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20240903

>同じようなこと言ってるのになんでおれは好かれないんだろうな、と感じることがよくある。がそれはまああれよ、違う人間だからよ。感性なり雰囲気なりその人から滲み出るものって似ているようで違うからね。人を惹き付ける何かがあるから引き寄せられるのでしょう。つまりおれには何もないということです。しにてーな!おれには何も無えってよ!逆におれのことが好きな人の方が何なんだよ。悪口ではないです。ほんとおれこういうとこよな、嫌われることに慣れすぎて、好かれると何故⁉️😵💫ってなる。何もないことを自覚しておるからこそ好かれる理由が分からぬ。
(2022年6月20日「20220620」より ※削除済み)


消した記事をたまに読みたくなる。

ゴリゴリに鬱だった時に書いたもんなんだけどさ、なんか凄いな、勢いがw
一分一秒を新幹線並みのスピードで生きとる。

今のおれが失ったものでもある。
こんなにひたむきに、真っ直ぐに苦しみに向き合えていたのだと読み返していて気付く。
ここまで一語一句言語化出来るなんて。
当然かなりしんどかったけど今よりずっと強かった。偉いよ。誇っていいよ。
全く同じことは多分もう出来ない。
こんなおぞましいもの直視出来ないと、そう思ってしまうくらいには弱くなってしまった。今ある苦痛を言語化することもままならない。表面だけしか掬えない。
情けない限りである。


>生きやすくするということは、きっと解像度を下げることだ。
気づかなければいいことなんてたくさんある。
強そう(に見えて決して強くはなってないのだけど)な言葉を放つ度に、どこか寂しくなる。

見ないようにしているものが、果たしてどれくらいあるのだろうか。
目を背けまいと向き合ってきたはずのモノたち。

何かを得るには何かを犠牲にしなければならない。
その犠牲になるものが失ってはいけないものだとしたら
どれだけ悲しいだろう。
(2022年12月1日「解像度」より ※削除済み)


歳を重ねる毎に置いていくものが増えていくのは仕方ないことかもしれない。
全ては持っていけないから。
失ったものにばかり目を向けるのも馬鹿げてるけど、きっとこの先も羨むんだろうな。どんなに無様でも惨めでもいいからあの心のままが良かったと。

あれほど真っ当になりたいと願った結果がこれ。
人生、無いものねだりの連続。

消した言葉たち、たまにサルベージしようかな。
やっぱり眠らせておくには惜しい。
愛してあげないと過去のおれが救われない。



躁鬱の権化のような人間だから、急に元気になったり急に病んだりする。
これが人付き合いをする上で非常に厄介。

「こいつ楽しそうな人間だと思って近付いたのにクソメンヘラやんけ!」
とか
「こいつ自分と同じメンヘラやと思ってたのにめちゃくちゃ人生楽しそうやんけ!」
とかで人が離れていくことが度々ある。
前者は不幸なおれが許せず、後者は幸福なおれが許せない。たぶん…。

片側だけ見ておれという人間を判断するのいい加減やめれる?
楽しそうに見える奴が本当に人生楽しいとは限らんやろがい。鬱の人が24時間365日鬱々としとる訳無いやろがい。

今仲良い人って大体病んでる時に出会ってるけど皆おれが元気でも不調でも関わってくれるからありがたい。
これこれ、これですよ。おれのこのスピードに着いて来れる人じゃないと困る。

病んでるおれを見てフォローしてくれた人の前で楽しい話すんの、正直めちゃくちゃ申し訳ないなとは思っとる。
基本的に当方おふざけハッピー野郎なので…あのほんまそこだけご留意ください…𝐄𝐯𝐞𝐫𝐲𝐝𝐚𝐲死にたいじゃないです…ほんますみません…ってずっと心の中で謝っとる。
東雲が幸せならいいよーと言いつつもおれが病んでるのが安心する人って一定数いると思うんよな。根本的なとこは変わらんけどもう今病んでる日の方が少ないからなー。

全然病むけどそれなりに余裕がある人としか多分関われない。陰と陽の中間みたいな。
生きてて楽しい時もあるし死にたい時もあるよねみたいな。
矛盾だらけでも好きでいてクレメンス…。

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