールが大きくなるほどに、なんだか手触りのなくなって行くような気分だった。
だか、そのすぐ裏側に流れているトモダチの思いは、生々しくて、ねっとりとしていて、そして底のない寂しさで満ち満ちていて、本物だった。
理科の実験室。
フナの解剖の前日に死んだのは、カツマタくん。
ではなくて服部くんだった。
カツマタくんは、クラスメイトに死んだ者として扱われながら生きていた。
本当はケンヂがやったことなのに、駄菓子屋で万引きをしたと間違われたあの日から、あの日の小さなすれ違いと勘違いから、彼の人生の歯車は狂ってしまった。
大人になったケンヂたちは、きれいに記憶を書き換えていた。
生い茂る草むらに、丁寧に丁寧に真実を隠すように。
ケンヂは、「死ね」「消えろ」と書かれた机を、雑に供えられた一輪の菊を見つめるカツマタくんの姿を確かに見ていたはずなのに。
ヨシツネは、ナショナルキッドのお面をしてカツマタくんと間違えられ、殴られ蹴られる屈辱と辛さを味わっていたはずなのに。
フクベエ(服部)と名乗るその人物に違和感すら覚えなかった。
カツマタくんが唯一クラスメイトたちから注目を浴びたのは、万博の話をした時だった。
だが、家族の都合で結局大阪行きは取り止めになる。
「皆が羨む万博に行くはずだったのに」
その小さな虚勢が全ての始まりだった。
ただ、自分の居場所を見つけられずにいたカツマタくんにとっては、万博の話をする自分の机の周りに、目を輝かせたクラスメイトが集まって、自分がみんなの中心にいる、注目されている、その感覚が何よりも甘美だった。
1970年代だって、現在だって、子どもの世界は狭くて、小さくて、息が詰まるようで、それでも彼らは必死にその小さな王国で生きねばならない。
王国は、生活の全てに近い。
○○くんがこう言った。
△△ちゃんがあれを持っていた。
☆☆さんがどこへ行った。
それは子どもにとって、絶対的な追い求めるべき「真実」となる。
私はかつて、嫌な子どもだったと思う。
何も言い訳はしない。
幼い頃、注目されるのは好きだったし、「正しいこと」に忠実でありたかったし、親が誇りに思ってくれるような望まれる存在でありたかった。
虚栄と、傲慢と、自惚れと、嫉妬と。
当時の私を突き動かしていた小さく醜い感情たちは、きっと周囲の人のことなど本気では考えていなかった。
そう思うと、恐ろしさと申し訳なさで息が詰まる。
私もよく人に騙された。
突拍子もない嘘を本気で信じていた。それは振り返って気づくことで、気づいた時は胸に冷たい風が吹き抜けるように寂しい気持ちになった。
彼らは私を嘲笑っていたのだろうか。
私も同じようなことを誰かにしたのだろうか。
もう少し正直に、優しく、誠実な子どもだったら良かったのに。そう、思って悔やみたくもなるが、だからこそ子どもなのだ。
人の痛みや苦しみ、絶望、そしてあたたかさや優しさを想像できるようになること、それが成長の道なのだろう。
あの日の、自分のことしか目に見えていなかった小さな自分も私だし、現在を生きる24歳の自分も私。
それを否定することはできない。
私が変えることができるのは、これからの私だけ。
あの日、屋上に流れたロックは空を飛ぼうとしたカツマタくんを引き留めた。
お面を取って顔を見せたカツマタくん。
カツマタくんの考えた歌詞で歌うケンヂ。
小さなひとつひとつの気づきと歩み寄りで、未来は変わって行く。
それはきっと確かなことだ。
小話:サダキヨのお面を取ったときは、本当に心臓止まった。
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