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苦痛をとるための治療として奈良の鹿を殺処分??

鹿苑のあり方検討部会およびWGで「苦痛とるための治療として安楽死」を強く提唱している委員がいる。どういう場合を想定してこのような意見を言っているのか、本人に直接聞いてみたいのだが、今のところ、その機会を得ていないので、わからない。
国によって動物に対する考え方は違うので一概には言えないが、欧米などでは動物に助かる見込みがない場合、安楽死を選択することが日本に比べて容認されているように感じる。しかし、だからといって「日本も欧米にならって奈良の鹿でもっと安楽死していきましょう」ということには賛成しかねる。なぜなら、①状況が犬や猫と奈良の鹿では異なるから、そして②特別柵の飼育環境と治療環境の改善が満足に話し合われていない現状、安楽死を認めてしまったら、劣悪な飼育環境で衰弱した鹿や交通事故で治療すれば助かる鹿をかんたんに殺処分することが可能になるからである。

①コンパニオンアニマルの治療と奈良の鹿の治療の違い
「苦痛をとるための治療としての安楽死」と聞いて、私が犬や猫でイメージするのは、癌や心不全などの末期の場合である。治療は万策尽きており、動物は飼い主と離れて寂しく動物病院に入院している。そして点滴チューブ、尿カテーテル、胃ろうチューブなど全身管だらけの状態でなんとか生きながらえている。心臓が停止すれば、すぐさま強心剤を投与して除細動でなんとか心臓の動きを復活させることもいとわない、がそうまでしても動物が元の元気な姿に戻ることは奇跡でも起きない限り、到底望めないという状況だ。こんな状況では、安楽死もありと思う。しかし、獣医の一存だけでは決められない。飼い主の同意が必要だ。動物にここまで手厚い治療を受けさせることを希望する飼い主は、当たり前だが動物のことを非常に大切に思っている。犬や猫を子犬・子猫の繁殖マシンとみなし、繁殖できなくなったらポイ捨てする悪徳ブリーダーとは大違いである。動物のことを大切な家族と思っている人は、動物の助かる見込みはほぼゼロで、生きているのもしんどい状態と頭ではわかっていても、心情的には安楽死を受け入れることは困難なことが多い。そして飼い主が逡巡しているうちに、動物は亡くなってしまう・・・

翻って奈良の鹿の場合。まず癌にかかった鹿を見たのは、6年半でたった1頭だけである!奈良の鹿で癌の末期の延命治療のような状況は、当てはまらない。そもそも犬や猫の治療は、飼い主が望めば人間並みに医療を受けることも可能だ。それと比べると鹿の場合、こでまでの病気や治療に関するデータはほとんどなく、治療してみなければ助かるかどうかわからない、といった状態である。そんな中で、どの鹿が安楽殺の対象となるのか、どうして判断できるというのか?

鹿苑で治療しているのは、ざっくりいうと交通事故に遭遇した鹿が約半分、衰弱した鹿が残り半分である。交通事故の鹿のうち約半分は、早ければ即日に死亡する。人間が原因の交通事故で死亡する鹿は、頭部、内臓、脊椎などに重度の損傷があると疑われる鹿である。残念ながら、愛護会にはそれらの損傷を生前に診断するCTや超音波診断装置(以前に寄付したいという方がいらっしゃったが、いらないと局長が断ってしまった!)がないため、あくまで推測にすぎない。つまり、どの程度の重症なのかわからないため、治療も鹿の自然治癒をサポートするための治療や痛みを取る治療しか行っていない(というより人員面や施設面で、大がかりな手術はできない)。
幸い、このような命をつなぐだけの最低限の治療でも回復する鹿もいる。その中には子鹿も含まれている!つまり、「重症で助からないかも」と私が思っていても、治療すれば回復する鹿もいるのだ!これをひとくくりにして「苦痛を取るための治療」と称して殺処分してよいものなのか?

