強制だった習い事、その事を今どう受け取る。
こんにちは。
今日のテーマは習い事です。
このブログを読んでいる人はどちらかというと親の立場である人が多いと思います。皆さんは自分の子供に習い事をさせていますか?
「子供の好奇心・考えを尊重しやりたいことをやらせる。」
最近はそういった親御さんも増えていますよね。
でも親御さんの中には子供のためを想って、将来その子の強みとなることを考え習い事をさせている人もいると思います。
習い事を親が決め子供にやらせることが良いことなのかそれとも悪いことなのか、この討論に結論はない、と私は思います。いや、結論を出してはいけないのではないでしょうか。
女の子場合、例えばピアノを強制的にさせられていたとします。ピアノを習っていることによって学校の合唱で伴奏を任せられ活躍した。そういった事例もあると思いますが、習っていたとしてもイヤイヤやっているなら習い事は本当に強制的なものになってしまいます。
習い事を活かし活躍しその子の強みとなったのであれば、その子の親は天狗になります。
「ピアノ、習っててよかったでしょ?お母さんお父さんのおかげだからね。」
しかしそれは親の力なのでしょうか。
その子が持つ力の発揮力なのではないでしょうか。
ピアノを習っていたことを活かせない子も多くいると思います。全てが無駄と言いたいのではなく、そういった場合子供はそれを親の責任にしてしまうということです。
「お母さんにピアノを習わさせらされていたから友達と遊べなかった。あれは意味のないことだった。」
逆に習い事をやっていなかった・やらせてもらえなかった子は
「自分は習い事をやっていなかったから強みがない。習い事をやっていた子が羨ましい。」
「自分でやりたいことを見つければよかったんだろうけど、子供のうちからやりたいことを見つけるなんて無理。親が何か自分にやらせればよかったんだ。」
子供がそう考えてしまうと親はきっと後悔する。良かれと思ってしたことが裏目に出てしまった気になってしまう。
でも親は大人でも、子育てに関しては初心者です。
子供は全てを親のせいにする傾向があります。それは他者の家庭と自分の家庭を比較しているからです。
「あの子の家はこうなのに、私の家は。」
”無い物ねだり” 結局ここに辿り着くのだと思います。
子供である立場として、周りの子の親に対する不満は共感すべきことなのかもしれませんが、全てを親の責任・育て方のせいにするのは何か引っかかる部分があります。親の立場になれば子供もいずれわかる、とよく言いますからその時を待つことしか私たちにはできないのかもしれません。
過去や未来ではなく”今”に目を向けれるようになれば世の中がもっと綺麗なものになるかもしれませんね(^^)