決めた。これから僕は”衆愚加速主義者”になります。
今さっき致さむと欲しYouTubeのいかがわしい動画専用アカウントを開いたところだが、すぐに撤退してきた。
ホーム画面は「ん?」と思わせるような切り抜きも混じっているものの、おおむねほどよくシコリティのある動画が並んでいた。問題は動画のおすすめ欄である。
『立花孝志の魂の演説』『玉木雄一郎の不倫は財務省の陰謀か?』
勃つもんもしぼんでしまう。なんやねんこれ。
前はもっと(といっても悪いことに変わりはないのだが)マシだったと記憶している。こんなカスだったか?
玉木雄一郎や山本太郎のような似たり寄ったりの政治家を推すようなら動画ならまだわかる。立花孝志のような、高卒御用達の迷惑系インフルエンサーを好むような知性だと思われていたのか僕は。ナメられたものだ。僕の視聴履歴は、仮にズリが目的だったとしても、そこはかとなく知性を読み取れる程度に高尚だったはずである。
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先日僕は阪急に乗っていた。僕の隣のお姉さんはTikTokで高市早苗Ageの動画をリピしていた。反対側のおじさんのスマホを覗いてみた。おじさんはYouTubeで暇アノンの陰謀論動画を見ていたのだった。
以前私は「YouTubeでポピュリズムに対抗できるか」という旨の記事を書いたが、早くも持論を変えざるを得なさそうになってきた。
このアテンションエコノミーと消費社会が最早資本主義に代わる下部構造になってきた現代社会において、その上部構造の歪みはますます直すのも難しくなってきた。
考えてみれば、YouTube以外でもそうである。NoteやXはチー牛ポルノ右翼に、Yahooニュースコメント欄は暇なパワハラ老害に占拠されている。結局はYouTube、X、Noteも5ちゃんねると同じ「便所の落書き」に落ち着く運命だったのだ。BlueSkyの運営はイーロンよりマシとか、そんな話ではなかった。BlueSkyが着実にユーザーを増やしていけば、Xと同様の便所の落書きに回帰していくだろう。
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現実社会でヤフコメやXのようなモラハラをすれば、途端に鉄拳が返ってくるだろう。そうされたくないから、人々は誰かを傷つけないような言動をするように気を付けるのだ。
しかしインターネットではいくら人をバカにしても殴られないし、反論が殺到したとしてもアカウントを消せば現実社会に悪影響は波及しない。だから言ってもいいことがどんどんインフレしていく。
そこを批判するとやれ「キャンセルカルチャーだ!」「TRAだ!」などと言われるが、問題はそこではない。SNSのせいでお前らは他人をバカにしても顔面を殴られない環境に慣れすぎているのだ。
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YouTubeは左翼が劣勢なのではない。知性主義が劣勢なのである。高卒に人気な立花孝志もそうだが、保守主義でも宏池会みたいな岸田や石破は全くウケない。ウケているのは百田尚樹とか反ワクとかなのである。
思えば維新旋風の時期から疑わしい雰囲気はあった。橋下徹が新進気鋭の若手政治家だった時から、「橋下徹が新聞記者を論破!」系の動画は人気だった記憶がある。それから十数年を考えると、その維新が地域与党として金のドブ捨てに腐心していると思うと感慨深いものだ。
このような現象に対して、宮台真司は斜め上の解決策を提示した。
放っておけと。
あいつらが成功するわけない、と。
実際、維新は万博で大座礁した。この予言はあっていたのかもしれない。動画で町山は「そんなことすれば国が亡びる」と反対しているが、愚民がデマゴーゴスを選んだのならそれは愚行権の範疇であろう。
東京の消費主義しかイデオロギーがない、薄っぺらい娯楽しか残っていないベッドタウンのルンペンプロレタリアートが、デマゴギーに騙されたところで自業自得のような気がしてきた。なんとか説得して労働運動に向かわせよう、なんとか説得して公共圏に参加するようにしようと考えた私の思索は徒労だったのである。
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私はとりあえず大都市に就職するが、ゆくゆくは森林施業プランナーにでもなって田舎に移るつもりだ。そこで竹林の中にあばら家を設け、ひたすらに列子と老子を読みふけり、仙術を学んで昇仙への道筋を探るつもりだ。
石丸を二位につけたような愚民は、一生ネオリベに騙されて、「どの店に通ったか」しか自己定義できない薄っぺらい人生を歩めばいいんだ。
老子風に言うなら、「彼らは競争社会で生きることに幸せを感じていない。だからこそ、むしろ競争を強めれば幸せな社会になるという者が続くのだ」。不幸せの原因を突き詰めて考えようとしない奴らが、助け合いと幸せにたどり着けるなど思い上がりも甚だしかったのだ。