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古橋悌二のmemorandumを読んで
皆様こんにちは。
だいぶ前になりますが、東京都現代美術館の『アクション+リフレクション』の展示を見にいき、タイトルにある本を購入して読んだのでnoteにまとめようと思います。
まずは古橋悌二の簡単なプロフィールをお伝えします。(wikipediaからの引用になります。)
日本の現代美術家、メディア・アーティスト。
京都府京都市出身。京都市立芸術大学大学院構想設計科修士課程修了。1984年にダムタイプ(Dumb Type)を結成し、以降中心メンバーとして活動。1992年にHIV陽性を公表し、1994年にはジェンダー、セクシュアリティ、国籍、人種をテーマとしたメディア・パフォーマンス作品「S/N」を発表。1995年10月29日、サンパウロにて公演が行われる中、日本にて敗血症により死去。
僕自身は学生時代にダムタイプの研究をしていたこともあって、この本を読んだおかげで記憶が戻り、改めて素晴らしさを感じました。
下記が主な本の構成です。
# 01 notes 古橋悌二が発表した原稿
# 02 letters 古橋悌二が書いた手紙
# 03 interviews インタビュー
# 04 works 古橋悌二とダムタイプの作品
# 05 after talk アフタートーク
# 06 texts 1 作品に寄せられたテキスト
# 07 texts 2 古橋悌二の死を悼むテキスト
# 08 biography
なかなかのボリュームがあるのでかいつまんで、素晴らしいと思った部分についてお伝えしていきます。全体を伝えることが非常に難しいので、ご興味のある方は買って損はないので読んでいただきたいです。(それで議論とかしてみたい、、。)
# 01 notes 芸術は可能か?
京都の無門館で7回湘南台文化センターで2回行われた『S/Nの為のセミナーショー』を題材にタイトルの芸術について書かれた原稿です。
"芸術が不可能でとっても哀しい"ってただ肩を抱き寄せ泣いているだけなのか?
芸術が可能か?という問いに対して科学も政治も不可能であることが証明されてしまった今、その発問に対しての古橋の心の声です。実際にセミナーショーに行けていない僕が語るのも芳しくありませんが、セクシュアリティやエイズを扱った作品である『S/N』のセミナーショーは賛否両論を通り越して大きなムーブを巻き起こしたそうです。それを古橋は望んでいたようです。あらゆる哲学や思想が興隆しても戦争や貧困の問題は解決されないし、それをアートが解決できるのか?と問われた時に力強い問いを投げ掛ける姿勢が素晴らしかった。
僕はアーティストでもないし、アクティビストでもないけど、一般の人が自分が思うアートについて語ることは非常に重要だと感じています。現象学ではありませんが、お互いに対話して共通解を見出すということはアートにおいても、日常生活においても重要だと感じます。日本はこの点で少し遅れている。
# 02 letters
このセクションは「真の友人様へ」という古橋が友人に向けHIV感染発表をした手紙になります。
私の細胞がVIRUSを許容しているように、私は想像力と愛であらゆる人を許容したい。
この手紙を発表するまで古橋はHIVであることをカムアウトせずに消えたいと思っていたそうで、友人を裏切る行為であることに自ら気づいたそうです。細胞に潜むVIRUSのことを最も情熱的な友人であると受け入れ、生きている間は何らかの細胞が自分を守ってくれていて、であるならば創造力と愛が自分を守ってくれているという結論に至ります。エイズのことについて私が書くことも非常に馬鹿げているかもしれませんが、双極性障害という病気になり、書かずにはいられないと感じました。
また古橋がコミュニケーションの手段として手紙を選んだのは、一度に多くの人に情報をストレートに伝えたいから(普通に会話の中でカムアウトすると噂話で歪曲されて伝わってしまう。)だったそうです。
人間が詫びることができる手段の限界ってなんて限られているのだろうと思う。
この手紙を発表するまで古橋は肉親に事実を伝えることができていなかった。というのも両親とも病気中で、兄を12年前に交通事故で亡くしていた。これも手紙というものを使用した一つの理由でしょう。死んでも詫びきれないと彼は文を結び、自分は常に当事者でありたいと願っていたそうです。
そういう意味では自分も病気になった時にある種のメッセージを発信していたし、何をどう誰にどのように伝えればいいか常に考えていました。氏に同情するわけではありません。アーティストとしてもアクティビストとしても広範に活躍した人を彼以外に私は知りません。
デモなどに参加した経験があるわけではないですが、興味があるのに自分は参加しようとしない、要するに怖いのです。でも彼の書く文章を見るとすごい元気になります。私が生まれた年に亡くなったという所にもなぜか運命を感じてしまうのです。
話がずれてきてしまっているのでこの辺りにしようと思います。別記事で『S/N』のことも扱いたいと思っています。
分裂した文章でしたがみなさま最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた。
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