島崎和歌子(49)が、24日放送の「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演した♪ 不遇だったアイドル時代
タレントの島崎和歌子(49)が24日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演
現在49歳の島崎さんは、アイドル時代のエピソードや、東京生活が長くなるにつれて強まったという故郷・高知県への思いなどを明かす。
「キレイだけど毒舌なお姉さん」と呼ばれ、バラエティーには欠かせない存在の島崎さん。
中学生の時に受けたオーディションがきっかけで、「平成の山口百恵になれる」とスカウトされ高知から上京、“80年代最後のアイドル”としてデビューした。
アイドル歌手としてデビューした当時のことを語った。
島崎は芸能界入りについて...
「デビューは平成元年だったんですけれども、一応アイドル歌手として。一応、歌手なんですよ。
1989年1月に荻野目洋子主演の『こまらせないで!』で女優デビュー。続いて同年5月『弱っちゃうんだ』で歌手でデビューしたんですけど。
アイドル路線を目指したが。
「バンドブームの到来で、アイドルにとっては冬の時代。歌番組も減り、芸能界で生き残るためには、バラエティ番組に活路を見いだすしかなくて。若いコたちとカラオケに行くと『和歌子さん、歌、うまいっすね』なんて言われるんです。
「(歌手だと言うこと)誰も信じてくれないんですけどね」と言い...
『だって私、歌手だよ、スマホで調べてみて』って言うと、『ホントだ。でも1曲も知らない』って」
大好きだった『ザ・ベストテン』への出演はかなわず、路線変更も余儀なくされたが、だからこそ『ザ・ベストテン』のように豪華で、しかも生放送の『オールスター感謝祭』(’91年・TBS系)と出合う幸運にも恵まれた。
「初回からずっと総合司会を務めさせてもらって、今回の放送(10月9日)で、なんと30年!一緒にMCを務める今田(耕司)さんからは『島崎が80歳になっても“アンサーチェック”とか言ってたら、おもろいな』って。それを次の目標の一つにしています」
「ベストテンもトップテンも終わっていく時代だったので、なかなか歌番組に出られる機会は少なくなってきた時代でしたね」と振り返った。
また、上京当時は、地元では放送されていないテレビ番組が多かったため、一日中、家に引きこもってテレビを見ていたため、マネジャーに心配されたという。
当時は「高知には何もない」と思っていたが、東京暮らしが長くなるにつれ故郷「高知」への思いが強くなっていくと言う。
最近は、コロナ禍で地元に帰る回数も減ってしまったが、そんな時は自宅で高知のおつまみを食べるのが楽しいと話す。
1989年って、バブル景気の崩壊が始まった頃ですね。
女性アイドルで活躍してたのは、荻野目洋子・松田聖子・中森明菜・小泉今日子、そして薬師丸ひろ子くらいだったかな。
岡村孝子、ZARDなど、ニューミュージック女性ボーカルが大ヒットしてました。
当時、西田ひかるサンのファンだったのですが、人気アイドルで 歌は上手いのに売れなかった。
同じく島崎和歌子さんはソロでは売れませんでしたが...
「おニャン子クラブ」出演の番組に呼ばれ、それなりの知名度はありましたね。
ある日、営業先の学校のテニスコートの開いた扉から、軟式のボールが転がって来ます。
それを掬い上げて、小走りにボールを追いかけて来た女の子...
何と、島崎和歌子嬢だった。
手渡すと、彼女はニコッとすると白い歯がこぼれ、「有難うございます!」と言う吐息がミントの香りがしてました。
髪コロンだったのかも知れない。
アイドルの”オーラ”がありましたネ!
今は、「ガハハ!」と笑う元気なオバサンですが、そう言う可愛い時代もあったわけです。
売れるアイドル枠数があって、時代時代によって空き枠が十分にある時代と少ない時代があるわけです。
あの大人気だった西田ひかるサンが歌手として売れなかったわけですから。
それでも、島崎和歌子さんは、バラエティ番組にはよく起用されましたね!
大したものだと思えます☆ これから、YouTubeで発信すれば、イイかもね!
[島崎 和歌子]
島崎 和歌子は日本の歌手・タレント・女優・司会者。血液型O型。
所属芸能事務所は、ゴールデンミュージックプロモーション。
愛称は、「和歌ちゃん」「ワッコさん」「和歌子」「和歌姉」「姉さん」本名は「しまさき わかこ」と読む。
高知県南国市出身。明治大学付属中野高校定時制中退。
生年月日:1973年3月2日 (年齢 49歳)
出生地:高知県 南国市
身長:155cm
血液型:O型
事務所:ゴールデンミュージックプロモーション
デビュー:1989年5月5日