福岡で飲食店をする 2
クラフトビールの基礎の基礎から始めた。
IPAってなんの略?
ブロンド、ヴァイツェン、白ビール?黒ビール?
リアルエール(当時流行っていた)
下面発酵、上面発酵
そんなことをやりながら、ぼんやりと
おんなじように長い時間を仕事に割くなら
なんだ楽しい方がいいじゃん
と思って飲食業に舵を切った。
今までのようにパソコンに向かってカタカタデータを作成して、
パートのおばちゃんにシフトの文句を言われながら仕事の指示をだしたり、
想像力に欠ける大学生男子たちをなんとか仕事させて、
仕事中に家の表札作る電話に出ないマネージャーと
2人のセクションを回す。
こんな楽しくない仕事に自分の時間を割いてお給料も雀の涙であるならば
その同じだけの時間を、たのしくお話ししたり美味しいものをつまんだり笑顔で過ごしながら、
さらに自分がやったことに時差ゼロでリアクションが返ってくるこの仕事ってめっちゃ最高じゃん、超魅力的じゃんとわたしは飲食に腰を据えることにした。
そのころ
東京ではクラフトビールが流行り始め、
お店が少しずつ増えていった頃だった。
そこから社員やら店長やらアルバイトやら
いろいろなポジションで東京のいろんなクラフトビールのお店で働いた。
立ち上げも社員の立場で3回ほど経験した。
ビールの知識と業界の人脈が増えていき、店を辞めるあいさつと同時に声をかけていただけることもあり、次の職場が決まったりした。
日本人ともアメリカ人ともイギリス人とも働き、
カルチャーショックも経験した。
真面目にがむしゃらにお客さんに向かっているつもりだったけど、めちゃめちゃに失敗もしたし、元々強くない酒には惨敗の日々で、ビールの楽しさとしんどさは割と紙一重だったりもした。
なんやかんやクラフトビールが縁で現在の夫と付き合い始めた。
2人の将来をお互いがやっと考え始めた頃、
コロナとかいう得体の知れないものがわたしたちの生活を変えていった。
続く↩️