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忙しくない私にはぼんやりは必要ない。
分刻みで動いている世の中のお母さんたちをみると、(もちろんお父さんだっておじいちゃんだって、おばあちゃんだって、要するに家族のお世話をしながら仕事をしている人たちとでも言いましょうか)私はなんて暇なんだろうと思う。息子たちが小さい頃は、慣れない家事と慣れない育児と、なんでもかんでも慣れないことや不器用な私のせいで、常に時間に追われていたように思う。視力が下がった息子のメガネをどうするか〜ってことだったが、眼科がいつも以上に混んでいた。なかなか呼ばれないことに息子はいらだち、グズグズはするも、赤ちゃんではないので逃げ出すこともないし、大泣きすることもない。私はいらだつ息子にいらだつも、抱っこしてあやす必要もなく、てきとうに時間が過ぎるのを待った。待合室を見渡すと、仕事の服装のまま、子どもを連れて順番を待つお母さんがいた。仕事をぬけてきたのか、これから戻る必要があるのか、そわそわしていた。もしかしたら、ゆっくりぼんやりできる(かもしれない)待ち時間だけど、分刻みで動いているお母さんにとっては、診察がおすのは死活問題なのかもしれない。忙しくない私はぼんやりしていたけれど、私こそぼんやり時間は必要ないのかもしれない。