(空想短編) 龍馬が待つ。
「あんた、大村さんかい?」
「あなたは・・坂本龍馬?」
初対面の二人である。
「何か私に御用ですか」
大村益次郎は、イネとの逢瀬を楽しんで・・いや、二人で医学のめざましい進歩を学んでいたところに現われた龍馬に、憮然とした顔でたずねた。
「いや、大村さんに用はない。イネさんに聞きたいことがあってね」
大村は驚いた。イネを知っていたとは。この男、油断ならない。
イネはドイツ人の医師シーボルトの娘である。日本初の女医。大村からオランダ語と医学を学んでいたが、国事に奔走していた大村をすでに凌駕する医者になっている。
「私に何をお聞きになりたいの?」イネが聞き返す。
「実は、おりょうが(あるこーるいぞんしょう)とやらになってしもうて、どうしたものかと・・」
おりょうとは、龍馬の妻、楢崎龍子。寺田屋で、風呂から裸のまま階段を駆け上がり、龍馬暗殺の危機を知らせた逸話が有名だ。(おりょうがいなかったら、あの時自分は死んでいた)と、龍馬は故郷の乙女姉さんに手紙を書き送っている。
「おりょうさんですね、わかりました。ちょっと診てきましょう」
イネは切れ長の目を閉じ、ほどなくして目を開けた。
「もう治りませんね。龍馬ロスが長すぎて、こじらせ放題ですから」
あっさりきっぱり答えたイネに、
「どうしたらええがぜよ」と、龍馬は頭を抱えた。
「あなたが生き返るか、おりょうさんがこちらの世界にいらっしゃるか・・でも、もうすぐいらっしゃると思いますよ」
「そうかえ。ほんならちっくと待ってみよう」
龍馬の顔は、光がさしたように明るくなった。
「おまんらみたいに、仲睦まじくしたいからの~」
ふざけた口調で大村の顔をのぞき込み、からかう龍馬。
「な、なにを言うのです!私たちは、ただ医学の勉強を・・」
慌てて言い訳し、おでこから蒸気が噴き出て大汗をかく大村に、龍馬は大笑いし、イネはまんざらでもない顔をして苦笑いする。
「憎めないやつだ」と大村は、龍馬の人たらしぶりを体感した。
見込んだ通りの男だと龍馬は思った。
あの幕末、自分がいなくとも維新はなったが、大村がいなければまだ幕府は生き残っていたかもしれない。それほどの男なのだ。イネさんが惚れるのも無理はない。一方で、龍馬の歴史はほとんどが後世の創作であることを、龍馬本人が一番よく知っている。海を走るのは気持ちよかった、それだけが龍馬に残る想いだ。それと、おりょう。おもしろい女だった。そのおりょうがやってくるのを待つ日々が、龍馬にはどうにももどかしいばかりである。
三年後、おりょうがようやく龍馬のところへやってきた。
「ずいぶんふけたな、おりょう」
「あら、そりゃすいませんねえ。65まで生きておりましたからね」
「65か。じゃあおっかさんだな。親孝行のつもりで、大事にするから案ずることはない」
おりょうはきっぱりと酒をやめ、龍馬との日々であっという間に若返り、今もあちらの世界で仲睦まじく暮らしている。とさ。
(了)