そして交通事故によって肢を1本骨折した鹿の9割以上は、治療すれば元気になって奈良公園に放せるという歴然たる事実がある。交通事故の骨折は、開放骨折といって皮膚を骨が突き破っている状態、場合によっては骨が粉々に砕けている状態など見るも悲惨な状態である。しかし、時間はかかるがきちんと治療すれば、肢の形は多少変形するものの日常生活を送るのに不自由ない程度まで治っていくのだ。
以前は生存率が低かった2本肢を骨折した鹿でも、現在は5割近くまで奈良公園に放せるまでになってきた。治療装具の改良が進めば、もっと生存率を伸ばすことも可能だろう。
私は、人間が原因で負傷した鹿は、人間が責任をもって治療を行い、野生復帰を目指す努力を放棄すべきでないと思う。

では残り半分の衰弱した鹿の場合はどうか?
まず衰弱した原因を見つけることが治療するうえでの大前提なのだが、これが案外難しい。もともと野生で生活してきた鹿なので、これまでの経過が全くわからない。血液検査を行って、全身状態を調べてみたりはするものの、検査数値の異常はわかっても何が原因かまで探ることは難しい。
これまでの経験上、複数の検査数値が大きく正常値(これも定かではないが)が外れている鹿の場合、ほとんどが数時間以内に死亡する。つまり、鹿はギリギリまで頑張ってしまう動物なので、人が「弱っている」と判断した時点で死の一歩手前であることが多いのだ。つまり、わざわざ安楽殺しなくてもそっとしておけば死亡してしまう。安楽殺するとなると、むりやり動物を押さえつけて薬を静脈注射をしなければならず、自然死と比べるとかえって動物に不必要な苦痛をもたらし「安楽」といかなくなるのは事実だ。とはいえ、血液検査の数値が数値が大幅に正常値を超えているからといって全く助からないかというとそうとも限らないのだ。たまに、ダメ元で治療したら元気に回復したという事例もある。要するに、これまでのところ、治療を行った後の展望が読めるだけの十分なデータがないため、安易に殺処分することは時期尚早だというのが私の考えである。

②愛護会の特別柵は「不適切な飼育環境」と奈良市保健所から指導された。
特別柵の雄鹿は年間50頭以上死亡していたが、今年の雄鹿の死亡頭数は幸い10頭に届くかどうかである。私は、エサをイタリアンストローからヘイキューブとオーツヘイに替えたことが大きかったと考えている。しかし、私はこれで万事めでたしめでたし、とは考えていない。
今年の夏は非常に暑かった。当たり前だが、鹿だって暑い。鹿は水の中に肢をつけて体を冷やそうとする。そうすると飲み水はすぐに汚れてしまう。頭数のわりに特別柵の水飲み場は少ない。鹿苑では、職員が汚れた水を1日3回交換するのだが、交換回数が不十分だ。私が3時頃に見に行くと、昼すぎにかえた水はすでにどろどろで糞が浮いている。新鮮な水に交換すると、雄鹿が水を飲みに次から次へとやってくる(特別柵の雌鹿も同様だ)。
また特別柵の掃除も不十分だと感じている。敷地が広いので、毎日全体を掃除することは難しいが、せめて週に1~2回は、地面にころがっている大量の糞を取り除くことが必要ではないのだろうか?
マンパワーの面で難しいことは重々承知だが、ボランティアさんの数を増やせば今よりよくすることは可能だと思う。

要するに、鹿のことは後回しで人相手の仕事(出動要請、鹿寄せなどの行事、角鹿や妊娠鹿捕獲など)を優先する体質なのだろう。治療もしかり。以前、職員の一人から「もう少し、適当に治療したらどうですか?」と言われたことがある。ちなみにこの人は積極的に治療に携わっていない。「適当に治療」って、今でも最低限の治療しか行えていないのに、それ以下にしろと言いたいのか?そもそも治療を手伝ったこともほとんどない人が、どのような治療をしているのかわかっているのか?これが鹿の保護活動を行っていると標ぼうしている団体の発言か?と、心の中で非常に反発したのを覚えている。

こういったマインドが蔓延している職員の中では、犬や猫の治療と比べたら雲泥の差のあるささやかな鹿の治療さえ、「必要なのか?」と疑問を持たれ、後回しにされがちな仕事になってしまう。苦痛を取るための安楽殺など認めてしまったら、彼らにとって面倒な鹿の治療を省くための格好の理由になってしまう。すなわち、苦痛を取るための安楽殺は、弱っているので連れて帰った(保護したわけではない)原因不明の鹿や特別柵で暑さのため脱水症状を起こした鹿などを、治療することなく簡単に殺処分するための口実になってしまう。

奈良の鹿の保護活動をきちんと行っていることが内外に証明されない限り、外部の者が中で何が行われているか知ることのできない愛護会で、安楽殺を認めてしまうことはあってはならないことだと思う。






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